部落地名総鑑の出所は大阪市同和事業促進協議会?

部落地名総鑑と言えば鳥取三洋や中国電力などが購入企業として糾弾を受けていますが…
以下のサイトより。
http://www.osaka-minkoku.info/orz/index.php?e=3045

当該資料の推定発行時期は1972年である。一方今までの「部落地名総監事件」のうち最初の「部落地名総監」である『人事極秘 部落地名総監』の存在が判明したのは1975年である。また第二の「部落地名総監」である『全国特殊部落リスト』は1976年に存在が判明し、同年部落解放同盟大阪府連が購入企業に対し「糾弾会」を開いている。

…だそうです。
鳥取の場合、県内の同和地区の場所を、上記の資料のように詳細にまとめた資料は私自身は目にしたことはありません。ただ、県下の各市町村ごとの地区数、同和地区住民人口、混在率をまとめた資料は、県教委が発行したものを県立公文書館で見たことがあります。県立図書館の郷土資料コーナーに行けば、実際の地区名が分かるものもありますが…詳細は控えておきます。
1970年代に大手企業が買っていたという部落地名総鑑を私は実際に目にしたことはありませんが、解放同盟の機関紙「部落解放」で解放同盟鳥取県連書記長だった故前田俊政氏が座談会の中で実際の県内の地名に触れた箇所があります。

前田氏 ○○というのは今の●●●の昔の俗称ですから。
老人 ○○のまえは、■■■ちゅいいよったですな。
前田氏 ■■■ちゅうのは『地名総鑑』にでてますで。

ということで、県内の実際の地名も載っていたようです。ただ、上記の記述は明治初期か江戸時代の地名(実のところうちの近所なのですが、せいぜい私の祖父くらいの世代でないと、そんな古い地名は知らないと思います)が載っていたということですし、地名総鑑もいろいろなバージョンがあったようなので、一概には言えません。
被差別部落や住民を特定する資料としては、他に解放令が徹底していなかった頃に作成された壬申戸籍というものがありますが、昭和43年に旧身分や犯罪歴などが記載されていることが問題視されて、破棄されるか、あるいは法務局に厳重保管されて閲覧禁止となりました。
ただし、鳥取県や県下の市町村には部落地名総鑑に相当するものがあります。例えば、同和地区実態把握調査の対象地域の一覧であるとか、対象世帯名簿、個人給付事業の受給者名簿といったものです。役場や隣保館の職員や、同和地区実態把握調査に協力する民間人は目にすることがあるかも知れませんが、もちろん情報開示請求は却下されます。

同和関係世帯の世帯主名簿

以前、同和地区実態把握等調査(生活実態調査)についてご紹介しました。この調査では対象世帯の名簿を持って調査員が回るわけですが、その世帯名簿は事前に行われる地区概況調査で作成されていました。
地区概況調査の実施要領を見るにはこちらをクリックして下さい。
この資料では、世帯主名簿の作成準備として「個人的給付事業の対象者名簿の整理」「地元精通者等に協力を求める」ということが挙げられています。同和対策を行っている市町村では、当然地区や地区住民を把握しているため、こういった資料や住民基本台帳をもとに世帯名簿を作成するようです。以前の記事でも触れたとおり、本人の知らない間に情報は収集されるため、知らない間に調査対象の世帯になっていた、ということも起こります。
作成された世帯名簿は市町村が保管し、県には各地区の世帯数一覧表が提出されます。つまり、住民の個人情報は市町村止まりで県には行かないようになっています。とは言え、鳥取県個人情報保護条例第7条で収集が禁止されている「社会的差別の原因となるおそれのある個人情報」(鳥取県個人情報保護条例施行規則第5条で「同和地区の出身であることに関する情報」がこれに該当することが明記されている)を収集することになるため、例外規定を適用するために鳥取県個人情報保護審議会による審議が行われています。なお、県によれば審議は平成12年に行われた前々回の同和地区実態把握等調査の際に行われたそうです。
世帯主名簿は当然のことながら厳重に管理され、実態調査事務の終了後一年(今年の7月31日)をもって処分されています。しかし、「市町が保有している資料等により世帯主名簿の代替ができる場合は、新たに作成する必要はないこと。」と規定があるため、独自に世帯主名簿に順ずるものを作成している自治体があるようです。
そこで、市町村の1つである我が鳥取市の同和対策課に「鳥取市は同和関係世帯の世帯名簿を現在保有しているか」とFAXで単刀直入な質問をぶつけてみたのですが、「『同和地区世帯名簿』といったものは保有していません。」という回答が返ってきました。「現在保有しているか」という質問をしたので、市は県の要請に基づいて名簿を作成して、既に処分してしまったということかも知れません。
[2006.9.2]
追加報告です。鳥取市内のとある隣保館に聞いたところ、平成17年度の調査の際に、確かに市役所で同和地区の世帯名簿を閲覧したということでした。これを受けて再び同和対策課に問い合わせたところ、実は世帯名簿は作られていたが、現在はシュレッダーで処分されたということでした。
なぜFAXでは保有していないと回答したのかを問いただすと、現在の同和対策課長は昨年の調査には関わっていないので知らなかったということでした。さらに、名簿がどのような方法で作られたのか聞くと、「分からない」ということでした。

