鳥取県民に「通報」された代ゼミ講師

鳥取県人権救済条例は鳥取県内よりもむしろ県外で物議を醸している感があります。特に県外人の怒りを買ったのは、人権侵害の救済又は予防の申し立てをできる条件に関する、次の「県外条項」です。

13条3項(5) 申立て又は通報の原因となる事実が本県以外で起こったものであること(人権侵害の被害を受け、又は受けるおそれのある者が県民である場合を除く。)。

これは、原則として県外での申し立てを除外しておきながら、被害者が県民である場合は県外での事案も申し立てできるということです。逆に、県民以外の人が県外で人権侵害を受けた場合は申し立てができないという、不平等な内容です。鳥取県民が一方的に、他県での人権侵害を取り締まることができる、可能性があります。
他県民が鳥取県民に「取締り」をされるということが起こりえるでしょうか?実は、その可能性は非常に高いと言えます。
最近、代々木ゼミナールで「差別講義」があったとして、部落解放同盟が「確認会」を開いています。以下がその件に関する解放新聞の記事の内容です。

代々木ゼミナール予備校講師差別発言事件の確認会を11月26日午後、東京・中央本部でひらいた。これは、代々木ゼミのY講師(古文担当)が講義のなかで「エタ・ヒニン」発言をおこなったもの。この日の確認会ではY講師は発言の事実を認めた。代々木ゼミ側には、差別講義はたまたまのものではなく、人権教育や研修すらおこなってこなかった代々木ゼミ側の体質に問題があることを指摘、改善へ向けてそれを明示することを求めた。
Y講師の発言は、「鑑別所にランクってあるんです……俺なんか暴走族の特攻隊長のとき、入ってんだよ。鑑別所に入った瞬間に、天皇陛下級なの、ほんとに……レイプとかな、強姦なんかで入っちゃった日にゃ、な、エタ・ヒニンだ。ほんとに」などの発言を、以降も講義のなかで計5回くりかえしたもの。Y講師は、発言が問題だと指摘されたあとの講義でも、「おわびする」と語っただけだった。
確認会でY講師は、「エタ・ヒニン」の意味は不明だが、小学生頃に知り、使っている、としたが、講義での使い方が、序列をあらわす差別的な使い方をし、人間以下という意味をもたせている点を指摘。自身の掘り下げと反省などを文章にして05年2月中旬までに提出することを求めた。
代々木ゼミ側には、一連の問題が生徒の側からの指摘であることなど、人権教育や啓発、研修すらしてこなかった体質の間遭を指摘し、見解と今後の体制づくり、などを示す文章を2月中句にまで提出することを求めた。
確認会には、Y講師、代々木ゼミ側から高宮英郎・法人総括本部長、松田不器穂・東京本部副校長など6人が、解放同盟から谷元書記次長、問題を最初に指摘した鳥取県連の中田幸雄・委員長、山田幸夫・書記長はじめ4人、長谷川三郎・東京都連書記長が出席した。

さて、なぜ東京の確認会に鳥取県連の中田幸雄・委員長、山田幸夫・書記長が参加しているのか疑問が湧くところですが、実はこの件の発端は鳥取県民の「通報」によるものだったからです。差別発言があったとされる講義は衛星放送で全国に放送されており、講義を見ていたある鳥取市民から部落解放同盟に報告が来たというのが事の発端です。
鳥取市など、県東部での同和教育の実態はこのブログでも紹介しましたが、その中で身近な差別を報告するように教師から求められます。私も小学校で、そのような教育を受けました。県民の方で「周囲で差別はないと言ったら、教師から『お前は差別を見逃すのか』と言われて殴られた」という証言もありました。こういった教育を行っている限り、ゼミの講師が生徒から通報された、といった事は今後も起こる可能性があるでしょう。
ちなみに、記事に出てくるY講師は、代ゼミの名物講師で非常に有名な方なので、誰なのか想像が付く方もいらっしゃるでしょう。Y講師はあまり部落問題とは馴染みがない神奈川県の方なので、「エタ・ヒニン」という言葉にやたらと敏感な鳥取の感覚で差別者だと言うことがそもそも間違いな気がします。
1人の発言から、全員もそうだと言いがかりをつけ、さらに集団の体質の問題として人権教育や研修のような対策を求めるというやり方は、50年以上も前のオール・ロマンス事件の頃から全く変わっていません。行政・企業もこういったやり方に対処する方法を学ぶべきでしょう。
ちなみに、代々木ゼミはこの確認会の後も同じ講義を衛星放送で流していたそうです。

