前回引用した「人権・同和教育の指導のあり方」についてとりあげます。これは鳥取県教育委員会が出している教師用の指導書で、教育現場への影響は非常に大きなものです。
この指導書の冒頭には「今日も机にあの子がいない」という、同和教育の理念が書かれていますが、内容については、そういった当初の理念の面影はありません。鳥取の同和教育は「解放教育」であり、ある定められた思想を教え込むものです(別の機会に触れますが、企業研修などでは、さらにこのことは顕著になります)。
まず、人権問題として何を題材とするか、ということについて次のものが挙げられています。
- 同和問題
- 女性の人権に関する問題
- 障害者の人権に関する問題
- 子どもの人権に関する問題
- 県内在住外国人の人権に関する問題
- 個人プライバシーの保護
- 病気にかかっている人の人権に関する問題
- 学力観の中にある人権に関する問題
- 労働観の中にある人権に関する問題
特に前半の部分は、「人権教育基本方針」
もそうですが、部落解放人権研究所の「日本における差別と人権」の内容に非常に共通しています。特徴的なのは女性、子供、高齢者を一方的に「被差別者」としているところで、部落解放同盟に偏向した考えです。
鳥取の同和教育では「差別の存在に気づく」ということが重要視されます。つまり、差別が存在することを前提に教育を行います。
そのことは、最後の2項目を除き、漏れなく書かれています。
(同和問題)
一部の地域に対する偏見や差別があることに気づくとともに、その不合理さに対する認識を深める。
(女性の人権に関する問題)
社会や日常のくらしの中に、女性に対する差別や偏見があることに気づくとともに、女性という性に対する自分自身の考え方について振り返る。
(障害者の人権に関する問題)
障害のある人に対する偏見や差別があることに気づくとともに、障害のある人に対する自分自身の考え方について振り返り、自分の生活に活かしていくことができる。
(子どもの人権に関する問題)
人権が侵害されている子どもがいることに気づくとともに、子どもの人権を守るための取り組みについて理解する。
(県内在住外国人の人権に関する問題)
多くの在日韓国・朝鮮籍の人が日本に在住している歴史的背景について理解するとともに、その人たちに対する偏見や差別について考える。
(個人プライバシーの保護)
自分自身のプライバシーが守られていない実態があることに気づくとともに、個人プライバシーを保護することが一人一人の人権に直接関わっていこと(註:ママ)を理解する。
(病気にかかっている人の人権に関する問題)
病気にかかっている人(かかった経験のある人)や共に生活(支援)している人の生き方について理解するとともに、病気にかかっている人に対する差別や偏見について考える。
これはよく誤解されることですが、鳥取で行われている同和教育は差別をなくすためものではありません、差別があると気づかせるためのものです。そもそも、差別のない世の中になれば、この指導書のような教育は成り立ちません。
この指導書の通りに授業する場合、身近に差別が本当になければどうするか?答えは、よそから持ってくるかでっち上げるかのどちらかです。実際に、教師から「差別に気づけ」と責め立てられ、ありもしない差別をでっちあげたり、どうでもいい日常の出来事を差別ということにしてしまう子供がいます(まぁ、自分のことですが)。
もう1つの大きな問題は、徒競走でのバイパスや、順位をつけないといった指導として現場に反映されている、結果平等や向上のための努力の否定です。
「学力観の中にある人権に関する問題」については次の記述があります。
・学力によって人を判断してしまいがちな自分たちや社会の意識について考える。
なぜこれが人権に関する問題なのか疑問です。学校と言う学力によって人を判断する機関が、そのことに嫌疑を抱かせるような教育を行うのは矛盾します。
同様のことは、「障害者の人権に関する指導」にも見られます。以下、引用します。
障害のある人もない人も、お互いの「差異を尊重」することで、一人一人のくらしや生き方が豊かになり、共に地域社会で生きていくことができる。
しかし、今日まで障害者差別が根強く残っているのは、これまで障害のある人の人権を考える観点が、無意識のうちに健常者が基準とされてきたからであり、障害者が健常者に近づくという発想での取り組みが行われ、障害のある人への障壁(バリア)が意識的にも制度的にも、社会的にも存在したからである。
これからは、障害があるなしにもかかわらず、その人をあるがままに認めることが自分自身をあるがままに人から認められることであるという考えに立ち、共に地域でくらし、学びあい、育て合えるような社会を築いていく必要がある。
これは非常におかしなことです。教育現場を含め、実社会では、障害のあるなしに関わらず、人は現状より上を目指して努力することが良いこととされます。
ある同和教育に熱心な教師の方は、健常者を中心とした発想だとして、自閉症の子供を治療することまで否定していましたが、どう思われるでしょうか?
追記2006年2月13日
治療にはむしろ積極的だが、『「お前は劣っているから引き上げてやる」とか「こっちに来い」』という態度を否定されるそうです。なんだかなぁ…