指導書に見られる同和教育の偏向と矛盾

人権・同和教育の指導のあり方

前回引用した「人権・同和教育の指導のあり方」についてとりあげます。これは鳥取県教育委員会が出している教師用の指導書で、教育現場への影響は非常に大きなものです。
この指導書の冒頭には「今日も机にあの子がいない」という、同和教育の理念が書かれていますが、内容については、そういった当初の理念の面影はありません。鳥取の同和教育は「解放教育」であり、ある定められた思想を教え込むものです(別の機会に触れますが、企業研修などでは、さらにこのことは顕著になります)。
まず、人権問題として何を題材とするか、ということについて次のものが挙げられています。

  • 同和問題
  • 女性の人権に関する問題
  • 障害者の人権に関する問題
  • 子どもの人権に関する問題
  • 県内在住外国人の人権に関する問題
  • 個人プライバシーの保護
  • 病気にかかっている人の人権に関する問題
  • 学力観の中にある人権に関する問題
  • 労働観の中にある人権に関する問題

特に前半の部分は、「人権教育基本方針」
もそうですが、部落解放人権研究所の「日本における差別と人権」の内容に非常に共通しています。特徴的なのは女性、子供、高齢者を一方的に「被差別者」としているところで、部落解放同盟に偏向した考えです。
鳥取の同和教育では「差別の存在に気づく」ということが重要視されます。つまり、差別が存在することを前提に教育を行います。
そのことは、最後の2項目を除き、漏れなく書かれています。
(同和問題)

一部の地域に対する偏見や差別があることに気づくとともに、その不合理さに対する認識を深める。

(女性の人権に関する問題)

社会や日常のくらしの中に、女性に対する差別や偏見があることに気づくとともに、女性という性に対する自分自身の考え方について振り返る。

(障害者の人権に関する問題)

障害のある人に対する偏見や差別があることに気づくとともに、障害のある人に対する自分自身の考え方について振り返り、自分の生活に活かしていくことができる。

(子どもの人権に関する問題)

人権が侵害されている子どもがいることに気づくとともに、子どもの人権を守るための取り組みについて理解する。

(県内在住外国人の人権に関する問題)

多くの在日韓国・朝鮮籍の人が日本に在住している歴史的背景について理解するとともに、その人たちに対する偏見や差別について考える。

(個人プライバシーの保護)

自分自身のプライバシーが守られていない実態があることに気づくとともに、個人プライバシーを保護することが一人一人の人権に直接関わっていこと(註:ママ)を理解する。

(病気にかかっている人の人権に関する問題)

病気にかかっている人(かかった経験のある人)や共に生活(支援)している人の生き方について理解するとともに、病気にかかっている人に対する差別や偏見について考える。

これはよく誤解されることですが、鳥取で行われている同和教育は差別をなくすためものではありません、差別があると気づかせるためのものです。そもそも、差別のない世の中になれば、この指導書のような教育は成り立ちません。
この指導書の通りに授業する場合、身近に差別が本当になければどうするか?答えは、よそから持ってくるかでっち上げるかのどちらかです。実際に、教師から「差別に気づけ」と責め立てられ、ありもしない差別をでっちあげたり、どうでもいい日常の出来事を差別ということにしてしまう子供がいます(まぁ、自分のことですが)。
もう1つの大きな問題は、徒競走でのバイパスや、順位をつけないといった指導として現場に反映されている、結果平等や向上のための努力の否定です。
「学力観の中にある人権に関する問題」については次の記述があります。

・学力によって人を判断してしまいがちな自分たちや社会の意識について考える。

なぜこれが人権に関する問題なのか疑問です。学校と言う学力によって人を判断する機関が、そのことに嫌疑を抱かせるような教育を行うのは矛盾します。
同様のことは、「障害者の人権に関する指導」にも見られます。以下、引用します。

障害のある人もない人も、お互いの「差異を尊重」することで、一人一人のくらしや生き方が豊かになり、共に地域社会で生きていくことができる。
しかし、今日まで障害者差別が根強く残っているのは、これまで障害のある人の人権を考える観点が、無意識のうちに健常者が基準とされてきたからであり、障害者が健常者に近づくという発想での取り組みが行われ、障害のある人への障壁(バリア)が意識的にも制度的にも、社会的にも存在したからである。
これからは、障害があるなしにもかかわらず、その人をあるがままに認めることが自分自身をあるがままに人から認められることであるという考えに立ち、共に地域でくらし、学びあい、育て合えるような社会を築いていく必要がある。

