誤認された事実に基づく鳥取の同和教育

前回鳥取県人権教育基本方針について朝鮮総連関係者が教育に関わっていることを採り上げたが、今回は同和教育について採り上げる。
まず、この鳥取県人権教育基本方針にも書かれている通り、鳥取の人権教育は同和教育の延長にあるものである。そして、鳥取の同和教育は「解放教育」、つまり部落解放同盟の主張に沿った教育である。そのことは、「差別の現実から深く学ぶ」ということについて「被差別の子どもの生活と願いを読み取り、教育の課題を発見してくと同時に、それを実現していく教育力を今まで顧みられることのなかった被差別民衆の中に見いだし、組織していくこと」という、全く持って解放同盟の主張を取り入れていることからもうかがい知れる。
そして、差別の現実について、人権教育基本方針では、私が問題点を指摘した鳥取県人権意識調査よりもさらに現実離れした見解が出されている。例えば、

また、結婚・就職における差別、差別発言や差別落書き、インターネットを利用した誹謗や中傷等の差別事象も依然として発生するなど、差別意識は根強く存在しており、部落差別はいまだ解消されていません。

と書かれているが、鳥取県の同和対策課の調べでは平成9年度から13年度までの結婚差別の報告例は0である。そして、平成16年度に人権局が行った意識調査では、インターネットの掲示板等への書き込みで人権侵害を受けたと答えた人は0.8%である。そのうち、部落差別に関するものがどれだけ含まれているかは不明であるが、とても「根強い差別がある」と言える状態ではない。
結婚差別については、

結婚における差別については、差別事象としては表面化しにくいものですが、結婚差別は依然として厳しいものがあります。同和地区と同和地区外の人との結婚は、婚姻率は高まってきてはいるものの、そこに差別が内在していたり、また、結婚後も家族や親戚との付き合いができない状況などがあります。

と書かれているが、「差別が内在」するという事の意味が不明であるし、「結婚後も家族や親戚との付き合いができない状況」といった、客観的に検証することがどう考えても不可能な問題が持ち出されている。
幾分か報告のある差別発言についても、こう記述されている。

学校においては、特に中学校や高等学校において、同和問題学習で知りえた言葉を、自分たちの人間関係の中で序列付けや相手を攻撃・排除するために使用した差別事象が発生しています。

そして、就職差別についての記述は、こうである。

就職における差別については、高校卒業時の公正採用選考に向けた学校、企業、行政が協力した取組が定着し、現状把握のもとでの指導・啓発等により具体的な改善が図られてきまし
た。しかし、就職時の面接における違反質問など、差別につながる恐れのある事象やプライバシーの侵害等人権侵害の事象は後を絶ちません。

この記述を見たところ、結婚や就職に関しては差別の実態があるという根拠は何一つ示されていない。インターネットを利用した誹謗や中傷の実態については事実を誤認しており、差別発言に至っては同和教育が原因となっている。結局のところ、差別があるという結論を出す拠り所は、差別落書きだけ、ということになる。しかし、便所の落書きのようなものは加害者が誰で、被害者が誰で、本当に差別が目的なのか検証のしようがない。
このような乏しい根拠で、鳥取の教職員は「差別の現実から深く学ぶ」という指導をしているのである。
あなたがもし、鳥取で「差別の現実」を探して来いと言われたら、いったい何を採り上げるだろうか。静まり返った研修室で、一人だけ立ったまま、周囲の視線を集め、講師から期待の眼差しで見つめられているとき、あなたはどう答えるか、想像していただきたい。

人権教育は県民のためのものか

まず、鳥取県人権教育基本方針という冊子を紹介する。この冊子は実に71ページ渡って、鳥取県の人権教育について解説されているものである。他の自治体と全て比較したわけではないが、これほど詳細な人権教育基本方針を策定しているのは、全国でも非常に珍しいと考えられる。そのことからも、鳥取県が人権教育にいかに力を入れているか(予算と労力がつぎ込まれているか)が分かる。

この冊子の最後には、編集委員の名前が書き連ねられている。

〈同和教育〉
  宇 山   眞  鳥取県同和教育推進協議会会長
  中 野 俊 夫  部落解放同盟鳥取県連合会副委員長
  村 島 祐 子  国府町教育委員会人権教育推進員     
〈女性の人権に関する教育〉
  井 上 耐 子  鳥取県連合婦人会会長    
  上 田 敏 夫  レディースあすか鳥取東部総括理事  
  増 田 孝 二  鳥取県PTA協議会会長      
〈障害者の人権に関する教育〉
  相 見 槻 子  鳥取県精神障害者家族会連合会理事     
  絹 見 重 夫  光の家福祉作業所所長       
  日 笠 真理子  日本自閉症協会鳥取県支部副支部長     
〈子どもの人権に関する教育〉
  藤 野 興 一  鳥取こども学園園長    
  安 田 裕 子  子どもの人権広場事務局長
  横 木 永 子  三朝町社会教育委員
〈高齢者の人権に関する教育〉
  宇 野 博 美  鳥取西デイサービスセンター所長     
  国 広 生久代  鳥取県社会福祉協議会介護実習普及センター所長
  吉 野   立  呆け老人をかかえる家族の会鳥取県支部代表世話人 
〈外国人の人権に関する教育〉
  薛   幸 夫  在日本大韓民国民団鳥取県地方本部団長
  西村ジュリエット  とっとり国際交流連絡会会員
  朴   井 愚  在日本朝鮮人総聯合会鳥取県本部委員長  
〈病気にかかわる人の人権に関する教育〉          
  足 羽 泉 枝  日本てんかん協会鳥取県支部代表  
  池 原 正 雄  鳥取ピース・クロス世話人   
  福 安 和 子  用瀬保育所所長 
                                 