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1993年から行われた条例、宣言制定運動

以前、1994年の謎などと書きましたが、実は1993年の時点で動きが始まっています。
部落解放基本法の影響を受けた条例は、実は鳥取県の智頭町が全国初です。智頭町基本的人権の擁護に関する条例を1993年の6月18日に制定しています。そして、それからわずか2年余りで鳥取県全域を席捲し、ついには鳥取県人権尊重の社会づくり条例という県レベルの条例までできました。
対立する共産党などは、このような条例を「解同条例」と揶揄しましたが、実際にその通りで、解放同盟による解放同盟のための条例でした。事実、条例によって設けられる審議会のほとんどには、解放同盟の関係者が加えられています。八頭町日野町に至っては、町の規則で解放同盟関係者を加えることがはっきりと明記されています(合併前の町村には、そのようなところがもっとありました)。
こういった条例の制定運動はある程度成功し、西日本を中心に、他の自治体でも同様の条例が制定されて行きます。そして、影響は中央にも及びます。
1994年、現民主党代表の前原誠司氏が、当時の部落解放基本法制定要求国民運動の大会で次のように語っています。

政治改革ということで細川政権はスタートしたが、まだ実現していない。われわれは平場の意見のなかからでてきた素人集団だが、あらゆる差別に反対していく。「基本法」制定へ積極的に努力していく。差別反対、平等実現へ努力していく。

結局、部落解放基本法は制定されませんでしたが、1996年に人権擁護施策推進法が制定されたので、ある程度の成功を見たのではないかと思います。
しかし、なぜ1993年から1995年にかけ、あれほどまでに電撃的に条例が制定されたのでしょうか。
実は1993年に、広島県で結婚差別を苦に部落出身の女性が自殺した、という事件が明らかになっています。そして、解放同盟による、結婚差別犠牲者の追悼と、差別撤廃のための条例制定要求の全国キャラバンが始まります。結婚差別により女性が自殺した、という事件は、「もう差別はないから条例は必要ない」と言う人を沈黙させるには十分なことであったでしょう。
ちなみに、この自殺した女性は17歳の女子高生、相手の男性はかつての副担任だった33歳の中学校教師です。この事件については、別の機会に詳しくお話しましょう。

部落解放基本法と鳥取各地の「部落差別」条例

鳥取県下の全ての市町村には例外なく「差別」に関係する条例があります。以下が、その一覧です(50音順)。

自治体名 条例の名称
岩美町 岩美町あらゆる差別をなくする条例
倉吉市 倉吉市部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例
江府町 江府町部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例
琴浦町 琴浦町部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例
境港市 境港市から差別をなくす条例
大山町 大山町部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例
智頭町 智頭町基本的人権の擁護に関する条例
鳥取市 鳥取市における部落差別をはじめあらゆる差別をなくする条例
南部町 南部町における部落差別をはじめあらゆる差別をなくす条例
日南町 日南町基本的人権の擁護に関する条例
日吉津村 日吉津村における部落差別をはじめあらゆる差別をなくす条例
日野町 日野町部落差別撤廃及び人権擁護に関する条例
伯耆町 伯耆町部落差別をはじめあらゆる差別をなくする人権尊重に関する条例
北栄町 北栄町部落差別をはじめあらゆる差別をなくする条例
三朝町 三朝町部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例
八頭町 八頭町部落差別撤廃及び人権擁護に関する条例
湯梨浜町 湯梨浜町部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例
米子市 米子市における部落差別をはじめあらゆる差別をなくする条例
若桜町 若桜町部落差別撤廃・人権擁護に関する条例

