公共工事の入札で特定団体を優遇する制度

つい最近、今年の2月1日から2月3日に鳥取県が施行した入札制度に、特定団体を優遇する内容が盛り込まれていることが明らかになりました。平成18年2月3日付けで施行された、「鳥取県建設工事入札参加資格者格付要綱」(以降「格付要綱」)に関連する要綱がそれです。
公共工事の入札に参加できる企業の格付けは点数制になっています。当然、点数の高い業者は入札に参加できる機会が多くなり、公共工事を受注できる機会も多くなる、ということになります。
鳥取県の場合、この加点条件の中に「人権問題や同和問題に関する研修」というのがあります。以下、格付要綱から関連する部分(第4条第3項第3号)を引用します。

(3) 研修受講による加点(30点を限度とする。)
格付日の属する年度の前年に行われた次のいずれかの研修(県土整備部長が指定するものに限る。)の受講者(別に定めるところにより受講効果が認められた者に限り、イの研修にあっては、有資格者の常勤役員(有資格者が個人の場合は、代表者)に限る。)の所属する有資格者について、別に定めるところにより算定した点数
…(省略)…
ウ 人権問題や同和問題に関する研修、その他建設業者の経営幹部と実務従事者の両方が受講するのが効果的な研修

そして、附則として次のことが書かれています。

3 平成19年度及び平成20年度の格付においては、第4条第3項第3号中「30点」とあるのは「30点(部落解放鳥取県企業連合会の会員である有資格建設業者にあっては、33点)」とする。

つまり、「部落解放鳥取県企業連合会」の会員企業には通常の点数よりもさらに3点加点することができる、ということです。
では、「県土整備部長が指定する」研修とは何なのでしょうか?「鳥取県建設工事入札参加資格者格付要綱における県土整備部長が別に定めるものについて」という文書には、人権・同和研修は「部落解放鳥取県企業連合会」によるものが指定されています。加点数については、「常勤役員(監事は含まない)が受講した場合3点、その他の職員が代理受講した場合1点」とされています。
さて、度々出てくる「部落解放鳥取県企業連合会(以降「連合会」」とはいったい何なのでしょうか?
当の団体に問い合わせたところ、入札に関する研修は連合会の会員のみに対して行っているということでした。では、「会員になるにはどうすればよいか?」という問いに対しては、「住所とか企業名とかをお聞きした後でのお話になります。」とのことでした。
複数の県内企業関係者などの話では、この団体は鳥取市幸町の中央隣保館(解放センター)にあります。会員になった企業は同企連同様、規模に応じて会費を支払う仕組みになっている、ということでした。
そこで、取材目的であることを明らかにし、再び連合会に問い合わせてみました。
私) 所在地は幸町の解放センターなのでしょうか?
連合会) ちょっとお待ちください… (保留) その取材の目的は何でしょうか?
私) 入札制度の文書に貴団体の名前があったので、どういった団体か確認したいのです。
連合会) そういうのは行政がやってることですし、そちらの方にお尋ねください。
もちろん、行政に問い合わせてみました。それに関しては次回お話するとして、鳥取県の入札制度をもう少し見てみましょう。
県土整備部の指名競争入札に関する「鳥取県県土整備部建設工事指名業者選定要綱」の採点基準には、「地域貢献度」という項目があります。以下、それに関する別表の第8項を引用します。

8 地域貢献度(-10以下は-10とし、10以上は10とする。ただし、所管県土局の長が次の④の加点項目について5点以内の加点を行う場合は、当該加点に限り、10を超えて行うことができる。)

そして、その加点項目というのは以下の通りです。

①緊急時の除雪、災害復旧への協力
②公共的な活動への主体的な参画
③発注工種と同種の工事の良好な施工
④同和問題解決への積極的な取組
⑤その他公共の福祉や地域の振興に貢献する行為

ご覧の通り、「同和問題解決への積極的な取組」をしている企業には余計に5点が加点されるしくみになっています。
では、「同和問題解決への積極的な取組」とは何を意味するのでしょうか?そのことは「鳥取県県土整備部建設工事指名業者選定要綱の施行について」という文書に詳しく書かれています。

6 別表の第8項関係
地域貢献度による採点は、各発注機関が、その地域の年々の実情に応じて定めるものなので、発注機関により内容に差異があっても差し支えはなく、必ずしも全項目について網羅的に定める必要もない。ただし、できるだけ客観的な基準により採点することとし、独自の取扱いも合理的に説明できる範囲で行うこと。なお、加点項目の④については、例えば次のような基準が考えられる。
(規定例1)
部落解放鳥取県企業連合会が実施する建設業者のための研修(○○県土整備局長が指定するものに限る。)を受講した同会の会員である有資格者については、歴史的・社会的事情によりその中でなければその者は受注が困難と認められる区域(その者について○○県土整備局長が指定する区域とする。)内で施工される対象工事に限り、5点を加点する。
(規定例2)
部落解放鳥取県企業連合会が実施する建設業者のための研修(○○県土整備局長が指定するものに限る。)を受講した同会の会員のうち、当該年度において同種県工事の請負契約を未だ締結したことがない有資格者については、5点を加点する。

またも「部落解放鳥取県企業連合会」が出てきました。
実は、鳥取市の公共工事にも同様の制度があります。これについても、次回で引き続き採り上げます。

隣保館職員の「オリエンタルラジオ」ネタ

あつまれヨン!