〈個人のプライバシーの保護に関する教育〉             
  尾 崎 真理子  鳥取県人権文化センター専任研究員     
  白 尾 兆 成  司法書士    
  八 木 俊一郎  鳥取県人権教育アドバイザー   
〈編集アドバイザー〉
  阿久澤 麻理子  兵庫県立大学環境人間学部助教授

太字にした名前は、人権救済条例の原案作成に関わった、人権尊重の社会づくり協議会委員をしている人物である。

さて、やはりと言うべきか、ここでも朝鮮総連の朴井愚氏の名前が出てきている。鳥取県においては、朝鮮総連は条例の制定だけではなく、教育にまで関わっているのである。つまり、私が以前から指摘している通り、教育政策・研修によって県民の意識を操作し、それをまた政策に反映するというサイクルが作られようとしている可能性がある。

では、問題の「外国人の人権に関する教育」はどのように説明されているか、かいつまんで解説する。

まず、朝鮮・韓国籍の人について「過去の我が国による植民地支配などさまざまな歴史的経緯によって国内に定住するようになった人たちとその子孫」としている。そして、学習目標は「多くの在日韓国・朝鮮籍の人が日本に在住している歴史的背景について理解するとともに、その人たちに対する偏見や差別について考える」ということである。

ところで私は中学生時代、在日韓国・朝鮮人は全て強制連行で連れてこられたかのように思っていた。それは、学校の人権教育で、「戦時中に政治犯の子どもが強制連行でつれてこられた朝鮮人に助けられる」というようなストーリーの映画を見せられたからである。しかし、強制連行されたのは数千人であり、現在日本に暮らしている在日韓国・朝鮮人は日韓併合時代の出稼ぎ人か、朝鮮戦争時の避難民というのが実際のところである。一方、朝鮮総連の主張では数百万人を日本に強制連行したことになっている。

人権教育で植えつけられた在日韓国・朝鮮人のイメージと、実生活で体験とは全く異なる。まず、鳥取県で韓国・朝鮮人に差別があるかと言えば、少なくとも実生活では私は見たことがない。実際に、私の親戚は周囲がとやかく言うこともなく在日韓国人と結婚している。

さらに、次のことが触れられている。

  • 鳥取県における県職員や教員の採用についての国籍条項の撤廃という施策
  • 1998年、国連の自動の権利に関する委員会によって、日本政府に韓国・朝鮮学校出身の生徒の大学進学への不平等な取り扱いについての調査と排除が勧告された
  • 1999年、外国人の指紋押捺制度が全廃された
  • 地方参政権、無年金高齢者、障害者問題など外国人の生活上のさまざまな権利に関する課題がある

このように、非常に政治的な問題について触れられているにもかかわらず、一面的にしか取り上げてられていない。例えば、ロシア、中国、北朝鮮、キューバ、シリアといった国民の政治的な自由が制限されている国が皮肉にも民主主義を悪用しているために、国連の人権委員会が健全に機能していないと批判が上がっていることには全く触れられない。北朝鮮の拉致問題や政治犯、脱北者の問題、韓国の国民に対する住民登録制や指紋押捺、日本人にも多発している年金未納者との公平性の問題も同様である。

そして、外国人の人権問題にかんする社会教育について、次のようなことが書かれている。

また、国際化の時代にあって、異なる文化を持つ人とのさまざまな交流を活発に行うことにより、外国人の文化、言語、宗教、習慣等についての理解を深めることが大切です。その際、
在日外国人団体、民間の国際交流団体、㈶鳥取県国際交流財団、在日外国人教育研究会、外国籍企業や合弁企業などと連携し、さまざまな機会を通じて国際理解教育を推進することが必要です。

さて、在日外国人団体については総連や民団のことというのは分かりきったことなので、何も言う必要はないだろう。しかし、なぜ外国人の人権についての教育に営利を目的とする外国籍企業や合弁企業が関わってくるのか。本当に人権が目的なのか、疑問を持たざるをえない。

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日の丸ハイヤー差別事件

1996年9月2日解放新聞より。


事の発端は1995年11月に、部落出身の社員の車に「(実名)オマエタチエッタワ サレ」と、会社の運輸収入日報の裏に書かれた張り紙がされたことである。
1996年4月24日、部落解放同盟鳥取市協議会が糾弾会を開き、次の指摘をした。

  • 会社側がだした差別事件の分析と総括は、明確でない。
  • 事件発生後に労使でつくった「調査委員会」のとりくみなどが、拙速で対策的に終始している。
    その後、6月に部落出身の社員の自宅に電話があり、対応した中学生の子どもに差別発言を浴びせるということが起こっている。
    8月5日、同時期に起こった「JR・若桜鉄道差別事件」と合わせて、再び糾弾会が行われている。会には解放同盟鳥取市協議会だけでなく、韓国民団、朝鮮総連、解放同盟島根県連も参加している。
    糾弾会の結果、日の丸ハイヤー、JR西日本米子支社、若桜鉄道
    は「企業の差別体質を改善し、社会的責任・役割をはたしていく」と回答し、「推進計画」を実施すると確認した。