これは非常におかしなことです。教育現場を含め、実社会では、障害のあるなしに関わらず、人は現状より上を目指して努力することが良いこととされます。
ある同和教育に熱心な教師の方は、健常者を中心とした発想だとして、自閉症の子供を治療することまで否定していましたが、どう思われるでしょうか?
追記2006年2月13日
治療にはむしろ積極的だが、『「お前は劣っているから引き上げてやる」とか「こっちに来い」』という態度を否定されるそうです。なんだかなぁ…

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「自らが置かれている社会的立場の自覚を深める」指導

教師用指導書「人権・同和教育の指導のあり方」(平成14年3月 鳥取県教育委員会)より引用
「自らが置かれている社会的立場の自覚」とは、「現代社会には部落差別をはじめとするさまざまな差別があり、差別により、いろいろな面で自分や自分の周りの人たちの生き方が制約されている。そのため、自分たちの生き方をより豊かなものにしていくため、自分に直接関わる問題として、部落差別をはじめとするさまざまな差別をなくさなければならないという自覚」のことである。
1 指導にあたっての基本的な考え方
指導にあたっては、児童生徒の発達段階に応じて、次のような自覚を深めていくことをねらいとする。
①自分たちの間に起こる人権に関する問題に気づく。
②差別することが自らの人間性をゆがめ、人を悲しませたり傷つけたり自由を奪ったりする卑劣な行為であることを理解する。
③「児童生徒の間におこる人権に関する問題」と自分自身の関わりについて、自分自身の生活や行動を振り返り、差別をなくしていく行動をする。
④自分自身・親・友達の生き方や生活を見つめ直す中で、「社会にあるさまざまな人権に関する問題」に気づき、その問題を将来にわたって自分自身に直接かかわる問題として捉え、差別をなくしていく行動をする。
また、「自分自身に直接関わる問題として認識する」とは、
①以前に比べて、現在は人々の人権が保障されるようになってきた。それは、部落差別をはじめとするさまざまな差別をなくすための人々の運動があり、その運動を多くの人が支持してきたからである。従って、差別問題を解決していくことが、自分自身の人権の拡大に直接関わっている。
②自分自身の中にある人を決め付けたり見下したりする心に気づき、自分自身が豊かな人間関係やくらしを築いていくために、そのような心をなくしていかなければならない。
ことを認識することである。
2 取り組みにあたって
「自らが置かれている社会的立場の自覚を深める」指導では、一人一人の児童生徒が思いを出し合いお互いに共感しながら、学習を深めていくことが大切である。また、児童生徒にとって、全ての人権・同和問題に関する学習の機会が「自ら置かれている社会的立場の自覚を深める」学習になり得るものでなければならない。
指導にあたっては、次のような点に留意することが必要である。
①指導の必要性やねらい及び事前・事後の指導の手立てなどについて、全教職員が十分に協議し、共通理解を図ること。
②発達段階等に応じた指導内容の一貫性・系統性を図るとともに、児童生徒の学習の論理に適合した教材の開発に努めること。
③児童生徒一人一人の意識の変容を的確に把握するための手だてができていること。
④被差別の立場に立つ児童生徒については、個別指導等の手だてを図るとともに、家庭訪問等による保護者との話し合いを十分に行うこと。
⑤保護者等に対する啓発活動を積極的に推進し、指導の狙いについての正しい理解と協力を得ること。
⑥保幼・小・中・高等学校や・盲・聾・養護学校及び保護者や関係機関等との連携を図ること。

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保護者による反天皇制学習会と、順位をつけない運動会が行われる保育所

小学校での教条的な同和教育と、天皇制否定の問題は以前の記事でも取り上げました。今回は保育園にまつわる同様の話題です。
鳥取市内には、いわゆる「同和保育所」があります。これについては、鳥取市同和対策総合計画に関する記事で触れていますのでご参照ください。
以下は、とある同和保育所の保護者会の1998年度の活動計画です(保育園や地域が特定できる部分は伏字にしてあります)。

4月  総会(年間の活動計画・予算計画など)
5月  保育所職員との座談会
  (鳥取市同和地区子育て推進事業)
  「基本的生活習慣の確立」をテーマ
  保育所職員による寸劇
  クラス別座談会
  ○○○運動会(保・小・中保護者主催)
6月  親子遠足(村めぐり)
7月  講演会「親の行き方・子どもの躾」
  (鳥取市同和地区子育て推進事業)
8月  部落問題学習会
9月  体験者発表
  意見交流会
10月 反天皇制の学習会
  保・小・中保護者視察研修
11月 解放文化祭(保・小・中保護者主催/2年に1回)
  料理講習(鳥取市同和地区子育て推進事業)
12月 反天皇制の取り組み(親子で遊ぼう)
1月  保・小・中保護者学習会
2月  卒園児を送る会
3月  総会
新旧役員引継会