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最近の身分制度に関する歴史教育の事情

私の小中学生の頃は、身分制度と言えば「士農工商えた非人」と教えられていた時代でした。おそらく、現在の二十代半ばくらいまでは、学校でそのように教えられていたはずです。しかし、最近は江戸時代の民衆史の研究が進むにつれて、かつての教科書の内容のかなりの部分が誤っていたことが分かってきています。
手元に、昭和61年の鳥取県内の小学校高学年向けの同和教育学習資料があります。その中には、おおよそつぎのような記述があります。
・えた、非人は士農工商よりもさらに低い身分に位置づけられていた。
・被差別部落は江戸時代の権力者が自分達に都合のよい政治をするために政策的につくられた。
・農民の年貢に対する不満をそらすらめに、「上見るな、下見てくらせ」という考えで「えた・非人」の身分が作られた。
私も、こういった指導を受けましたが、実は最近ではこのことは歴史的事実としては否定されつつあります。
まず、現在の小学校の教科書では「士農工商」という記述はありません。武士という支配階級の下に一般大衆がいたというのが実態で、例えば農民の下に町民が位置づけられていたわけではないからです。私は中学の頃の同和教育で「農民が武士の次に身分が高いのは、最も数が多かった農民の不満をそらすためだ」と教えられましたが、これは全くの誤りです。なおかつ、農民と言っても農業だけでなく漁業や林業に従事する人もいたはずなので、現在では「百姓(あるいは村人)」といった言い方をされます。同じ理由で「工商」の部分も「町人」と言われます。単に農村生活者と都市生活者という違いだけで、身分に上下があったわけではない、というのが実態をよく表しているようです。
また、現在の教科書では「えた・非人」という身分は「さらに低い身分に位置づけられていた」のではなく「外に存在した」といった言い方がされます。なぜなら、もし「えた・非人」が単に最下層身分であるなら、なぜ穢多頭弾左衛門のような権力者が被差別身分の中に存在したのか説明がつかないためです。弾左衛門は関東の人物ですが、鳥取でも同様に被差別身分の中の有力者というのは存在していました。こういった人物の中には明治になっても有力者であり続け、早くから同和対策事業に貢献していた者もいます。被差別身分と言うと皮革産業や警吏、渡し守ばかりをしていたイメージがありますが、実際は地域で商売のネットワークを作って成功していたり、普段は農民や小作人と同じように暮らしている人々もいました。しかし、多くの被差別身分は明治になってからも被差別身分として隔離される一方で、被差別身分特有の独占産業が自由化されたため、近代化から取り残されるといった結果になってしまいます。
そして、「被差別部落は江戸時代に作られた」という従来の説も崩れかかってきています。一番の矛盾点として、もし江戸時代に作られた制度なら、なぜ被差別部落が当時幕府が存在していた関東ではなく、関西に多いのか説明がつかないためです。実際は、室町時代に皮革などの産業を専門に扱う身分として京都で生まれ、それが民衆の間に徐々に広がっていたものを江戸幕府が制度として追認した、というのが正確なところのようです。

