同和地区Wikiを開設しました

同和地区を全て網羅して調査すべく、「同和地区Wiki」を開設しました。言わば21世紀の全同和地区実態調査サイトです。同和地区の実態調査は過去何回か政府により行われてきましたが、これを民間の力でやってしまおうという考えです。

アドレスはこちらです。

http://同和地区.みんな/

Wikiなので誰でも編集できるわけですが、その性質上、匿名で参加したいという人が多いと思うので、編集は匿名ネットワークであるTorからのみ行えるようにしました。編集したい方は以下のアドレスにアクセスしていただくことになりますが、これはTor専用アドレスなので、アクセスするためにはTorが必須となります。こちらを参考にTorを導入してください・

http://inyh65b5u2mpt6d5.onion/wiki/

大阪府内の解放会館と部落解放同盟支部の関係

昭和56年11月26日に、大阪府解放会館連絡協議会が発刊した「大阪府解連協設立10年のあゆみ」という本があります。この文献の中に、「大阪府解放会館名簿」というものがあります。この名簿では、大阪府内の解放会館(隣保館、あるいは人権文化センター)と部落解放同盟支部との対応関係が一覧表示されています。

部落解放同盟という組織は、中央本部-県連-協議会-支部という階層構造になっていまして、最小単位である支部は原則として同和地区に結成されます。地区が小さい場合には、複数の地区で1つの支部が結成されることもあります。いずれにしても、解放同盟の支部は同和地区と関係が深く、支部名は同和地区名を冠していることが多いです。

ということは、以下の資料からは大阪府の解放会館のほとんどが解放同盟支部と対応関係にあり、必然的に同和地区と対応関係にあることが分かります。

kk1

kk2

kk3

大阪市同和地区解放会館条例

大阪市の同和地区といえば解放会館、解放会館と言えば同和地区なのですが、正式には「同和地区解放会館」という、まさにそのまんまの名前でした。当然、施設の存在は秘密でもなんでもなく、施設の位置、その周辺が同和地区であることは公然のことでした。

これらの施設はその後「人権文化センター」と名前を変え、現在は「市民交流センター」となり、徐々に廃止されているところです。

以下は、昭和52年当時の「大阪市同和地区解放会館条例」です。

昭和45年3月31日条例18号
最終改正・昭和52年9月29日条例39号

大阪市同和地区解放会館条例を公布する。

大阪市同和地区解放会館条例
(設置)
第1条 本市に同和地区解放会館(以下「館」という。)を設置し、その名称及び位置は、別表のとおりとする。
(目的)
第2条 館は、基本的人権尊重の精神に基づき、同和地区住民(以下「地区住民」という。)の社会的、文化的、経済生活の向上を図り、同和問題のすみやかな解決に資することを目的とする。
(事業)
第3条 前条の目的を達成するため、次の事業を行なう。
(1)同和問題の調査、研究及び啓蒙に関すること。
(2)地区住民の各種講習、相談及び指導に関すること。
(3)地区住民の自主的、組織的活動の促進に関すること。
(4)地区住民並びに関係機関及び団体との連絡調整に関すること。
(5)その他市長が必要と認める事業。
(使用の許可)
第4条 館の施設を使用しようとする者は、市長の許可を受けなければならない。
(使用の制限)
第5条 次の各号の1に該当するときは、使用を許可せず、又は使用の許可を取り消し、若しくは使用を停止することがある。
(1)第2条の規定の趣旨に適合しないと認められるとき。
(2)公安又は風俗を乱すおそれがあるとき。
(3)営利を目的とするとき。
(4)建物又は附属設備を損傷するおそれがあるとき。
(5)その他管理上支障があると認めるとき。
(使用料)
第6条 館の使用は、無料とする。
(附属設備の使用)
第7条 使用者は、市長の許可を得て、附属設備を無料で使用することができる。
(管理の委託)
第8条 大阪市住吉同和地区解放会館の管理については、社団法人大阪市同和事業促進協議会に委託する。
(施行の細目)
第9条 この条例の施行について必要な事項は市長が定める。

附則(略)

別表

名称 位置
大阪市立浪速同和地区解放会館 大阪市浪速区東1丁目
大阪市立加島同和地区解放会館 大阪市淀川区加島1丁目
大阪市立南方同和地区解放会館 大阪市東淀川区南方町
大阪市立日之出同和地区解放会館 大阪市東淀川区西淡路町1丁目
大阪市立飛鳥同和地区解放会館 大阪市東淀川区山口町
大阪市立生江同和地区解放会館 大阪市旭区生江3丁目
大阪市立両国同和地区解放会館 大阪市旭区清水5丁目
大阪市立浅香同和地区解放会館 大阪市住吉区杉本町
大阪市立住吉同和地区解放会館 大阪市住吉区帝塚山東6丁目
大阪市立矢田同和地区解放会館 大阪市東住吉区矢田矢田部町本通7丁目
大阪市立平野同和地区解放会館 大阪市平野区平野市町3丁目
大阪市立西成同和地区解放会館 大阪市西成区中開3丁目
大阪市立西成同和地区解放会館 大阪市西成区北津守2丁目