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  • 八鹿高校事件と解放同盟の現在

    この事件の刑事裁判では、1990年11月28日に解放同盟側の有罪が確定しています。また、1996年2月8日には民事裁判でも解放同盟側の全面敗訴に終わりました。
    八鹿高校事件から30年以上、裁判の結審から10年以上たった今、事件の当事者である解放同盟がどのような見解を持っているかは興味があるところです。このことについて、部落解放同盟鳥取県連に問い合わせました。
    Q. 1974年11月の八鹿高校事件について、取材している。
    A. 八鹿高校と言えば、兵庫県の八鹿ですよね?もうそんなになりますかね。30年くらいになりますね。
    Q. 鳥取県連としては、この事件についてどのような見解を持っているのか?
    A. もう前の事件ですが、私は鳥取県連としてコメントできる立場にないです。
    Q. 県連としての見解はないということなのか?
    A. そういうわけではないですが、これまで文書化して公に出したものはなかったと思います。
    ただ、真面目に運動しようということで、高校生が立ち上がったり、地域の人が支援するいう取り組みを教師集団が妨害するといった行為の中でから事件が発生したという風には、私たちは把握している。
    Q. 鳥取県の研修などで、八鹿高校事件について触れられることはあるのか?
    A. 無いのではないでしょうか。時間的にも30年も前の話ですからね。
    Q. 1991年(注:1990年が正しいです、質問時に間違えました)の時点で解放同盟の方が有罪になっているが。
    A. 私は確定したのかどうか分かりませんが…
    Q. 最高裁で確定ということになっている。
    A. そうですか。ただ、部落解放同盟が差別に対して憤りを感じて、差別を許さないと言う形での行動そのものを否定したということは、裁判の記録の中でもたぶん、ないと思います。
    ただ、気持ちは分からないでもないが、少し行過ぎたのではないかという判断があって、それがたぶん有罪の根拠になったのではないかと私は思います。
    そういった、差別と闘う、具体的には糾弾闘争を裁判所が否定したということではなかったと理解しています。
    Q. こういった形の闘争は正当であるということか?
    A. いや、時代によっては差別によって泣き寝入りをしている人が大部分で、例えば子どもが学校へ通学する、そういった道中で石を投げられたり差別を受ける、学校に行っても学校の教師からでさえも差別を受けるといった社会状況のときには、おのずと自分の子どもたちを守ろうということで、親がどう思われようと少し激しい闘いというか運動が起きる。
    Q. ということは、1974年の頃は、そういった状況があったのか?
    A. その時の社会状況が一律にこうだ、ということは言えないと思います。ただ、一般論としては差別が厳しい社会状況の中では、おのずと糾弾闘争も厳しい内容になってくる。今の闘争の形態は、話し合いによって相手の理解を求めるようなそういった糾弾闘争に変わっている。時代背景によって変わってくるので、いちがいに今の時代から見て八鹿高校の闘争がどうだったかということを、時代背景を理解しないで軽はずみに判断するのはどうかと思います。
    以上のように、間違いであったと、過去の行動を否定することは避けています。解放同盟は暴力行為に対して正式には謝罪せず、反省もしていないといった指摘は、鳥取県においても例外ではありません。
    私は過去の記事でオールロマンス事件のような、50年以上も前の状況を蒸し返すことに疑問を呈しました。八鹿高校事件はより新しい出来事であるだけでなく、不法行為を行った当事者が未だに誤りを認めていないという現実があります。部落問題に関連して、過去に例がないような暴力行為が行われ、それが闇に葬られてゆくことは「部落は恐い」という考えを支えるものではないかと思います。
    そういった意味で、教育や研修で米子市民による身元調査差別事件の糾弾のような事例を取り上げながら、八鹿高校事件に触れないと言うのは偏向教育と言えるのではないでしょうか。

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    神戸新聞が報じた八鹿高校事件(2)

    少し、前後しますが1974年11月26日の神戸新聞朝刊社会面で、少し大きな記事が載っています。見出しは「違法行為見過ごさぬ」「県警警備部長説明 教師の負傷者45人」となっており、山田忠孝兵庫県警警備部長から、県議会で次のような事件の経過が説明されています。

    八鹿高では同和教育のあり方をめぐって紛糾が続いていたが、二十二日朝、教師側が授業を打ち切り、休暇届をし出て(ママ)集団下校中、同高差別教育糾弾闘争会議のメンバーが教師らを体育館に連行して各種の暴行を働いた。教師四十五人が負傷、うちの六人の重傷者が出、二十八人(その後一人退院)が入院した。
    一一〇番で連絡を受け、学校長、県教委側と接触、事情聴取する一方、場合によっては救出活動すべく警察官を動員したが、学校長、県教委側は「警察が介入すると事態はさらに困難になる。いま、話し合いは平穏に続いている」と再三繰り返し、最後まで出動要請はなかった。同夜、集会が終わったあと、事態を確認した。現在、全力をあげて操作を進めている。

    その後県議会で県警の責任を問う声が出ますが、「違法行為はささいなものでも看過しない」と言いつつも「この問題は根が深く、むずかしい」と釈然としない答弁をしています。
    一方、「人間性を否定する差別が根本問題」という見出して、部落解放同盟兵庫県連、小西弥一郎委員長の会見内容が掲載されています。