鳥取県において隣保館というのは地区の実態を把握したり、同和教育にも関わるなど、同和行政の最前線にある施設です。県外では解放会館、あるいは人権センターと呼ばれることもあります。また、地域にもよりますが、鳥取では隣保館は解放同盟と密接な関係があり、隣保館の館長の多くは解放同盟員という実態があります。
ある方から、鳥取県内の隣保館職員のホームページ上での発言について、行政職員として問題があるのでは、というご意見をいただきました。「あつまれヨン!」というサイトで、現在は既に削除されています。
これは解放同盟の青年部のためのサイトだったのですが、その掲示板に、サイトの運営者の名前で以下の書き込みがありました(個人名、地名は伏字にしてあります)。

元記事: 06/01/24 00:25
◆☆武勇伝☆
by ■■■
みんなでいつものやったげて!
おぅ!聞きたいか吾々の武勇伝☆
そのすごい武勇伝をゆったげて!
吾々の伝説ベスト10!!
レッツゴー!!
2: 06/01/24 00:38
◆武勇伝 武勇伝 武勇でん でん ででん☆
by ■■■
クラスで社会的立場学習する☆
すごい!クラスの五分の四がきょうだいです!
武勇伝 武勇伝 ■■の武勇でん でん ででん でん♪
3: 06/01/24 00:51
◆武勇伝 武勇伝 武勇でん でん ででん でん☆
by ■■■
同対事業で道広げる☆
すごい!いまじゃあっちの方が道狭い!!
武勇伝 武勇伝 ■■の武勇でん でん ででん でん♪
レッツゴー!!
4: 06/01/24 01:02
◆武勇伝 武勇伝 武勇でん でん ででん でん☆
by ■■■
車でドライブ!
ここは気をつけてと教えてくれる
俺もそれだよとカミングアウト!
武勇伝 武勇伝 ■■の武勇でん でん ででん でん♪
レッツゴー!!
5: 06/01/24 01:12
◆すごいよぉ~
by ■■■
すごいよぉ~
吾々すごいよぉ~
あっ!お祭りだ!!
獅子舞がやってくる!
次はうちの番だね☆
あれ?向こういっちゃうよ?
しゃらくせぇ!!!!
(ノ-”-)ノ~┻━┻
なにすんだよぉ!
俺らは氏子(うじこ)に入れてもらえないんだよ!!!
獅子舞 踊らず、自分で踊った☆
でもそれって盗んぢゃった?
武勇伝 武勇伝 ■■の武勇でん でん ででん でん♪
レッツゴー!!
6: 06/01/25 19:38
◆武勇伝 武勇伝 武勇でん でん ででん でん♪
by ■■■
★:改良事業で田んぼを
  潰して住宅地に☆
☆:一番反対した人は
  同推協の会長さん!?
武勇伝 武勇伝 武勇でん でん ででん でん☆
レッツゴー♪
7: 06/01/28 09:53
◆レッツゴー!!
by ■■■
★:ラーメン屋のバイト
  の面接☆
☆:すごい!
  苗字をいったら落と
  された!(゚ロ゚ノ)ノ
武勇伝 武勇伝 ■■の武勇でんでん ででん でん
レッツゴー♪
8: 06/02/07 18:47
◆レッツゴー!!
by ■■■
☆:すごいよぉ~♪
  吾々すごいよぉ~♪
☆:あっ!
 ■■■ダディだ♪
 なにしてんだろ!?
★:当時22歳のダディ
 だね!
 あれは母上の誕生日
 にケーキを持って行
 ってるところだ!
☆:あれ!?シャッターを
  降ろされちゃったよ!
★:しゃらくせぇ~!!
(ノ-”-)ノ~┻━┻
これが部落差別だ!!
★:玄関入れず、ケーキ
 を置いて帰る♪
☆:すごい!
 毒入りケーキと間違
 われた!!
武勇伝♪武勇伝♪■■の武勇でん でん ででん♪
レッツゴー!!