以前の記事でも述べたとおり、同和保育所と言っても同和地区専用の保育所というわけではありません。事実この保育所は同和地区外にあり、同和地区からは徒歩で20分程度の距離があります(バス通園が多いようです)。もちろん、ここに通う子供の多くはいわゆる同和関係者ではありません。ただ、一般の保育所と違うのは、同和対策事業で建設され、当時2名の「同和加配保母」が配置されていたことです。
この保護者会は、特に同和地区関係者による保護者会です。その結成のきっかけは、鳥取市同和対策総合計画に書かれているような、同和地区の子供に関する問題を協力して解決するため、とされています。
親子遠足(村めぐり)は「たくましくはばたく力の育成事業」の一環として、自分たちの村をめぐるとういうものです。この事業というのは、鳥取市に限らず、鳥取県下の様々な自治体の同和地区を対象として行われるものです。
体験者発表というのは、おそらく東部で同和教育を受けた方なら知っている「自分が差別された、あるいは差別した体験」を発表する会です。差別を受けたこともしたこともないと思っていた人も、これで差別されたことやしたことに気づかされる、ということです。
問題の反天皇制学習会については、以下のようなものです。
(月刊「部落解放」通号446より引用)

また、十二月二十三日には反天皇制の取り組み「親子で遊ぼう」を行います。これは一九九三年度から実施しているもので、「なぜ天皇だけがみんなの祝福をうけるのか。天皇制がある限り部落差別はなくならない」と、保護者会として親子で一日楽しく過ごし、天皇誕生日に反対する取り組みです。また、一九九五年度からは、この取り組みにむけて事前に保護者会の学習会を実施します。

そして、私が驚いたのは次のことです。こういった教条的な同和教育は鳥取と言えど相当批判されたはずで、もう姿を消したものと思っていました。実際、1980年代はこの保育所でも運動会の徒競走では順位を付けています。
(同じく月刊「部落解放」通号446より引用)

また、いまの保育所の運動会では、一位・二位・三位などの順位をやめていて、順位に関係なく、最後までがんばって走ることに意義があると教えてもらっていますが、ある保護者からは、「このあいだ、小学生の子どもが一〇〇メートル競技で最後だったけれど、『ぼく、最後までがんばって走ったで』と話してくれた。子どもにがんばることの大切さを教えてくれたことに感謝している」という意見もありました。

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県立東高で行われた人権同和研修

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平成17年10月13・14日に鳥取県立東高等学校のPTA同和教育部主催で
同校体育館にて行われた「人権同和研修」について。
この研修の講師は在日韓国2世のチョ・バク氏。
この人選は、事前のPTAからの推薦を受け、校内の人権・同和教育推進委員会や職員会議を経て
学校長が決定したとのことです。
この講演内容が凄まじい。以下は抜粋。
1、竹島問題について、近代国家なのに領土問題になると目くじらを立てる(日本のことらしい)
  歴史的に竹島は「韓国の入り口」だった。
2、日本は、イギリスがインドを植民地にしたように、同じ事を朝鮮半島にした。
3、日本は戦後、韓国を含む戦後処理をしていない。
4、北海道も沖縄も、もともと日本ではない。
5、国鉄民営化の時、国は1047名もの職員をクビにしたのは人権侵害。
6、ストライキは基本的人権であり、日教組が近年ストライキをしていない。
  今、ストライキをするような組合の先生がおられたら、尊敬し、私が学校に銅像を建てる。
7、小泉政府は「ヒトラー」であり、莫大な国の借金返済のため、「憲法9条を改正して戦争がしたくてしょうがない」
8、ファシズムにだまされてはいけない

誤認された事実に基づく鳥取の同和教育

前回鳥取県人権教育基本方針について朝鮮総連関係者が教育に関わっていることを採り上げたが、今回は同和教育について採り上げる。
まず、この鳥取県人権教育基本方針にも書かれている通り、鳥取の人権教育は同和教育の延長にあるものである。そして、鳥取の同和教育は「解放教育」、つまり部落解放同盟の主張に沿った教育である。そのことは、「差別の現実から深く学ぶ」ということについて「被差別の子どもの生活と願いを読み取り、教育の課題を発見してくと同時に、それを実現していく教育力を今まで顧みられることのなかった被差別民衆の中に見いだし、組織していくこと」という、全く持って解放同盟の主張を取り入れていることからもうかがい知れる。
そして、差別の現実について、人権教育基本方針では、私が問題点を指摘した鳥取県人権意識調査よりもさらに現実離れした見解が出されている。例えば、