    今回の問題は現象面だけにとらわれず部落差別という社会的におおきくしかけられた暴力が存在することを理解してほしい。部落差別によって被差別部落の人間は暴力的に市民的な権利をいっさい奪われている。八鹿高校でも、生徒が死をかけてハンストに訴えるような差別教育が行われてきたから、差別の暴力をなくすために立ち上がったのだ。
    法治国家でありながら警察側は、この差別に対する暴力を同対法の精神に立って捜査する能力を持っておらず、同盟が国民審判によって糾弾する以外に解決の方法はないと考える。しかし、糾弾への挑発が、共産党側の差別キャンペーンなどにあらわれており、挑発に乗せられた結果、双方の小ぜり合いを一方的な暴力として相手側が意図的に強調していると確信している。
    今後はあくまでも差別を追放し、八鹿高の教師については一人一人をていねいに説得し、問題の本質を理解してもらうつもりだ。今回の糾弾を通して労組などの関係団体、各町長が暴力的名差別を解決するために立ち上がっており、部落問題の根源をつかむことができたと思う。

    部落解放同盟側は、このように、正当なことをやったという見解を出しています。「差別発言は言葉の暴力である」こういった論理で物理的な暴力を正当なものとする解放同盟の姿勢は今も変わってないように思います。このことについては、次回で説明します。
    一方、1990年11月28日に刑事裁判での有罪が確定した後、民事裁判に向けて解放同盟側は解放新聞上で「日共(日本共産党)のデッチ上げ」として、暴力を否定しています。しかし、当サイトで紹介した各一般紙の報道と、解放同盟側も滋賀県連が暴力の事実を確認している通り、暴力と言う不法行為があったことは疑いありません。
    1974年11月27日全国紙の読売新聞では「八鹿高正常化へ」という見出して授業再開の目途が立ったことを報じて以後続報はありませんが、実際はもっと厳しい状態でした。29日、神戸新聞は「授業再開ならず」「八鹿高校遠い正常化の道」という見出して生徒への影響を生々しく報道しています。

    同和教育をめぐって混乱している兵庫県養父郡八鹿町の県立八鹿高校(珍坂邦巌校長、生徒数約千三百人)で、国・勤労ストが回避された二十八日、生徒自治会執行部と学校の申し合わせどおり、生徒の登校が再開された。しかし、校長、教頭、農業科教諭や事務職員以外に出勤する教員はなく、授業はまたできずじまい。県教委の派遣職員らは「一日も早い正常化を」と話しているものの、具体的な打開策については手さぐりの状態で、正常化の目途は立たず、進学、就職シーズンを目前に控えた三年生をはじめ、生徒全体に深刻な影響が出始めている。
    同校事務局や県教委職員の説明によると、この日登校した生徒は約六百五十人。自治会執行委員が一時限目の始まる前に各クラスに出向いて学級委員長がそれぞれ出席をチェックするように訴えたが、一、二年生は各六〇%、三年生は三分の一程度にとどまった。また、教職員側の出勤者は校長、教頭を含む農業科の職員、自習職員十四人、事務職員ら十六人と県教委が派遣した指導主事十七人で普通科教員はゼロ。このため、正規の授業は不可能になり、一時限目はホームルームに切り替えて生徒だけで学習方法などを討議、二時限目は各教室の清掃を行った。
    このあと、生徒はホームルームの討議を元に、クラス委員長会、ホームルーム委員長会、代議委員会と文化、運動部などの部長会を並行して開き「われわれの手で学園の正常化を」と午後からも話し合いを深めた。しかし、生徒の多くは午前中に下校し、授業再開への道の遠さを見せつけた。

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    神戸新聞が報じた八鹿高校事件(1)

    神戸新聞 1974.11.23
    地元兵庫県の神戸新聞は、事件翌日の1974年11月23日の朝刊の社会面で中程度の記事で伝えていますが、その日の状況を生々しく記述しています。以下、第一報の全文を引用します。

    見出し: 「解放研と教師対立 数人ケガ授業できず 同和教育めぐり 八鹿高」
    兵庫県養父郡八鹿町の県立八鹿高校(珍坂邦巌校長)で、同和教育、サークル活動の部落解放研究会のあり方をめぐって、教師側と解放研の生徒や部落解放同盟などの八鹿高差別教育糾弾闘争共闘会議(丸尾良昭議長)が対立。解放研のメンバー二十一人が二十一日午後からハンストに入っていたが、さらに二十二日朝、一斉に休暇届を出し下校しようとした教師集団と、止めようとした共闘会議の間でトラブルが起き、八鹿署の調べで教師ら数人がケガをした。
    同署の調べでは、同日午前十時ごろ「同町新町の路上で教職員二十-三十人が解放同盟の百人ぐらいに囲まれ、ケガ人が出ている」と一一〇番があり、同署員が出動したが、すでに教師、共闘会議のメンバーらは同高体育館へ入っていた。このあと同署は公立八鹿病院で手当てを受けている教師ら数人を確認、県警本部へ連絡するとともに但馬各署へ応援を要請した。同高では、夜に入っても教師への確認会が続き、共闘会議は決起集会を開いた。
    一方、同校の生徒ら数百人が「暴力反対」を訴え町内をデモする動きもあり、県教委職員、父兄らともみ合う場面もあった。結局、生徒らに丸尾共闘会議議長が「事実をよく見てほしい。暴力はいけないが、この起きた背景にこそ部落差別がある」と呼びかけ、同盟役員らが「八鹿高生徒が喜んで授業できるように話し合っていこう」とアピール。生徒らは改めて「暴力反対」を決議したあと夜になって解散した。
    また兵高教組(吉冨健二委員長)は同夜「教育の問題は外部の圧力で解決すべきでない。全教職員が一刻も早く教育活動の自由を取り戻せるように望む」と声明を出し、県教委、警察に要請した。
    同高では以前からサークル活動として部落研があったが、新たに今年七月解放研が結成された。解放研側は教師側に「正式の活動サークルとして認めよ」という要請を続けてきたが、校長、教頭を除く教師側は「解放研は外部の指導によってつくられたもので、学内活動のサークルと認められない」という態度をとってきた。解放研側は今年十八日朝、三項目の要求を出し、二十余人の生徒が職員室前で座り込みを始め、二十一日から解放研の二十一人がハンストに入った。
    解放研の教師側への要求は(1)解放研の顧問(現教頭一人)をさらに三人つけること(2)解放研と先生との話し合いを持つこと(3)現在の同校同和教育は、部落の解放とすべての生徒の幸せにつながっていないこと-を認めること。
    これに対し教師側は職員一同の名で(1)解放研の性格は運動体の一環で、そのまま学校教育の現場に受け入れることはできない。(2)外部の圧力がかかっている状態で生徒と話し合うことはできない(3)話し合いは解放研結成以前の状況に戻すことが先決-としている。