特定される同和地区

全国的には同和地区が存在するという法的根拠は存在しないので、法的な意味での同和地区は存在しないのですが、鳥取県においては確かに同和地区が存在します
以前、取材のために鳥取市に電話したところ、「鳥取市に同和枠(就職上の優遇制度)は存在するのか?」という質問を電話口の方が「鳥取市に同和地区は存在するのか?」と聞き間違えたらしく、「鳥取市に同和地区があるかどうか知ってどうするつもりだ?」と言われて面食らいました。電話して聞くまでもなく、鳥取市に同和地区は存在します。鳥取市のウェブサイトで公開されているものをふくめ、同和地区が存在することを示す行政文書が多数あります。など、その最たるものです。具体的に何とは言いませんが、鳥取市内の同和地区の地名が特定できるような文書までもが公開されています。
部落地名総鑑を問題にしたり、身元調査お断り運動をやっていたりしますが、地域によってはあまり意味をなしてないと思われます。というのも、特に鳥取県の東部地域ではいとも簡単に同和地区を特定できてしまうためです。同和地区児童を明らかにする「立場宣言」もありますが、最近まで学校において実際に同和地区をまわる「村めぐり学習」が行われていました。また、同和地区の場所が特定できるような資料(例えば、○○地区ではこのような伝統行事があって、その背景には部落差別が…というような)が研修の場で配布されたりします。交際相手や、職場の同僚がどこに住んでいるのかは、知ろうとしなくても分かるものです。本当に悪意があれば相手が同和地区住民だと特定して、適当な理由をつけて交際を断ったり、試用期間後に解雇するということはいとも簡単にできます(と言っても、私は鳥取県民にそのようなことをする人はまずいないと思いますが)。
先月、和歌山県の人権施策推進審議会が「調査自体が人権問題だと指摘追及される恐れがある」として人権課題現況調査の実施に反対の意見書を出したことがニュースになりました。その理由は、「かつての(同和対策事業)対象地域を再認識させ、ここが地区であったと一般の意識に呼び戻すおそれがある」ということです。
鳥取県においては
平成17年7月に同和地区実態把握等調査がしっかりと行われています。「同和関係世帯」を把握して、調査員が回るというものです。
それ以外にも、鳥取県においては同和地区の存在を一般の意識に呼び戻す行為は日常的に行われています。たとえば、同和地区が校区内にある「有地区校」では教師が同和地区の児童を把握している、といった実態です。同和対策を行うという事は、必ず同和地区や同和関係住民を特定しなければなりません。そして、そういった情報は必ず一般住民の目に触れ耳に入ります。「同和地区だから」という理由で行われる施策を、単に「必要だから」という理由で行われる施策に切り替えない限り、同和地区内・地区外という分け隔ては、これから先何世代にわたっても永久に続くでしょう。

事業所内における差別事象の一例

平成12年5月に鳥取県より発行された「事業所における同和問題・人権問題の取り組み方」より、ある全国的に有名なサービス業の事業所で起こった「差別事象」を紹介します。

○ A社支社従業員Bさんは入社直後から、自分が属するグループの長のCさんは同和地区出身者であることを聞かされていました。そして自分も他の人にCさんは同和地区出身者であると発言していました。
Bさんは上司であるCさんと仕事上の関係があまりうまくいっておらず、その理由は自分がCさんとは違って同和地区出身者でないためと考えていたところから、Cさんのグループとは別のグループに所属換えをしてほしいと発言したものです。
○ 会社の記念式典に出席したときの雑談の中でFさんは、それに出席していたKさんのことを話題にし、「○○出身のMさんも来ていた」と発言しました。それを聞いたCさんがその発言の差別性を指摘したところ、「○○は広い地域を示すもので、部落のことを指して言ったのではない。『あの人は△△出身だ』という言い方は、他の人も言っている」と発言しました。
○ Cさんは、会社(管理職)にも「人間として大切なことをいうのだが……」として、この差別事象の存在を報告していました。それを受けて支社は、事情聴取と関係者による話し合いの機会をもちました。しかし、Cさんの告発内容に対して、Bさん、Fさんがほぼ全面的に否認したため、事実解明をしないまま放置状態となっていました。Cさんの訴えを受けても、人間関係のトラブルと判断し、然るべき対応をとらないまま、‘注意したので一段落した’と認識していたものです。

さて、なぜこの事例が差別事象になるのか、普通なら「誰が同和地区出身であるかどうかを明らかにした」と考えそうなところですが、この資料の解説は微妙にずれています。以下、解説部分を引用します。