また、結婚・就職における差別、差別発言や差別落書き、インターネットを利用した誹謗や中傷等の差別事象も依然として発生するなど、差別意識は根強く存在しており、部落差別はいまだ解消されていません。

と書かれているが、鳥取県の同和対策課の調べでは平成9年度から13年度までの結婚差別の報告例は0である。そして、平成16年度に人権局が行った意識調査では、インターネットの掲示板等への書き込みで人権侵害を受けたと答えた人は0.8%である。そのうち、部落差別に関するものがどれだけ含まれているかは不明であるが、とても「根強い差別がある」と言える状態ではない。
結婚差別については、

結婚における差別については、差別事象としては表面化しにくいものですが、結婚差別は依然として厳しいものがあります。同和地区と同和地区外の人との結婚は、婚姻率は高まってきてはいるものの、そこに差別が内在していたり、また、結婚後も家族や親戚との付き合いができない状況などがあります。

と書かれているが、「差別が内在」するという事の意味が不明であるし、「結婚後も家族や親戚との付き合いができない状況」といった、客観的に検証することがどう考えても不可能な問題が持ち出されている。
幾分か報告のある差別発言についても、こう記述されている。

学校においては、特に中学校や高等学校において、同和問題学習で知りえた言葉を、自分たちの人間関係の中で序列付けや相手を攻撃・排除するために使用した差別事象が発生しています。

そして、就職差別についての記述は、こうである。

就職における差別については、高校卒業時の公正採用選考に向けた学校、企業、行政が協力した取組が定着し、現状把握のもとでの指導・啓発等により具体的な改善が図られてきまし
た。しかし、就職時の面接における違反質問など、差別につながる恐れのある事象やプライバシーの侵害等人権侵害の事象は後を絶ちません。

この記述を見たところ、結婚や就職に関しては差別の実態があるという根拠は何一つ示されていない。インターネットを利用した誹謗や中傷の実態については事実を誤認しており、差別発言に至っては同和教育が原因となっている。結局のところ、差別があるという結論を出す拠り所は、差別落書きだけ、ということになる。しかし、便所の落書きのようなものは加害者が誰で、被害者が誰で、本当に差別が目的なのか検証のしようがない。
このような乏しい根拠で、鳥取の教職員は「差別の現実から深く学ぶ」という指導をしているのである。
あなたがもし、鳥取で「差別の現実」を探して来いと言われたら、いったい何を採り上げるだろうか。静まり返った研修室で、一人だけ立ったまま、周囲の視線を集め、講師から期待の眼差しで見つめられているとき、あなたはどう答えるか、想像していただきたい。

人権教育は県民のためのものか

まず、鳥取県人権教育基本方針という冊子を紹介する。この冊子は実に71ページ渡って、鳥取県の人権教育について解説されているものである。他の自治体と全て比較したわけではないが、これほど詳細な人権教育基本方針を策定しているのは、全国でも非常に珍しいと考えられる。そのことからも、鳥取県が人権教育にいかに力を入れているか(予算と労力がつぎ込まれているか)が分かる。

この冊子の最後には、編集委員の名前が書き連ねられている。

〈同和教育〉
  宇 山   眞  鳥取県同和教育推進協議会会長
  中 野 俊 夫  部落解放同盟鳥取県連合会副委員長
  村 島 祐 子  国府町教育委員会人権教育推進員     
〈女性の人権に関する教育〉
  井 上 耐 子  鳥取県連合婦人会会長    
  上 田 敏 夫  レディースあすか鳥取東部総括理事  
  増 田 孝 二  鳥取県PTA協議会会長      
〈障害者の人権に関する教育〉
  相 見 槻 子  鳥取県精神障害者家族会連合会理事     
  絹 見 重 夫  光の家福祉作業所所長       
  日 笠 真理子  日本自閉症協会鳥取県支部副支部長     
〈子どもの人権に関する教育〉
  藤 野 興 一  鳥取こども学園園長    
  安 田 裕 子  子どもの人権広場事務局長
  横 木 永 子  三朝町社会教育委員
〈高齢者の人権に関する教育〉
  宇 野 博 美  鳥取西デイサービスセンター所長     
  国 広 生久代  鳥取県社会福祉協議会介護実習普及センター所長
  吉 野   立  呆け老人をかかえる家族の会鳥取県支部代表世話人 
〈外国人の人権に関する教育〉
  薛   幸 夫  在日本大韓民国民団鳥取県地方本部団長
  西村ジュリエット  とっとり国際交流連絡会会員
  朴   井 愚  在日本朝鮮人総聯合会鳥取県本部委員長  
〈病気にかかわる人の人権に関する教育〉          
  足 羽 泉 枝  日本てんかん協会鳥取県支部代表  
  池 原 正 雄  鳥取ピース・クロス世話人   
  福 安 和 子  用瀬保育所所長 
                                 