    なお、八鹿高差別教育糾弾闘争共闘会議の丸尾良昭議長は、後の刑事裁判で、この事件の主犯格として懲役三年、執行猶予四年の判決を受けています。
    翌日24日の朝刊の社会面には、「36人が入院 八鹿高校事件」という見出しで小さな記事が載っています。その中で、八鹿署の23日午後3時半の発表として「ケガ人の実数は、まだ十分つかめていないが、八鹿病院で診察を受けたのは先生ら四十三人とハンストの二十一人。うち先生ら二十八人、ハンストの生徒八人の入院を確認しているが、重軽傷別は不明」としています。
    そして、25日月曜日の夕刊では、「八鹿高校事実上の休校状態 生徒らほとんど登校せず」という小さな記事で、授業再開を予定していたにもかかわらず、生徒が数百人、先生は数人しか登校しなかったことを伝えています。また、公立八鹿病院の説明として「二十四日夜の時点で、セキ椎骨折などの重体一人、治療一-二ヶ月の重傷者七人、あとの先生は治療十日から三週間」と伝えています。
    以後、神戸新聞は小さな扱いでしたが、事件の続報を伝えました。

  • 26日夕刊 – 生徒会が正常化へ三要求
  • 27日朝刊- 八鹿問題で共産党代表が兵庫県に申し入れ
  • 27日夕刊- 45人ケガ 入院28人
    28日以降、全国紙が沈黙した後も、事件は終わっていませんでした。八鹿の長い日はまだまだ続きます。
  • 日本海新聞も報じなかった八鹿高校事件

    米子市民による身元調査差別事件で、私はその米子市民が「(部落解放同盟の)裏の組織が殺しに来る夢をみた」と言った事が本当に差別であるかどうか、疑問を呈しました。その引き合いに出したのが、八鹿高校事件です。
    八鹿高校事件とは、兵庫県八鹿町(2004年4月1日に合併により養父市に編入)の県立八鹿高校で起きた、同和問題に絡む大規模な暴行・監禁・傷害事件です。この事件では八鹿高校の48人の教職員が重軽傷を負い、後の刑事裁判で暴行を行った部落解放同盟側の13人の刑が確定しています。
    この事件については、同和利権の真相(4)で詳しく解説されています。事件の内容についてはその本を見ていただくとして、鳥取ループでは当時その事件がどのように報道されたかに的を絞って書くことにします。
    この事件について特徴的なのは、被害者の多さと、陰惨な事件が高校という教育の場で行われたと言う重大な事件にも関わらず、マスコミでの扱いが非常に小さかったことです。同和問題というのは最大のタブーと言われますが、確かにマスコミが同和団体にからむ事件を報道することを避けていたことがうかがい知れます。しかし、一般のマスコミが完全に黙殺していたわけではありません。
    毎日新聞 1974.11.24事件の2日後の1974年11月24日の毎日新聞は、社会面に「教諭ら43人けが」「兵庫県八鹿高 同和教育めぐり紛糾」という見出して、中程度の大きさの記事を出しています。
    記事では、部落解放同盟側の約100名と、八鹿高校教諭約60名がもみ合い、43人が負傷、28人は入院した(八鹿署調べ)と報じています。また、背景として、八鹿高校側が「部落解放研究会」をサークルとして承認しなかったことから部落解放同盟側と対立していたことが報じられています。
    読売新聞 1974.11.25また、読売新聞は事件から3日後に、社会面で「警察署長を告発」「兵庫県高教組 同和教育めぐる紛糾」という見出しで小さな記事を載せています。記事の要旨は毎日新聞とほぼ同じですが、ここでは負傷者39人、28人が入院となっています。
    読売新聞は26日の記事で「事実上の休校に 八鹿高」という見出して続報を載せ、負傷者を44人、27人が入院と数字を訂正しています。そして、2827日は「八鹿高正常化へ」という記事が載せられています。いずれも、社会面で小さな扱いです。
    3大紙の中で唯一朝日新聞は一切報じませんでした。
    また、鳥取県のローカル紙である日本海新聞山陰中央新報も当時、この事件を全く報じていません。
    赤旗 1974.11.23一方、部落解放同盟と対立関係にある日本共産党の機関紙赤旗は、連日大きな扱いで報道しました。全国紙が2日または3日後に事件を報じたのに対し、赤旗は翌日に「朝田一派 教師に血の集団リンチ」「5人重体、38人重傷」と一面で報じています。
    一般紙の中でも、赤旗ほどではありませんが、事件を比較的詳しく報じた新聞がありました。神戸新聞です。次回は、神戸新聞の内容を中心に、当時の報道を詳しく見てゆきます。