すこし古いですが、部落解放・人権研究所のページに分かりやすくまとめられています。どれでもよいので、いくつか内容に目を通してみてください。

ご覧の通り、これら条例は特に部落差別を視野に入れたものであることが分かります。
実際、境港市を除けば、条例の名前または内容に「部落差別」という言葉が入っています。

これらの条例は、各自治体が人権擁護のための施策を行い、住民もそれに協力するという点で共通していますが、それぞれ微妙な違いがあります。例えば、米子市、境港市を除いて人権擁護のための審議会の存在があります。伯耆町、湯梨浜町、大山町、倉吉市、三朝町、江府町、琴浦町は、関係民間団体による住民に対する研修や啓発について触れられています。智頭町では町が差別行為に関係した者に対し、関係団体と連携し指導及び助言を行うと定められています。

そして、さらに注目すべき点は、これらの条例が共通して1994年か1995年に制定されていることです(合併により再制定された自治体を除く)。さて、この年にいったい何があったのでしょうか。

1985年から解放同盟を中心に、「部落解放基本法」という法律を制定しようという運動が行われていました。ご存知の通り、結局は部落解放基本法の制定は実現されませんでした。
当時の解放同盟は社会党と親密な関係にありましたが、この法律については自民党よりもむしろ同じ連立政権の仲間であった共産党から激しく批判されていました。曰く、「これは部落解放どころか、部落固定化法である」と。

この頃、鳥取市の三洋製紙のすぐ近くにある中央隣保館には「部落解放基本法の制定を実現しよう」という大きな横断幕が出ていたのを覚えています。
そして、私が学校で同和教育を受けたことを知った祖父は、この法律に関していつになく真剣な顔で次のような話をしました。

「昔はな、確かに差別はあっただ。○○(同和地区のこと)の者は貧乏だったけぇ、椀移しと言って、うらげの村のもんが食べ物を恵んでやらないけん状態だっただ。だけど、いつまでもそんなんじゃぁいけんということで、国が法律を作っただ。そういうことがあって、○○は道が広うなって、綺麗になって、これでもう、同和地区だとかいうことは気にせんでもええようになると思とっただが。」

それから祖父は、小学生だった私に「時限立法」について長々と語りました。これは同和対策事業特別措置法のことです。部落差別をなくすための法律なのだからら、時間を区切るのが当然だというのが祖父の考えでした。そして、祖父は続けました。

「だけどもな、今度は○○の者がそれを永久立法にしようっちょうるだが。だけどな、それは絶対やっちゃあいけんと思うだが。永久に同和地区を残して、○○とうらげの村の間に永久に壁を作るっちゅうことだけな。」

祖父は私が中学生の時に亡くなりました。
私は祖父の言葉の意味が分かるのに、10年くらいかかりましたが、小学生の頃のこの話は、今でもはっきりと覚えています(ちなみに、祖父は共産党とは全く関係ありません…)。

ところで、部落解放基本法制定要求国民運動中央実行委員会が作った原案をご覧下さい。これを読んでみると、鳥取県各地で制定された条例の内容と非常によく似ていることが分かります。
現在、人権擁護法の条例版が鳥取で制定されたようなことが、当時も起こっていたのです。

今回は話が横道にそれてしまいましたが、次はいよいよ1994年の謎に迫ります。

朝鮮総連と人権救済条例

私は、鳥取県が人権救済条例を制定したと聞いたとき、最初に疑ったのは部落解放同盟の関与である。しかし、人権局へ問い合わせた際、担当者は解放同盟の直接的な関与を否定した。そして、代わりに浮かび上がってきたのは、意外にも朝鮮総連の関与である。
平成16年9月定例県議会で、浜田妙子議員の質問に対して、当時の中島弘人権局長より次のような発言がされている。