行政職員が同和問題をネタにオリエンタルラジオの「武勇伝」をやるというのも凄いのですが、興味深い記述もあります。
クラスで社会的立場学習する、というのは「立場宣言」のことを指すと思われます。この隣保館のある校区の学校でも立場宣言が行われていました。
獅子舞の獅子を盗んで踊ったというのは、戦前の話です。鳥取のとある地域では、獅子舞が同和地区だけを素通りする慣行がありました。そのことを改めるために同和地区住民が神社に話し合いをもったのですが、聞き入れられませんでした。そこで青年が獅子を盗んで踊るという強硬手段に出て、次の年からはその地区でも獅子舞が舞わされるようになったという出来事です。鳥取の部落問題関係の冊子には時々この逸話の記述が見られますが、当の地域住民にとってはあまり触れられたくない過去というのが実情のようです。
それにしても、「同対事業で道広げる」というのは、当の行政職員も同和地区と地区外の逆転現象を認識していたということでしょうか?同推協の会長が改良事業に反対したというのは何のことでしょうか?
サイト管理者である職員本人に連絡をとり、サイトに対する批判があったことを伝えると、当日のうちに突然サイトが削除されました。後日、匿名を条件に情報提供を求めたのですが、「同推教の会長とはどこの同推教のことか?」といった質問に対し、「そういったことにはお答えできません」と答えています。

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同和地区児童のカミングアウトが行われている証拠

平成13年度 第5回鳥取市政懇話会(第1部会)議事要旨より

1.日時
平成14年1月25日(金)午後3時から午後5時
2.場所
市役所本庁舎6階第3会議室
3.出席者
(第1部会構成員)
部会長:英 義人
須崎 俊雄、本多 享子、森本 幸子、山田 幸夫(欠席)西川 真也
(鳥取市側)
同和対策課 三浦課長、綾木課長補佐、角野企画員
同和教育課 中嶋課長
4.議事経過
「鳥取市同和対策総合計画について」

○部落宣言を行う子どもはいるのか。
→ずっと以前は同和地区の子どもたちだけが宣言しているだけであったが、今は、それぞれがどういう立場で差別をなくしていこうとしているかを見つめていくべきではないかという観点から、自らのおかれた社会的立場の自覚を深める取組みをしている。宣言することが目的ではなく、地域や学校での違いはあるが、ある程度は自分たちの友達の中にも同和地区の人がいるということは小学校高学年になれば認識している。
○そういう取組みなどを親が十分認識しているのか。
→保護者には説明しており、その会に来られない方には、懇談等で説明したり家庭訪問するなどして理解を求めている。

○部落宣言の話があったが、それを知らしめる必要性が本当にあるのか。人権という概念の中で人を人として尊重し合うことができれば、それは関係ないのではないか。あえて、分かることが必要なのか。
→子どもたちがどういう場面でどういう行動をしないといけないかということを確認していく必要がある。自分が差別を受けるかもしれないという立場で差別に向かうか、或いは、自分が知らず知らずのうちに差別してしまうかもしれないという立場で差別に向かうかは、それぞれ自分の立場を理解しているかどうかで大きく違ってくるものと思われる。

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鳥取県における同和保育とは?

前回に引き続いて「同和保育」について採り上げます。
同和保育は同和教育同様に、同和地区の低学力問題対策のために始められた、とされています。言わば同和教育を就学前教育にも拡張したものです。同和保育の歴史は同和教育よりも浅く、鳥取県からは1984年に初めて「同和保育の手引き」が発行されています。
しかし、同和教育とは異なり、同和保育の手引書には当初から過激な主張が入っていました。1984年の同和保育の手引きから引用します。

乳幼児の日常生活にも偏見や差別の影響が見られる。保育者自身が差別を見抜く鋭い眼をもたなければならない。子供の生活の中には差別はないというような先入観は捨て、乳幼児の生活の中にある親の生活や部落差別の結果としてのひずみを保育の課題として解消しなければならない。

同和保育といっても、当初から部落差別と戦う子供を育てることを目的とした「解放保育」でした。実際、「同和保育の目指す子供像」として、「差別を見抜き、差別を許さない子供」ということが挙げられています。そして、解放同盟との連携を示す記述もあります。

…同和保育の実践と推進は、部落解放へ向けての運動の一つといえるので、関係機関団体と連携し、家庭や地域社会の啓発に努めることが要請されていることを付言しておく。

この手引き書以前から「同和保育所」は存在し、1970年代に同和対策事業の一環として建設されました。以前の記事でも触れたとおり、同和保育所といっても同和地区住民専用の保育所ではなく、通っているのはほとんどは地区外の子供たちでした。私も同和保育所に通っていましたが、子供の目から見れば普通の保育所です(実際、私がそこを同和保育所だと知ったのはごく最近です)。
それでは、現在の同和保育はどうなっているのでしょうか?これは第28回全国解放保育研究集会の冊子から読み取ってみましょう。
集会のテーマに「差別の現実に学び」という言葉がありますが、これは1984年の手引書にも存在します。そういった根底の部分は変わっていませんが、「男女共同参画」「ジェンダーフリー」といったことが強調されているのが特徴です。子供を被差別者と見なす考えから、「子供」という言葉が漏れなく「子ども」に改められています。
基調提案ではいきなり「この国では人権は紙切れ同然のようで、先の通常国会では『人権擁護法案』ひとつ挙げることができませんでした。」といった記述があります。また、鳥取市の「部落問題はいま…」という冊子でも見られたような次の記述があります。