〈個人のプライバシーの保護に関する教育〉             
  尾 崎 真理子  鳥取県人権文化センター専任研究員     
  白 尾 兆 成  司法書士    
  八 木 俊一郎  鳥取県人権教育アドバイザー   
〈編集アドバイザー〉
  阿久澤 麻理子  兵庫県立大学環境人間学部助教授

太字にした名前は、人権救済条例の原案作成に関わった、人権尊重の社会づくり協議会委員をしている人物である。

さて、やはりと言うべきか、ここでも朝鮮総連の朴井愚氏の名前が出てきている。鳥取県においては、朝鮮総連は条例の制定だけではなく、教育にまで関わっているのである。つまり、私が以前から指摘している通り、教育政策・研修によって県民の意識を操作し、それをまた政策に反映するというサイクルが作られようとしている可能性がある。

では、問題の「外国人の人権に関する教育」はどのように説明されているか、かいつまんで解説する。

まず、朝鮮・韓国籍の人について「過去の我が国による植民地支配などさまざまな歴史的経緯によって国内に定住するようになった人たちとその子孫」としている。そして、学習目標は「多くの在日韓国・朝鮮籍の人が日本に在住している歴史的背景について理解するとともに、その人たちに対する偏見や差別について考える」ということである。

ところで私は中学生時代、在日韓国・朝鮮人は全て強制連行で連れてこられたかのように思っていた。それは、学校の人権教育で、「戦時中に政治犯の子どもが強制連行でつれてこられた朝鮮人に助けられる」というようなストーリーの映画を見せられたからである。しかし、強制連行されたのは数千人であり、現在日本に暮らしている在日韓国・朝鮮人は日韓併合時代の出稼ぎ人か、朝鮮戦争時の避難民というのが実際のところである。一方、朝鮮総連の主張では数百万人を日本に強制連行したことになっている。

人権教育で植えつけられた在日韓国・朝鮮人のイメージと、実生活で体験とは全く異なる。まず、鳥取県で韓国・朝鮮人に差別があるかと言えば、少なくとも実生活では私は見たことがない。実際に、私の親戚は周囲がとやかく言うこともなく在日韓国人と結婚している。

さらに、次のことが触れられている。

  • 鳥取県における県職員や教員の採用についての国籍条項の撤廃という施策
  • 1998年、国連の自動の権利に関する委員会によって、日本政府に韓国・朝鮮学校出身の生徒の大学進学への不平等な取り扱いについての調査と排除が勧告された
  • 1999年、外国人の指紋押捺制度が全廃された
  • 地方参政権、無年金高齢者、障害者問題など外国人の生活上のさまざまな権利に関する課題がある

このように、非常に政治的な問題について触れられているにもかかわらず、一面的にしか取り上げてられていない。例えば、ロシア、中国、北朝鮮、キューバ、シリアといった国民の政治的な自由が制限されている国が皮肉にも民主主義を悪用しているために、国連の人権委員会が健全に機能していないと批判が上がっていることには全く触れられない。北朝鮮の拉致問題や政治犯、脱北者の問題、韓国の国民に対する住民登録制や指紋押捺、日本人にも多発している年金未納者との公平性の問題も同様である。

そして、外国人の人権問題にかんする社会教育について、次のようなことが書かれている。

また、国際化の時代にあって、異なる文化を持つ人とのさまざまな交流を活発に行うことにより、外国人の文化、言語、宗教、習慣等についての理解を深めることが大切です。その際、
在日外国人団体、民間の国際交流団体、㈶鳥取県国際交流財団、在日外国人教育研究会、外国籍企業や合弁企業などと連携し、さまざまな機会を通じて国際理解教育を推進することが必要です。

さて、在日外国人団体については総連や民団のことというのは分かりきったことなので、何も言う必要はないだろう。しかし、なぜ外国人の人権についての教育に営利を目的とする外国籍企業や合弁企業が関わってくるのか。本当に人権が目的なのか、疑問を持たざるをえない。

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運動会では遅い子は近道、指導で天皇制を否定?