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    「部落差別」条例に抵抗した兵庫県

    鳥取県の全ての自治体が「部落差別」条例で埋め尽くされてしまった頃、隣の兵庫県でも部落差別撤廃のための条例を制定する運動が進められていましたが、兵庫県はこれに抵抗しました。1995年5月12日、兵庫県地域改善局が、兵庫県黒田庄町(今年10月1日に西脇市と合併)で制定が進められていた「部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例」についての問題点をまとめた文書を出しています。非常に興味深い資料ですので全文掲載します。
    なお、部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例の原案も参照してください。

    「部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例」の問題点等について
    第一 全体
    一般的に条例の制定に当たっては、(1)目的の把握(2)現状の分析(3)効果の検討(4)体系上の検討の点に留意する必要がある。
    黒田庄町の条例は、この点につき「町民一人ひとりの参加による人権を尊ぶ町づくりと、明るい地域社会の実現に寄与すること」を目的として制定するものであるが、その目的を実現するために、条例制定以外に方法がないか否かを慎重に検討する必要がある。
    まず、部落差別を含めて他の差別についても多くの課題が残っていると言う前提に立っているが、その課題を解決するために、果たして対象地域や対象者の固定化という危険を犯してまで、特別対策としての条例を制定する必要があるのか疑問である。在日外国人、障害者、女性については一般対策でも実施しており、特別対策として実施するだけの理由が見出せない。
    また、目的を実現するための施策が、部落差別だけでなく、あらゆる差別にまたがっているため、差別(定義が明らかではないが)を前提とした施策は、非常に広範囲のものとなり、町は大きな財政負担を強いられることが予想される。それに、これらの施策の中には、町独自の権能では実施しえず、国及び県の協力が必要なものがかなり含まれているため、今の状況では、町独自の条例を制定してもその効果については、はなはだ疑わしいと言わざるを得ない。結局、人権意識の高揚を図るための啓発活動が中心となってくることが予想されるが、これについては、敢えて条例を制定してまで実施する必要性があるのか疑問が残る。むしろ、人の心の問題を、条例で規定しても実質的な効果は上がらないと考えられるため、条例制定の意義は薄い。
    第二 逐条
    1 名称
    (1) 「あらゆる差別」といった抽象的、包括的な名称は、一般的には使用しない。
    (2) 差別の定義が明らかでない中で、条例を制定することに無理がある。
    (3) 部落ということによって、法失効後も対象地域及び住民を固定化させてしまう。
    (4) 「部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする」というのは、日本語になっていない。
    2 前文
    (1) 同和対策事業を推進してきたのは、国と地方公共団体であって、住民(町民)ではない。住民は事業の推進に協力してきたものである。(同対法第3条、地対法第2条第3項)
    (2) 環境改善などを中心に大きな成果を上げてきたのなら、今後特別対策として実施するだけの必要性はないと考えられる。
    (3) 多くの課題が残されているとは言うが、具体的にどのようなものが残っているのか疑問である。
    (4) 啓発事業の推進等のソフト面以外にも、ハード面での課題が残されているのか疑問がある。県としては、法失効後は少なくともハード面での課題はないと考えている。
    (5) 差別のない明るい地域社会の実現とは、いかなる状態を意味するものであるのか不明である。これにより、条例は恒久のものとして残ってくる恐れがある。
    3 第1条(目的)
    (1) 「部落差別」と「あらゆる差別」の関係が不明である。
    (2) 根本的に差別をなくすということの、意味が不明である。
    (3) 差別の定義が明らかでない中で、町民一人ひとりの参加による人権を尊ぶ町づくりは不可能と考えられる。
    4 第2条(町の責務)
    (1) 「必要な施策」が明らかにされていないため、目的達成のためには、町はあらゆる施策を講じる責務が生じる恐れがある。
    (2) 「必要な施策」を推進することにより、新たな組織、これによる人員増等が予想されるが、これに対して町が新たに財政措置を講じる必要が生じる。
    5 第3条(町民の責務)
    (1) 「差別」についての明確な規定がなく、しかも「差別」かどうかを具体的に判断する機関(者)が不明な中で、町民にあらゆる差別をなくするための施策への協力を求めることはできない。
    (2) 人権意識の高揚に努めることは、町民の主体性において行われるべきものであって、条例で努力義務を課するのは適当でない。
    6 第4条(施策の推進)
    (1) 何の目的を達成するのか不明である。
    (2) これまでの同和対策の経過の中で、特別対策を真に必要なものに限定してきたにもかかわらず、生活環境の改善、社会福祉の充実、教育文化の向上及び人権擁護等の施策を網羅的に特別対策として実施することの必要性があるのか疑問がある。また、これにより新たな財政措置が必要になってくる。
    (3) 第2条の必要な施策を具体化したものが、第4条になっているのか疑問がある。
    7 第5条(実態調査)
    (1) 地域改善対策事業は25年間実施してきており、同町においても着実に進展がみられる。かかる状況下で、今後とも調査する地域の特別な事情があるのかどうか疑問がある。
    (2) 部落差別以外のあらゆる差別についても調査することになるが、果たしていかなる調査が実施できるのか。また、その結果を踏まえて町としてどのような施策を講じることができるのか疑問である、
    (3) 調査対象者を特定する必要があるため、調査することによって、かえって人権侵害を生じさせかねない。
    8 第6条(啓発活動)
    (1) きめ細かな啓発活動事業の取り組みは、現在でも啓発委託費、補助金等を通じて実施しており、これ以上の取り組みが必要なのか疑問である。
    (2) 「差別を許さない」という文言は、県では昭和46年から52年まで使用していたが、昭和53年以降は使用していない。これは、同和問題を許すとか許さないとかの対立的な考え方でとらえるのではなく、県民が一体となって努力していくことを目ざすという考えに立ったものであり、現在は「差別をなくそう」という文言をしようしている。
    (3) 差別を許さない社会的環境の世論づくりを促進するということの意味が不明である。
    9 第7条(推進体制)
    (1) 条例の制定に国及び県が反対している状況で、町との連携を強めることはできない。
    (2) 人権関係団体等とは、いかなる団体を意味するのか疑問である。また、このような団体と連携を強めることによりいかなるメリットがあるのかも疑問である。
    10 第8条(審議会)
    (1) 審議会を設置する以上、明確な目的、必要性がいるが、差別の定義が明らかにされていない状況では、設置そのものに疑問がある。
    (2) 敢えて審議会を設置しなくても、現実には議会等の中で審議がされているものと考える。