このたびの人権救済のための人権委員会条例の基本的な考え方を検討する検討会といたしまして、先ほど議員が言われました県の人権に関する審議会、人権尊重の社会づくり協議会というのがありますけれども、この中から8名の委員の方に入っていただきまして、昨年11月からこの8月にかけまして、都合7回の検討会を開きました。
 その中でさまざまな意見がございましたけれども、例えば差別の原因の中に年齢を入れたらどうかとか、あるいは県外で起こった差別事象も県民がかかわっているのであればこの条例の対象にしたらどうかとか、あるいは人権侵犯があって重大な場合には、勧告して従わない場合には公表するということについては、どうもその点はいかがなものかなというようなさまざまな意見がありました。そういうようなものを踏まえましたところで、とりあえず素案、基本的な考え方というものを、このたびのパブリックコメントで県民の皆様にお示しをしたところでございます。
 なお、この素案を検討する段階では、県内の各人権に関する相談所等とも意見交換をした上で、そういうようなものも含めまして素案を練っているところでございます。

その人権尊重の社会づくり協議会のメンバーを見ると、注目すべき名前がある。朝鮮総連鳥取県本部常任委員長の朴井愚(パク チョンオ)氏である。議事録で言われている8人の委員に彼が含まれていたかどうかについて、人権局は「電話では答えられない」としている。
協議会の議事録は、その一部が鳥取県のサイトのデータベースに見ることができ、朴氏も条例の内容について積極的に意見を述べていることがうかがえる。
平成15年9月の第1回会合で、朴氏の次のような発言がある。

さきほど、同和の問題がでたが、幼いころわれわれ在日は同和地区の人々と大変仲が悪かった。そういう時期があったが、お互いに権力によって差別されていることが分かり、和解した。生きていく上では、こうゆうこともあるということでは「紛争」という考え方、見方もできる。片山県政になって全国初でこういう施策を出したことは凄いことだと思う。

同和利権の真相1によれば旧同和地区の環境改善に伴い、朝鮮人は属人(被差別部落民)ではないという理由で地区から追い出されたと書かれている。また、解放同盟の全身である部落解放全国委員会幹部から「朝鮮人や一般のスラムの連中は、能力がないゆえに社会から落ちこぼれているにすぎない。」という発言があったとされている。朴氏の発言は、これらを裏付けるものであると言える。
以下、条例に関する朴氏の発言と、それに対応する条文を抜き出してみる。

発言:
被害者の救済ということばかりではなく、加害者への啓発、人権侵害が許されない罪悪であるかということを分からせることも大事なことであると思う。

条文:
第21条
(2) 人権侵害を行い、若しくは行うおそれのある者又はこれを助長し、若しくは誘発する行為を行う者及びその関係者(以下「加害者等」という。)に対し、当該行為に関する説示、人権尊重の理念に関する啓発その他の指導をすること。

発言:
質問ですけれど、これを一番最初にいただいたときに、パブリックコメントについてどうしようか悩みました。
第1 条のところに「人権の侵害により発生し」というのはすでに発生したものなのでしょうか。これから発生しようとするものなのか、今発生したものなのかということが一つあります。
それから「不当な差別」なんですが、第2 条2 項では「虐待」とは5 項まで定義付けしているのですが、何故「不当な差別」ということに対しての定義付けはないのでしょうか。

条文:
第1条この条例は、人権の侵害により発生し、又は発生するおそれのある被害の適正かつ迅速な救済又はその実効的な予防に関する措置を講ずることにより、人権が尊重される社会の実現に寄与することを目的とする。

また、興味深い発言として、朴氏は在日韓国朝鮮人の年金の
不利益を挙げており、これが条例による救済の対象になるか質問している。これに対して、当時の人権局中島局長は、「一応行政なり政治の施策の判断で行われているものについては対象には考えておりません。」と答えている。

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