私が小学生の頃は、運動会の徒競走で1等を取る度に、赤いリボンが渡され、それを胸につけたものでした。…といっても、私はリボンをもらったことがありません。クラスでも最下位レベルの足の遅さだったので、当然と言えば当然です。
そして、中学最後の運動会、とても印象的な思い出があります。そんな私が、なぜか学年対抗リレーのアンカーになったのです。別にいじめという訳ではありません。中学校の運動会は1人何種目までと割り当てが決まっていて、クラス対抗リレーの割り当てを決めるときに他の人の参加種目がぜんぶ決まっていたので、その時たまたま空きがあった私が割り当てられたということです。結果は言うまでもなく、かえって心地よいほどの見事な惨敗でした。
そういう屈辱を味わった私にはちょっと信じられない話が飛び込んできました。鳥取県東部のとある小学校の保護者の方は、次のように証言しています。
「私の子供が通う小学校は、男女すべて『○○』さんと呼んでいます。子供に『へんだよ』というと先生が『君と言うのは天皇のことだから、人権学習の基本で男の子もさんで呼びなさいと言われたよ。君で呼ぶと怒られる』と言ったのにはビックリ仰天でした。」
「ついでに、運動会のリレーでは、おそい子は、コースを近回りして走るルールになっています。ルールの名前まで付いていて『バイパス』と呼んでいます。日付は公文書を含むすべて西暦です。元号は天皇制を認めるから使わないと言うことです。あきれた同和教育です。」
「バイパス」については、私が高校生くらいの頃に同様のことが大問題になり、私の母親も、「運動会くらいしか活躍のない子もいるのに、いくらなんでもおかしい」と言っていました。当時はマスコミでもさんざん叩かれたので、私はもう姿を消したものと思っていたので、まだあるとすれば驚くべきことです。
公文書で元号を使わないことと、天皇制の否定と関係があるのかということについては、既に人権局が微妙な回答をしています。ただ、「君」という敬称は天皇だから使わないというのはやや病的に感じられます。
この件について、当の学校の校長から次のような回答が得られています。
Q. 「君」は天皇のことだから、男女とも「さん」で呼ぶといった指導はされているのか?
A. 校区として決まっていることではないが、わが校では男女とも同じようにさんづけで呼ぶように指導しているのは事実。天皇制のような、宗教のからむようなことは学校ではやれないので、「君」は天皇だから、といった指導はしていない。
Q. 運動会で遅い子を近道させる、「バイパス」といったルールは存在するのか?
A. 子供の方からでた考えで、「バイパス」をやっていた時期は確かにあった。今年はやらなかったと思う。
Q. 学校で配布する文書を西暦に統一しているのは、元号を使うのは天皇制を認めることになるからなのか?
A. 公文書を西暦で統一しているのは、わかりやすいということと、世界共通であるというのが理由。天皇制うんぬんというのは、同和教育のからみで職員としてそういった意識はあるかもしれないが、学校としての立場はそういうわけではない。
私は、質問の最中に人権教育や同和教育といった言葉は一切使いませんでしたが、同和教育と関係しているようです。
ちなみに、解放同盟は1960年から今に至るまで、身分意識の強化につながるとして天皇制に反対しています。鳥取の同和教育が解放同盟と密接に関わっていることが、こういったところでも裏付けられます。私は天皇制の是非について、ここで議論することはしません。ただ、天皇のいない国にも門地による差別はありますし、未だに王族や貴族のいるイギリスが代表的な民主主義国家であったりするので、私は解放同盟の考えには賛同しかねます。皆さんはどのように考えるでしょう?

部落差別と民族差別

保護者向けの研修で配られた資料には、さらに続きがあり、「先住民族と差別」という文章が載っています。出展は、鳥取県部落解放研究所編「日本の聖と賎」となっています。
この文章は、部落の異民族紀元論から始まります。それに対する反論として「いや、部落の先祖も同じ日本人だ」と言うのでは弱く、日本人は複合民族ということを考慮しなければならない、ということから人種差別への問題と移ってゆきます。以下、一部を引用します。

昨年は、世界人権宣言四十五周年でしたが、この『世界人権宣言』のなかに「人間は皮膚の色によって差別されてはならない」ということが明記されていますが、これはなぜかと言いますと、皮膚の色というのは、紫外線が強いか弱いか、単にこれに関わるだけであります。紫外線が強いところでは皮膚の表皮にメラニン色素ができ、メラニン色素が多いほど色が黒いというだけのことです。人間の本体には何の変わりもありません。

確かに、同和地区の起源が異民族であるといいった説は誤りです。そして、皮膚の色の違いは人間を差別する理由にはなりません。実にまっとうな意見と言えます、しかし、段々とおかしくなってきます。