    結局兵庫県の自治体では「部落差別」条例が作られることはありませんでした。兵庫県は1974年に八鹿高校事件という部落解放団体にからむ大規模な暴力事件を経験しており、部落解放という大義名分だけで特定団体と行政が癒着すれば、深刻な事態を引き起こすということを住民も行政もよく認識していたと思います。

    鳥取県民に「通報」された代ゼミ講師

    鳥取県人権救済条例は鳥取県内よりもむしろ県外で物議を醸している感があります。特に県外人の怒りを買ったのは、人権侵害の救済又は予防の申し立てをできる条件に関する、次の「県外条項」です。

    13条3項(5) 申立て又は通報の原因となる事実が本県以外で起こったものであること(人権侵害の被害を受け、又は受けるおそれのある者が県民である場合を除く。)。

    これは、原則として県外での申し立てを除外しておきながら、被害者が県民である場合は県外での事案も申し立てできるということです。逆に、県民以外の人が県外で人権侵害を受けた場合は申し立てができないという、不平等な内容です。鳥取県民が一方的に、他県での人権侵害を取り締まることができる、可能性があります。
    他県民が鳥取県民に「取締り」をされるということが起こりえるでしょうか?実は、その可能性は非常に高いと言えます。
    最近、代々木ゼミナールで「差別講義」があったとして、部落解放同盟が「確認会」を開いています。以下がその件に関する解放新聞の記事の内容です。

    代々木ゼミナール予備校講師差別発言事件の確認会を11月26日午後、東京・中央本部でひらいた。これは、代々木ゼミのY講師(古文担当)が講義のなかで「エタ・ヒニン」発言をおこなったもの。この日の確認会ではY講師は発言の事実を認めた。代々木ゼミ側には、差別講義はたまたまのものではなく、人権教育や研修すらおこなってこなかった代々木ゼミ側の体質に問題があることを指摘、改善へ向けてそれを明示することを求めた。
    Y講師の発言は、「鑑別所にランクってあるんです……俺なんか暴走族の特攻隊長のとき、入ってんだよ。鑑別所に入った瞬間に、天皇陛下級なの、ほんとに……レイプとかな、強姦なんかで入っちゃった日にゃ、な、エタ・ヒニンだ。ほんとに」などの発言を、以降も講義のなかで計5回くりかえしたもの。Y講師は、発言が問題だと指摘されたあとの講義でも、「おわびする」と語っただけだった。
    確認会でY講師は、「エタ・ヒニン」の意味は不明だが、小学生頃に知り、使っている、としたが、講義での使い方が、序列をあらわす差別的な使い方をし、人間以下という意味をもたせている点を指摘。自身の掘り下げと反省などを文章にして05年2月中旬までに提出することを求めた。
    代々木ゼミ側には、一連の問題が生徒の側からの指摘であることなど、人権教育や啓発、研修すらしてこなかった体質の間遭を指摘し、見解と今後の体制づくり、などを示す文章を2月中句にまで提出することを求めた。
    確認会には、Y講師、代々木ゼミ側から高宮英郎・法人総括本部長、松田不器穂・東京本部副校長など6人が、解放同盟から谷元書記次長、問題を最初に指摘した鳥取県連の中田幸雄・委員長、山田幸夫・書記長はじめ4人、長谷川三郎・東京都連書記長が出席した。