例えば、結婚を家と家との結びつきととらえ、どちらかが由緒正しい家柄、血筋なのかと釣り合いを問題にする考え方が今も根強く存在しています。この考え方が「同族主義」「民族主義」の意識をつくり、違うものを排除し差別するという関係を生み出す要因となってきたのです。

一方で、音楽や言葉遊びに関してつぎのような記述があります。

そして、反戦・平和への願いを保育の中に、さらに民族保育への取り組みを充実させることで、音楽という感性を伝える分野で表現をつくりあげてきました。

前後の文脈では触れられていないので分かりにくいですが、「民族保育」というのは実は主に朝鮮総連が行っている朝鮮民族としてのアイデンティティを保つ教育のことです。これこそ民族主義の極みなので、前後の記述が非常に矛盾しています。
ただし、この冊子は「同和」に関することだけでなく、一般的な保育全般も扱っており、最後に「差別の現実に学び云々…」とお決まりのような言葉が書いている以外は、普通の保育の現場に関する事例を扱った記事がほとんどです。お決まりの言葉もなく、同和保育の研究発表とは全く分からない記事もいくつかあります。冊子を見る限り、純粋な保育の研究が70%、イデオロギーが30%、といったところです。
最後にもう1つ、同和保育に関する重要なキーワードである「同和加配保母」について触れておきます。研究集会の冊子に、歴史的経過の説明として次の記述があります。

1973年10月鳥取市公立保育所 4園に1名ずつ同和保育加配保母を配置
(被差別部落の就労保障の1つとして地区出身者が採用される)

実は、このことは少なくとも2000年になるまで続いており、鳥取市議会で問題になりました。解放同盟により推薦された人は採用試験はするが、試験の点数に関係なく採用するという実態があったためです。
研究集会の資料によれば、1997年の時点で既に同和加配保母は一般施策に移行されており、「家庭支援推進保育士」となっていました。ただ、カッコ付きで「同和保育推進保育士」とも書かれています。
なお、鳥取市は解放同盟の推薦による保育士の採用は現在では行っていないとしています。

同和保育の研究会の冊子に狭山闘争の歌

第28回全国解放保育研究集会

昨年11月5日から7日、鳥取市で全国解放保育研究集会が開催されました。これはいわゆる「同和保育」の研究集会です。同和保育と言うのは元々、低学歴層の多かった同和地区の学力保障の1つとして始められたものです。もちろん、現在はそういった本来の目的からは外れてしまっています。
この大会は行政のバックアップのもとで行われました。鳥取市からは180万円の補助金が交付されていますし、県からも少なくとも100万円以上の補助が出ているようです。写真の冊子の冒頭には、全同教や自治労委員長と並んで、片山鳥取県知事、竹内鳥取市長、中永鳥取県教育長のあいさつ文が載せられています。
さて、その集会テーマは次の通りです。


『部落差別をはじめあらゆる差別の現実に学び、解放保育を創造しよう』
-保育所・幼稚園・地域、家庭すべてをジェンダー・フリーの視点で点検し、「男女共同参画社会」の担い手を育てる保育を創造しよう-

  1. 平和・人権文化の確立をめざし、「世界の子どもに平和と非暴力の文化をつくる国連10年」をすべての地域、保育所・幼稚園で実践しよう!
  2. 「子どもの権利条約」の精神を生かし、すべての地域で子どもの権利擁護システムの確立に向けて、「人権教育のための世界ぷろぐらむ」の取り組みを強化しよう!
  3. 地域の保護者組織の活性化をめざし、「子ども・子育て応援プラン(新新エンゼルプラン)」「次世代育成支援対策推進法」の具体化と、多様なニーズに応える子育て支援体制を確立しよう!
  4. 保育制度への市場原理の導入、公的責任の放棄に反対し、子育て支援体制を確立しよう!
  5. あらゆる差別と闘い、互いの違いを認め合う多文化強制社会を確立していこう!
  6. 石川一雄さんの生い立ちから学び、保育内容の充実・創造を進めよう!
  7. 全国各地に解放保育の輪を広げ、すべての地域で人権保育基本方針を獲得し、全国解放保育連絡会を強化しよう!
  8. 新たな解放保育行政の創造と部落解放・人権政策の確立をめざそう!