私は黒人の友人もいますが、同じ環境でスタートして同じ教育を受けたのならば、黒人の方がある意味では白人よりも優秀ではないかと思います。いずれにせよ、どの人種でも人間としての本質には根本的な違いはありません。

見ての通り、「黒人の方がある意味白人よりも優秀」と言ったすぐ後に「どの人種でも人間としての本質には根本的な違いはありません」と言っているので、支離滅裂です。
そして、さらにメラニン色素の話をした後、

皮膚の色の差というものはこういった原理に基づくものですが、そういうことすら科学的に知らない人は、黒人が劣っているなどとすぐ差別する。黒人が本来的に劣っているわけではありません。

と続きます。
はっきり言えば、これは誤りです。科学的に知っているかどうかと、黒人を劣っていると見ることは何の関係もありません。
鳥取のような片田舎では、黒人や白人を見かけること自体が珍しいです。たまに街角で黒人を見かけるとぎょっとしたり、学校でカナダ人の英語教師を指して「外人はあまり風呂はいらないから臭え」などと言ったりする輩がおりましたが、そういうのは黒人を見下すのとは全く別次元の問題です。よい意味でも、悪い意味でも、黒人と白人共に見慣れないよそ者として平等に見られるでしょう。
さらに、この文章ではエスキモー(イヌイット)、インディアン(ネイティブ・アメリカン)のような先住民族が被差別民族として挙げられています。そして、北海道の先住民族であるアイヌについても触れられています。
私は平成16年度鳥取県人権意識調査について、鳥取にアイヌに対する差別があると答えた人が11.7%もいると突っ込みました。
詳しくは、「人々の意識」にアイヌに対する差別や偏見があると答えたのが11.7%で、「社会のしくみ」にアイヌに対する差別や偏見があると答えたのが6.5%です。これは、自由記入ではなく、あらかじめ提示された項目に、複数○を付ける形式のものです(この項目に該当する人は被差別者、ということなので、そもそもこんな調査自体が差別的な気もしますが…)。
この調査をされた県庁の方には、研修会等への参加経験とクロス集計することを希望します。できれば、次回の調査では黒人やイヌイットやネイティブアメリカンも「被差別者」として項目に加えてください。どの民族は被差別者だと最初から決め付けたような研修がどのような結果を生むか、数字として現れてくると思います。

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常に差別の存在を前提とする人権研修

手元に「部落差別を温存する意識」という見出しがふってある資料があります。これは、1997年に保護者向けの研修で配布された資料です。以下、書き出しの部分を引用します。

部落差別は今日の日本社会における深刻で重大な社会問題であり、人権問題として存在しています。それにもかかわらず、部落差別の現実を知らなかったり、知っていてもかかわりを避けようという態度をとったり、あるいは部落差別は過去の問題で、今はもう存在しないという考え方をする人たちがいます。

この部分は、鳥取で行われている人権研修、同和教育がどのようなものかをよく表しています。私も、特に中学校の頃の同和教育では、「差別を見逃してはいけない」「差別はまだあるんだ」「それを知らないことは罪である」といった教え方をされました。たとえ部落差別と無関係に生活することを望んでも、それは許されないわけです。
さらに、この資料には1965年に内閣総理大臣に出された同和対策審議会答申が引用されています。

(前半略)さらに、また、精神、文化の分野でも昔ながらの迷信、非合理な偏見、前時代的な意識などが根強く生き残っており、特異の精神風土と民族的性格を形成させている。
このようなわが国の社会、経済、文化体制こそ、同和問題を存続させ、部落差別を支えている歴史的社会的根拠である。

そして、

日常の生活の中に、私たちが当たり前のように思っている意識の中に、差別を温存するものがあるとしたら、それがどこにあるのか、部落差別と結びつく日本人の生活感覚、その中にひそむ差別意識について考えてみましょう。そして、その課題を1つ1つ解消していかなければ、本当に同和問題を解決し、すべての人々の人権が尊重される民主社会になったとはいえないのです。