吹田市の新町について

P.N. 勃起少年隊さんからお便りを頂きました。

大阪府の地区一覧で「機械的にマーキングしている」との記載は糾弾に値する。吹田市新町→吹田市役所になっている。図書館に都道府県ごとの地名大辞典(角川)がある筈じゃ。そこには吹田市高浜町の一部と書いてある。(昔の日本灯火用硝子工業があった辺りに浄土真宗本願寺派の寺があったぞ。)よく調べなさい。ここに書いてあることが確認できたら、速やかにホームページを訂正し謝辞を掲載しなさい。

確かに、角川地名大辞典で吹田市高浜を調べると、かつての旧吹田町の字新町から改名したことが書かれています。というか、よく見つけますね。

情報提供ありがとうございました。早速マークを移しておきました。

6/9 追記

さらに情報をいただきまして。米軍が作成した日本地図を調べていくと、吹田の地図の市街地に SHIMMACHI という表記が見られます。

鳥取県倉吉市の同和地区の成り立ち

最近、倉吉市役所人権政策課に電話したら、「部落出身で差別を受けてきた」という職員から「市役所まで謝罪に来なさい」というようなエセ同和顔負けの対応をされて延々と2時間ほど絡まれました。

同部署には部落解放同盟の役員が2人おりまして、以前から人権文化センターなどの人権・同和問題関係の部署に配属されています。同和地区マップの削除要請の取り組みは部落解放同盟としても、倉吉市役所としても行なっているということで、解放同盟の活動と市役所の業務の境目がありません。人権政策課が解放同盟の事務所と化しているような状態で、2人の団体役員が強い利害関係のある部署に配属され続けるという、ちょっと今まで聞いたことがないような実態が倉吉市役所にはあるようです。

詳しくは「月刊同和と在日」2月号「匿名で企業に圧力 大阪芸大「人権問題論」講師・北口学の「エセ同和行為」」の中でレポートしています。2月14日発売予定の書籍版「同和と在日3 ―直撃! 部落解放研究全国集会」にも、この2人が誰なのかということを加筆して掲載しています。

さて、鳥取県の部落史研究者の間では非常に有名な宇田川宏先生の論文に「鳥取縣における新部落の形成」というのがありまして、これは倉吉の部落の成り立ちを知る上では貴重な資料です。まず、以下の地図の中央辺りが倉吉市の被差別部落の分布です。

より大きな地図で 鳥取県内の同和地区(被差別部落) を表示
注目すべきは、天神川沿いに部落が多いことです。前述の論文にはこうあります。

次の述べようとするのは明治を中心とする倉吉周辺開田部落の成立についてである。その心軸をなしたものは天神野開田部落でありその中に天神野、西鴨、中田、生竹、安歩、紀穏、志津の七部落を含んでおり、ひとしく開田の名で呼ばれている。

そして、これらの部落は明治から大正にかけて鳥取市や八頭郡の部落から開拓のために移住してきた人により形成されたと説明されています。逆に倉吉市に古くからある部落は勝負谷で、その近くにある妻ノ神は勝負谷の富裕農家が大正時代に土地を買って移転してきたということです。

ちなみに以前、同和地区の企業が加入している部落解放鳥取県企業連合会の加点研修に参加した企業の一覧を鳥取県が黒塗りして公開した時に、鳥取県が消し忘れていた会員企業の秋山組がある「みどり町」も同和地区ですが、この地区は国土地理院の航空写真を見ると昭和になってから新しく整備されて宅地造成されています。

倉吉市役所の人(解放同盟役員)は、なぜか「同和地区」が判明することを異常に嫌いますが、実際は説明した通り倉吉市の同和地区のほとんどは明治以降に荒地を開拓してできたため、いわゆる「穢多地」であった経歴すらありません。倉吉市における「同和」というのは、ほとんどの場合いわゆる「属地」ではなく「属人」なわけです。

また、勝負谷は辺鄙な場所にある小戸数の集落ですが、「富裕農家」が移転してできた「妻ノ神」がなぜ同和対策対象地区とされたのかよく分かりません。妻ノ神も小戸数の集落で、戦後間もないころの航空写真を見ても、鳥取市の部落にありがちな住宅が密集しているということもありません。