このように、非常に政治的な主張が保育の場にまで持ち込まれており、なおかつ偏向したものです。
6.の「石川一雄さん」というのは、狭山事件のことを指しています。もちろん、本来は保育とは何の関係もありませんが、解放同盟による狭山闘争は保育の場にも持ち込まれました
「部落解放・人権政策の確立」というのは、部落解放基本法、人権擁護法、そして話題の人権救済条例を推進する政治運動のことです。
この冊子の最後の方に「狭山の風を」という狭山闘争の歌が載っています。以下に引用しますので、ご覧ください。

少しの願いと 小さな幸せ
それだけでよかった
激しい怒り 自由の誓いを胸に秘め
今 私は見つめてる
真昼の暗黒を思わせる”あの日の事件”
どうして 事実調べができないのか!
どうして 証拠の開示がダメなのか!
吹雪の中 たたずむことしかできなくて
なんども思った 夢であったらいいのにと
氷を溶かしてくれる 暖かい
狭山の風を 風を吹かせたい
無くした時間と 戻らぬ青春
なにもいらなかった
君と歩く 自由の未来を胸に秘め
今 私は見つめてる
差別と偽りで綴られた”あの日の事件”
どうして 事実調べができないのか!
どうして 証拠の開示がダメなのか!
吹雪の中 信じることさえできなくて
かすかに聞こえた「一人じゃないよ」と呼ぶ声が
希望を運んでくれる 真実の
狭山の風を 風を吹かせたい

差別事件を考えるシンポジウム

差別事件を考えるシンポジウム冊子

去る2月5日、鳥取県民文化会館・梨花ホールにおいて、部落解放同盟鳥取県連が主催した「差別事件を考えるシンポジウム」が開催されました。この集会には藤井喜臣副知事が来賓として挨拶しています。人権救済条例について知事が凍結の方針を示すなど、微妙な時期での開催でしたが、特にこれといった混乱はありませんでした。

一民間団体の集会として行われたことですが、実態として鳥取県下の自治体によるバックアップがありました。解放同盟鳥取県連から自治体職員に対する参加要請があり、同和対策関連の部署から各職員に通知されています。また、当日現地では、大山町、伯耆町、湯梨浜町、江府町、南部町、琴浦町、倉吉市の車両が見られました。

当日の委員長挨拶、副知事挨拶、講演、パネルディスカッションを録音したファイルが、インターネット上で公開されています。
さて、この集会で配布されたパンフレットには、「鳥取県内であいつぐ差別事件一覧」として、2004年以降の「差別事件」が10件書かれています。以下、その一部を引用します。

(1) 旧関金町立関金小学校児童差別発言事件

発生年月日 2004年12月10日
発生場所 関金町立関金小学校
事件の内容 給食の準備中、6年生男子生徒A、Bがふざけている時にAが「お前の好きな人○○だら」と何度もしくこく言ったので、Bが「差別だ」と言うと、Aが「部落の人」とBに対して言った。Bは「先生に言ったるけんな」と言って担任のところに行った。Aは「ごめん、ごめん。ふざけていっただけ」と謝ったがBには聞こえなかった。(○○は個人名)

(2) JR大山町トイレ差別落書き事件

発生年月日 2005年2月28日
発生場所 JR大山口駅男子大便用トイレ
事件の内容 JR大山口駅男子大便用トイレ内壁面に10cm×23cm角で「○○町は部落だ皆で差別しよう エタ ヒニンだ!!」と黒のボールペンで書かれていた。(○○は米子市内の町名)

(3) JR米子駅男子用トイレ差別落書き事件

発生年月日 2005年5月3日
発生場所 JR米子駅男子大便用トイレ
事件の内容 JR米子駅男子大便用トイレ内の付け棚上面に黒いマジックで「0852-△△-△△△△ 柴 チョーセン殺せ」と書かれていた。(△△は電話番号)

他の7件の概要は次のようなものです。

(4) 2005年5月26日に鳥取県東京事務所に職員に同和地区出身者がいるかどうか問い合わせる電話があった。
(5) 2005年5月から6月にかけて、県立鳥取商業高校の校舎内に、「えた」「死ネ部落民学校祭ニ出テクンナ」などという落書きがあった。
(6) 2005年7月21日に倉吉の同和問題講演会のチラシに「人お差別する町(倉吉)」と落書きがあった。
(7) 2005年8月27日に倉吉体育文化会館に「同和の人間は汚い」などと書かれた投書がされた。
(8) 2005年9月13日にJR鳥取駅やJR智頭駅のトイレに「外人使うな」などと書かれた落書きがあった。
(9) 2005年11月15日に解放同盟鳥取県連に鳥取市河原町のある地域について、同和地区であるかどうか問い合わせる電話があった。
(10) 2005年11月から12月にかけて、鳥取市の鉄道記念公園に「四 エタ」などの落書きが書かれた。

全てについて、「差別身元調べ事件」「投書事件」などと「事件」と題目がついていましたが、事件と言うに値するようなものは1つもありません。

(1)については、自分も小学生の頃覚えがありますね。6年生と言えば、学校によっては「立場宣言」が行われ、誰が同和地区の子か分かります。同和教育で差別という言葉を叩き込まれるので、この事例に出てきたBのように、何かにつけて「差別だ」と言う人がちらほら出てきます。