と続きます。
同和問題に関する研修というのが、単に行為だけでなく、人間の意識にまで踏み込むものであることが分かります。「同和対策審議会答申」を教条主義的なまでに適用した結果、件の「北枕を気にするのは差別につながる」という教師の指導に行き着くわけです。
私は、この研修内容には3つの問題点があると思います。
1つめは、差別を知らないこと、関わりを避けることを、あるいは差別が存在しないと主張することを頭から否定していることです。実際に同和教育では、差別の存在に気づかないことは罪悪だといった雰囲気が蔓延していました。これでは、いざ本当に差別がなくなったとしても、誰も「差別はなくなった」と言い出すことができません。
2つめは、非合理的な迷信や文化、慣習を何でも否定しようとする点です。例えば「北枕」は確かに非合理的な迷信ですが、だれもそれで被害を被ったりはしません。むしろ、たまたま集団に存在する共通意識を、実害のあるなしに関わらず1つ1つ潰してゆくことの方が非合理的に思えます。
文化や、慣習といったものは、元々非合理的なものです。突き詰めてゆけば、葬式も結婚式も必要ないでしょう。実際に、鳥取県の人権局は、その方向へ向かって進もうとしているように見えます。
3つめは、差別行為のみならず、意識まで問題とし、それを解決するのが民主社会だと主張している点です。しかし、ある人の持っている意識が差別に結びつくか、ということが問題にされて、差別解消の名のもとにその人の意識が制限されることは民主社会に反するものです。
例えば、同和地区への過剰な利益誘導を批判することが、ねたみ意識だとか、逆差別意識だといって非難されてきました。しかし、事実、京都では同和団体による補助金の詐取が表面化しています。事実を事実として指摘することがはばかられるような状態を作った結果がこれです。
それ以前に、全ての人が不合理な迷信を捨て、意識からも差別がなくなった世の中が来ることがありえるでしょうか?そして、その目的を達するまで、こういった人権研修を続けるつもりなのでしょうか?

京都市の同和地区の実名入り資料

高校の同和教育資料

これは1996年に鳥取県東部の高校の同和教育で実際に配られた資料です。
・資料1
1995年11月7日糾弾会で取り上げられた鳥取県内の差別事件

  1. 鳥取砂丘休憩舎トイレ差別落書き事件(1994年5月24日発覚)
    同(1995年4月12日発覚)
  2. 米子市公園協会・社会福祉事業団の職員採用選考違反事象
  3. 「鳥取市長選挙に係る」市民差別発言事件
  4. 米子市民による差別身元調査発言事件
  5. 用瀬町農協便所差別落書き事件(6件)
  6. 建設省大谷公衆便所落書き事件
  7. JR鳥取駅トイレ差別落書き事件
  8. 岩戸海水浴場公衆便所差別落書き事件(1993年7月16日発覚)
    同(1993年10月30日発覚)
  9. 米子市立M中学校暴行誤認事件
  10. 鳥取市立H小学校教頭・K中学校教頭問題発言事象

(ここに米子市民による身元調査差別事件の糾弾に関する解放新聞のコピーがあります)
・資料2
(各種統計資料です。*があるのは、京都市に実在する同和地区の地名が書かれているもの)

  • (奈良県内の)長欠・不就学の子供たち(1951年実施)
  • *(京都市の被差別部落の)戸数および人口密度(年代不明)
  • 義務教育の不就学率(京都市/年代不明)
  • *生活保護率(京都市/年代不明)
  • *水道普及率(京都市/1935年,1951年)
  • *上水道1栓当り利用世帯数(京都市/年代不明)
  • 1世帯当たり電灯数比較(京都市/年代不明)
  • ガス使用の普及率比較(京都市/年代不明)
    ・資料3
    「オール・ロマンス」事件
    (前略)ことの重大さにはじめて気づいた市長と日をあらためて、話し合いがじっくりとおもなわれました。
    「教育長にうかがいます。長欠・不就学の児童が多くて、教育行政の上で困っておられるところはどこですか。」
    「消防庁にうかがいます。大変道が狭くて、火事が起きると消防車が入っていけないところ、消火栓がなくて困っておられるところ、そういう住宅の建て込んでいて、大火事の心配のあるところはどこですか」
    「衛生局長にうかがいます。生活保護の受給家庭の率が、とびぬけて高い地区をはっきり示してください」
    交渉の席には、京都市の地図がひろげられていたといいます。市長をたすける各理事者や局長が、つぎつぎに質問攻めにあい、答弁をしてゆきます。
    土木、建設、水道、住宅…。
    「今の答えに出た地区、町内、学区に赤や青や黄色のエンピツで○じるしをつけてゆくと、みんな重なります。ここが、私達の住んでいる部落です。市長は、S(小説の作者)が悪い、とS個人のせいにされたが、京都市の行政の中で集中的に差別の実態があって、その差別が放置されている。なんの手も打たれていない。これが、差別行政ではありませんか。差別を放置し差別の現実を肯定するのでなく、市行政の責任で行政の停滞を打ち破り、部落差別をなくする取り組みをすべきではありませんか(後略)

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