    さて、なぜ東京の確認会に鳥取県連の中田幸雄・委員長、山田幸夫・書記長が参加しているのか疑問が湧くところですが、実はこの件の発端は鳥取県民の「通報」によるものだったからです。差別発言があったとされる講義は衛星放送で全国に放送されており、講義を見ていたある鳥取市民から部落解放同盟に報告が来たというのが事の発端です。
    鳥取市など、県東部での同和教育の実態はこのブログでも紹介しましたが、その中で身近な差別を報告するように教師から求められます。私も小学校で、そのような教育を受けました。県民の方で「周囲で差別はないと言ったら、教師から『お前は差別を見逃すのか』と言われて殴られた」という証言もありました。こういった教育を行っている限り、ゼミの講師が生徒から通報された、といった事は今後も起こる可能性があるでしょう。
    ちなみに、記事に出てくるY講師は、代ゼミの名物講師で非常に有名な方なので、誰なのか想像が付く方もいらっしゃるでしょう。Y講師はあまり部落問題とは馴染みがない神奈川県の方なので、「エタ・ヒニン」という言葉にやたらと敏感な鳥取の感覚で差別者だと言うことがそもそも間違いな気がします。
    1人の発言から、全員もそうだと言いがかりをつけ、さらに集団の体質の問題として人権教育や研修のような対策を求めるというやり方は、50年以上も前のオール・ロマンス事件の頃から全く変わっていません。行政・企業もこういったやり方に対処する方法を学ぶべきでしょう。
    ちなみに、代々木ゼミはこの確認会の後も同じ講義を衛星放送で流していたそうです。

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    続・鳥取市は「解放同盟」市か?

    前回の鳥取市人権推進課へのインタビューの続きです。
    Q. 鳥取では、いわゆる同和関係者に対する融資制度が存在しますね?
    A. まだ就職支度金といった制度は生きているようです。
    Q. 鳥取市住宅新築資金等貸付条例については?
    A. 現在は償還分だけになっています。それが終わらない限りは条例をどうこうするわけにはいきません。
    Q. 研修で元号は天皇制を認めるから使わないといった指導がされているようだが。
    A. 行政側は元号を使っているので、行政が直接行う研修ではそれが生きてくると思う。任意団体では、西暦について指導があるようだが、天皇制を認めるから、といったことについては把握していません。
    Q. 鳥取市の研修に部落解放同盟の方は関わっているのか?
    A. 運営に関わっているということは、実態的にはあると思います。
    Q. 部落解放同盟は綱領で天皇制を否定しているが。
    A. そこが直接主催してということであればそうなのかも知れません。ただ、どこかの任意団体に運営役員として入っているという場合は任意団体そのものの考えの範囲でやるので、部落解放同盟がこうだから、その任意団体もそうだというのは違うと思います。
    Q. 冊子の最後に「いつごろ差別はなくなるの?それは、あたなに聞きたい…。」と書いてあるが、あなたとは鳥取市民のことか?
    A. 市民対象の冊子なので、そういう意味では市民と言うことになるんでしょうが、個人個人の意識が変わることによって差別がなくなるんですよ、という意味合いを込めたものです。
    Q. 行政側として解決のスケジュールは出しているのか?
    A. 同和対策総合計画に基づく実施計画等というのは当然定めており、それはそれで一定の効果をあげてはいるが、実際に差別事象というのは起こっているわけですよ。それが起こっている限りはなくなっていないわけですよね。本当はすぐに差別をなくしたいんですが、なくなっていないので継続している。
    Q. いつになったら、差別がなくなると判断するのか、見通しはあるのか?
    A. 見通しは立っていないと思いますね。
    Q. 冊子の12ページに学歴主義や能力主義や戸籍制度が部落差別を生み出す背景だといった意味合いのことが書かれているが、差別の解消と言うのはそれらをなくすことなのか?
    A. (15秒ほど沈黙)…
    Q. これらがあっても部落差別はなくなるということなのか、これらをなくさないと部落差別もなくならないということなのか?
    A. 戸籍制度と書いてありますか?
    Q. 戸籍制度や「家」を単位とする諸制度と書いてあります。
    A. (30秒沈黙)…戸籍制度を否定するのではないんで…(30秒沈黙)…身元調査やそういったものに関連して戸籍を取ることが容易であったことがあるわけですね。…スペースの関係で誤解を与える表現になってしまったかも…
    Q. 学歴主義や能力主義をなくす、というのも不可能だと思いますが?
    A. 弱者を排除するような、ということで考えていただきたいです。
    Q. こういった内容について、行政内で異論がでるようなことはないのか?
    A. 今のところ、異論や抗議を受け付けたということはないです。一応冊子を作る過程では検討委員会を作り、専門研究者などの外部の意見を取り入れて作っています。
    Q. 鳥取の役所というのは、部落問題や人権問題について自由に意見できる雰囲気はあるのか?
    A. 市も職員研修をやっておりまして、その中でグループ討議をしており、「実は私は以前は差別的な考えもあったんだけども、研修を受けるうちにこうやって変わってきたんだ」といった意見が聞かれたりします。それは自由に、討議をできるような環境にはあると思います。
    Q. 否定的な意見は出せる雰囲気なのか?
    A. 冊子などを他の課に配ったとき、ここはどうなんだ、といった意見が入ってくることもあるので、そういった指摘を自由にできる雰囲気にはあると思う。


    ちょっと田中康夫ばりの質問をしてみましたが、反応は予想通りでした。「学歴主義や能力主義や戸籍制度が部落差別を生み出す背景」と書かれていることについても、しどろもどろになるだけで、まともな回答は得られませんでした。
    「自由に意見できる雰囲気はあるのか?」という質問で、グループ討議を出しています。おそらく、私の予想が正しければ、グループ討議というのは、とても自由に意見できるものではないでしょう。私の中学の頃の同和教育のグループ討議というのは、教師の指導に対して否定的な意見を言えば、周囲の冷たい視線を浴びながら、延々と説得されるといったものです。
    先日は鳥取市解放大学についてコメントをいただきました。「リーダー養成講座」というちょっと怪しげな名前の講座です。これもおいおい調べてみようと思います。

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