(6)は「差別落書き事件」と書かれていますが、何が差別落書きなのか意味が分かりません。

(9)については、宅地の競売物件にからむ問い合わせだったとのことです。鳥取市の場合「被差別物件」というものが行政によって指定されていますが、この問い合わせの件に関しては「同和地区に住んでいる人や友達が、地区に住んでいることでいやな思いをしたことがあった」というのが理由のようです。これに関しては、非常に複雑で根深い問題がありますので、おいおい触れてゆくことにします。

智頭町広報の連載記事

「広報ちづ 平成18年3月号」
差別のない社会へ 282

~『差別事件を考えるシンポジウム』が開催される~

去る2月5日石)、鳥取県民文化会館の梨花ホールを会場に、部落解放同盟鳥取県連合会の主催による『差別事件を考えるシンポジウム』が1500人の参加者により開催されました。
このシンポジウムは、平成14年3月末をもって失効した「特別措置法」から今日まで、県内で80件を越える部落問題にかかわる差別事件が惹起しており、配慮して公にされていない結婚差別問題などの課題を含めればまさに氷山の一角であり、これらの差別事件の背景や課題を明らかにして、差別の原因に迫る取り組みや差別に苦しむ人々を救済する社会のシステムを確立しようと開催された集会です。
主催者を代表して、中田幸雄県連執行委員長のあいさつの後、(社)部落解放・人権研究所の友永健三所長による『差別や人権侵害に苦しむ人々を救済する社会システムを目指して』~鳥取県人権侵害救済推進及び手続きに関する条例制定の意義と課題~と題した講演では、昨年10月に全国で初めて制定された「鳥取県人権侵害救済条例」の歴史的な意義と共に、この条例の制定を求めて粘り強い運動を展開してきた関係者の努力に対し、まず敬意を表されました。その後、条例制定に至る主な経過や条例の内容、制定の意義などについて詳しく説明され、条例制定以降県弁護士会やマスメディアから寄せられている枇判に対して理論的な反批判をされました。
最後に、今後の課題として、県内における部落差別や人権侵害の実態を明らかにしていくことや条例の持つ積極的な意義を各方面に広めていくこと、人権侵害救済条例をよりよいものにしていくことの重要さを指摘されました。
『連続大量差別ハガキ(封書)事件の真相に迫る』のテーマで進められたシンポジウムでは、友永所長をコーデネーターに、部落解放同盟東京都連合会執行委員や鳥取県連合会執行委員など3名のパネラーが被害を受けた当事者として、ハガキや封書により送りつづけられた脅迫はがきの内容や被害者の名を騙った高価物品の送り付け実態、24時間に500件を上回る膨大なネットヘの差別書き込みなど550日も続き、家族もろともの「生き地獄」の毎日だったと語られました。
犯人は逮捕されましたが、東京地裁での裁判で、被告本人は事件をおこした動機について「大学卒業までエけ-ト街道を歩いてきたが、大学卒業後は自分が希望する職に就職できず、強いストレスを抱えた生活が続き、自身の抱えるストレス解消のために、図書館で読んだ本の著者であった見も知らずの被害者に向けて徹底的に部落差別をし続けた」と証言したそうです。
最後に、友永所長が「鳥取県人権侵害救済条例」は、基本的に評価されるものでありこの取り組みの全国化、国のレベルでの「人権救済法」の早期制定に向けて取り組もうと結ばれました。

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「在日韓国・朝鮮籍の人が日本に在住している歴史的背景」の指導

同和教育実践事例集(昭和55年8月)に載っていた倉吉市の中学生の作文です。これは倉吉市内の中学校の同和教育で使われました。

差別と区別

人間は誰でも裸で生まれる。15年前、名古屋で生まれたぼくもそうである。ところが、幼稚園に通うようになってから、不思議な経験をした。そこでやりとりされることばと、街で使われていることばが違っていたのだ。それがなぜ違うのかわからなかった。ぼくが通ったのは朝鮮人の幼稚園だった。小学校に入ったのは倉吉に移ってからだ。クラスメートはKというばくの姓を聞いてばかにした。ぼくはこの時初めて、自分が朝鮮人であることを知り、心の中を冷たい風が吹きぬけるのを感じた。
「どうしてばくだけが。」「この教室の中でなぜぼく一人が。」と悩んだことを覚えている。中学校に入ってからは、生徒会などでリーダーとして活動していることもあってか、からかわれることもなかった。かえって、友達から日本名で呼ばれると、違和感を感じたりした。しかし、それを違和感として感じるまでには朝鮮人であるばくがなぜ日本にいるのかを知らなくてはならなかった。
今、日本には60万人以上の朝鮮人がいる。これらの大部分は、満州事変後、日本の労働力不足を補うため、強制的に連れてこられた人々やその子孫である。ばくの家族もそうである。祖母と父と母、二人の妹とぼくをいれて6人家族。祖母は一世、父と母が二世、ばくと妹は三世だ。祖父母たち一世が若かった頃は炭鉱や工場で重労働を強いられ、臭い便所の中をかいくぐって脱走するものさえあったそうである。
二世である父の戦前・戦後も朝鮮人への差別は厳しかった。貧しい中からやりくりして学校へ通わせてくれた父母の家計を助けるため、高校卒業後、日本の会社に就職願書を出したが、送り返された。朝鮮人だというのが、その拒絶の理由だった。父はそういう民族差別の壁に泣かされたそうである。そして父は今、母とともに廃品回収業を営んでいる。
日本人にとって朝鮮人は外国人である。だから、区別することは一向にかまわない。しかし、なぜ差別されなければならないのだろうか。朝鮮人が日本で暮らすことになった根本の責任は日本人にある。このことを考えるならば、差別は許されるべきものではない。けれども、現実には朝鮮人は差別の中に置かれているのだ。
日本は経済面で高度成長を遂げ、大国として世界の注目と期待を集めている。経済大国を作りあげた日本人の英知と努力は、これらの差別をなくすことにもふり向けられてよいのではないか。黒人問題など海外の差別には敏感に反応する日本人が、国内の差別問題に鈍感なのは不思議でならない。朝鮮人であるぼくにとって望ましいのは、外国人として区別されることだ。区別は、共通点よりも相違点を重くみるところから出発する。自分と違うものを持った人を、差別するのでなく尊重し認め合うのが今の世界の流れなのだ。
最近、ぼくを力づけ、希望を与えてくれる二つの出来事があった。一つは、在日朝鮮人の金敬得氏が、司法試験に合格し、ぼくたちに弁護士への道を広げてくれたこと。もう一つは、外国人でも国公立大学の教授に採用しようという法案が、国会に提出されていることだ。これらの出来事は、外国人への差別が徐々にとり除かれ、その権利が尊重されつつあることを意味している。つまり、区別されるようになったのだ。
日本に生まれ、日本で育った三世であるぼくに、日本文化が与えた影響は大きい。また、差別の日々も知っている。しかし、そのような中で、朝鮮人の誇りを持って生きるためにも、日本人から正しく区別されたいと思うのである。

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企業、新卒者に徹底される「公正採用選考」

鳥取県内の高校では、就職を希望する生徒には、「公正採用選考」についての指導が行われます。それは、差別につながる質問をされても答えてはいけないというもので、時には学校に報告するように指導されます。
私は高校の頃、進学組だったのですが、就職する生徒が多い高校だったので、特別に時間を設けてクラス全体でこの指導が行われました。差別につながる質問として代表的なのが、父親の職業を聞いてはいけない、ということです。なので、例えば企業の面接担当者が「お父さん」ではなく「父は」と答えられるか確かめるために父親の職業を聞いたところ、「そういう質問には答えられません」と言われて面食らうことが度々あるようです。
同和問題に関して言えば、県内で就職差別の事例は、ここ10年ほどの間、1件もありません。過去の差別の事例として有名なのは「部落地名総鑑」です。鳥取県内でも某大手家電メーカーや電力会社が買っていたことが明らかになっています。県内の主要都市にある同企連はこの事件がきっかけで設立されました。
この頃、半ば強制的に進められたのが、企業の採用選考で全国高等学校校長会による統一応募用紙を使うことでした。それをしないで、例えば家族構成を聞くといったことをすれば、差別体質を持った企業として糾弾されました。実際に1990年代、鳥取県や島根県で統一応募用紙を使わなかった企業に対して相次いで糾弾会が行われています。
こうして、差別のあるなしに関わらず、「差別につながる」と思われるような選考は企業はできなくなりました。これは鳥取だけでなく、大阪などでも有名な話ですね。
手元に、鳥取県商工労働部発行(平成10年7月)の「企業における同和問題・人権問題の取り組み方」という企業向けの研修資料があります。この中から、採用選考でしてはいけない質問について抜き出してみます。

  • あなたの本籍地はどこですか。
  • あなたのお父さん(お母さん)の出身地はどこですか。
  • どうして本籍と現住所が違うのですか。
  • 生まれてから、ずっと現住所に住んでいるのですか。
  • あなたのお父さんは、どこの会社に勤めていますか。また、役職はなんですか。
  • あなたの家の家業は何ですか。
  • あなたの家族の職業を言ってください。
  • あなたの家族の収入はどれ位ですか。
  • あなたのうちは、田畑はどれ位ありますか。
  • あなたのうちの不動産はどれ位ありますか。
  • あなたのうちは、山林がありますか。
  • あなたのうちの耕地面積はどれ位ですか。
  • あなたの住んでいる家や土地は、自分のものですか。
  • (住所について)××町の△△はどのへんですか。
  • あなたの住んでいる地域は、どんな環境ですか。
  • あなたの住所の略図を書いてください。
  • あなたの家庭の雰囲気は。
  • あなたは転校の経験はありますか。
  • お父さん(お母さん)がいないようですが、どうしたのですか。
  • お父さん(お母さん)は病死ですか、死因は何ですか。病名は。
  • お父さん、お母さんの学歴は。
  • あなたの信条は何ですか。
  • あなたの生活信条は。
  • あなたの信条としている言葉は。
  • 家の宗教は何ですか。何宗ですか。
  • あなたの家庭は、何党を支持していますか。
  • 尊敬する人物を言って下さい。
  • あなたの人生観は。
  • あなたは、自分の生き方についてどう考えていますか。
  • あなたは、どんな本を愛読していますか。
  • あなたの家は、何新聞を読んでいますか。

最後の方は何か凄いですが、実際に高校ではこういった質問は違反だと指導されます。私の高校の頃の経験では「愛読書や好きな言葉を聞いてはいけない」と教師が言ったら、さすがに野次が飛びました。
果たして、県内企業の採用選考において「差別につながる質問」がゼロになる日は来るのでしょうか。

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同盟休校(3) ~教育に与えた影響~

2度目の大規模な同盟休校は1980(昭和55)年1月28日に行われました。この同盟休校も全国的に行われたものですが、全国紙ではほとんど扱われていません。地元鳥取県の日本海新聞では、社会面で比較的大きく報じられています。
しかし、この同盟休校は前回よりもさらに大規模なもので、部落解放同盟鳥取県連の発表によれば、参加者は2512人、実に同和地区児童生徒の56%が参加するというものでした。前回同様東部での参加率が高く、東部80%、中部69%、西部22%となっています。
なお、この同盟休校に参加したのは児童生徒だけではありません。件の保育所では「同盟休園」が行われています。
ともかく、現在の人権・同和教育に「社会的立場の自覚」が盛り込まれており、その運用に鳥取県の東部と西部で大きな違いが見られるのは、この同盟休校が大きな要因となっていることは間違いありません。
教育に与えた影響は、指導書からも読み取ることが出来ます。私の手元に、同盟休校以前の昭和46年10月に発行された、鳥取県教育委員会の同和教育資料があります。これは74ページに渡る非常に詳細な指導書ですが、「社会的立場の自覚」については全く触れられていません。また、児童生徒に差別があると気づかせる指導もありません。
同盟休校以前の同和教育は国の同和対策事業に基づいたものですが、その根底にあるのは「正義と心理を重んずること、公平な態度、科学的な考え方」といったことで、従来から理想とされた社会人像を実現するものでした。しかし、同盟休校後の同和教育は全く特殊なものに変わりました。
同盟休校後の昭和55年3月発行の同和教育実践事例集には「社会的立場の自覚」という言葉が出てきます。以下は、「校内同和奨学生研修会実施事例 – 社会的立場の自覚を求めて -」と題された解説からの引用です。

(昭和)50年、51年と教師自身の研修も進み、地域進出(隣保館訪問、地区出身生徒全家庭訪問、地区懇談会参加)の定着化によって同和地区の保護者との連携も深まり、学校の同和教育が進むにつれて教師も地区出身生徒も本当の意味で胸を張って同和奨学生であることを、同和地区生徒であることが言えるようになった。そして53年度には全校集会、あるいはホームルームで同和奨学生に対する連絡、指導が何のわだかまりもなく行われるようになり、54年度には同和地区出身生徒が全員同和奨学生となった。

この下りからも、当時「立場宣言」が行われていたことが分かります。
この同和奨学金制度は昭和40年から既に始まっていました。奨学金と言っても「支給」であるため、返還の必要はありません。当時を知る方の話では、友達から「自分は奨学金をもらっていて、それは返さなくていいものだ」といったことを聞いて、「そんなうまい話があるか、そりゃ泥棒よりひどいな」と罵ったそうです。もちろんその方は、当時は彼が同和地区出身者であることも同和奨学金という制度があったことも知りませんでした。
「全員同和奨学生となった」という部分も興味深いです。同和奨学金の給付条件には、同和地区出身だけでなく「経済的理由により就学が困難であると認められること」「学業成績良好で性行正しく身体が強健であること」という条件があったのですが、実際は空文化していたようです。
そして、指導の中には狭山事件の署名活動といった、解放同盟の政治運動が堂々と出てきます。私が中学生だった1994年前後も、このような指導は続いていました。
昭和46年の同和教育資料には次の記述があります。

教育の政治的中立性の確保に努め、同和教育の推進をはからねばならない。
これは、教育基本第8条第2項の規定によるもので、同和教育と政治的な運動とを明確に区別し、政治運動そのものが直ちに教育であるといった考え方に偏ることのないように留意して、児童生徒の見方や考え方を、ある特定の政治的立場や方向に固定させることのないよう、公教育機関としての学校の立場を堅持して教育にあたる。

この記述が、色あせて見えます。もちろん、現在の同和教育の指導書にこのような記述はありません。
教育基本法の精神に反する同和教育が今現在でも行われているのが鳥取の実情です。

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