A社においては、このような従業員どおしの会話の中で「○○さんは同和地区出身者」ということがとりざたされていました。そして、こうしたことを言っても差別する気持ちはなく、また、他の人も言っているので問題はないとの一般的意識がありました。
しかし、どういう場で「○○さんは同和地区出身者」という発言がされてきたかを確認した上で、その言葉の裏にある意識は何かを考えると、ことさら○○出身と区別して言う言葉の裏にあるのは「だから注意しなさい」等のニュアンスであったと発言した人が後に認めています。
A社では、そうした差別的意識に基づく発言を差別ととらえて対応することがなかったため、それが温存される結果となっていたものです。

「○○さんは同和地区出身者」という発言自体はあまり問題視していません。というもの、鳥取県においては「寝た子を起こす」であるとか「社会的立場の自覚を深める」という名目で、誰が部落出身か直接または間接的に明らかにされることがしばしばあるためです。学校教育の場では言うまでもないことですし、職場研修でも「村めぐり学習」のような実際に同和地区をまわる学習が行われます。それゆえ、住んでいるところが分かれば、誰が部落出身者なのかだいたい分かってしまいます。つまりは、差別発言が差別を広めるというよりは、同和研修でどこが同和地区なのか、知りたくもなかったことを知ってしまう、ということがあります。このA社にしても、以前から社長を「同和問題推進委員長」として同和研修を行っていたところです。
また、「○○は広い地域を示すもので、部落のことを指して言ったのではない。」というFさんの弁解についても分かりにくいと思いますので解説しておきます。鳥取県に限らず他県にも共通することだと思いますが、地名が即座に同和地区を指すとは限りません。同じ○○でも西○○、東○○、○○△丁目といった具合に分かれていて、その一部が同和地区であるということがよくあるからです。
いずれにしても、Fさんに悪気があったとは到底考えられないのですが、「裏にある意識」や「ニュアンス」を問題とされて差別者にされてしまいました。
ちなみにこの一件のあと、この企業は同企連に加入し、全社で同和研修を徹底して行うようになりましたということです。

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県内の部落差別のほとんどは落書き

以下は鳥取県人権局の文書から作成したものです。なお、「差別した者等」「差別を受けた者」を記載した列がありましたが、いずれも「不明」または空欄でした。

平成17年度県内の同和問題等に係る差別事象(県報告分)

分類 事象名 発生
年月日
発生地 事象の内容 県が
報告を
受けた日
落書き 1 JR米子駅男子トイレの差別落書き H17.5.3 米子市 JR米子駅男子トイレ(大便用)の付け棚上面に「××××(電話番号)柴チョーセン殺せ」と黒マジックで書かれていた。 H17.5.3
2 JR智頭駅跨線橋及び男子トイレの落書き H17.9.13 智頭町 JR智頭駅跨線橋及び男子トイレに「外人使うな、外人使うな 会前 法は被害者家族が参加して作ろう 次 法ム省民営」と書かれていた。 H17.10.3
3 幸町街路灯及び電柱の差別落書き H16.1.20 鳥取市 黄色のスプレーで街路灯に「えた」、電柱に「○○」(人名)と書かれていた。 H18.3.10
4 津ノ井駅トイレに差別落書き H16.6.23 鳥取市 駅男子トイレの大便のドアの裏に落書き。「エッタはドロボウより悪い○をころせ」※○は個人名らしき内容 H18.3.10
5 カラオケボックスでの差別落書き H16.12.1 鳥取市 湖山のカラオケボックスのトイレに「エタ」と落書きがあった。 H18.3.10
6 沢井出公園(鉄道記念公園)便所差別落書き H17.11.25 鳥取市 公園の男子トイレ、女子トイレに「エタ」「四」と落書きあり。 H18.3.10
7 沢井出公園(鉄道記念公園)便所差別落書き H17.11.29 鳥取市 公園の男子トイレ、女子トイレに「エタ」「四」と落書きあり。 H18.3.10
8 沢井出公園(鉄道記念公園)便所差別落書き H17.11.30 鳥取市 公園の男子トイレ、女子トイレに「エタ」「四」と落書きあり。 H18.3.10
9 沢井出公園(鉄道記念公園)便所差別落書き H17.12.1 鳥取市 公園の男子トイレ、女子トイレに「エタ」「四」と落書きあり。 H18.3.10
10 鳥取県立鳥取商業高等学校における差別落書き H17.5.27 鳥取県立鳥取商業高等学校 校舎内に「えた」と鉛筆書き H18.3.10
11 鳥取県立鳥取商業高等学校における差別落書き H17.5.27 鳥取県立鳥取商業高等学校 校舎内に「えた」、「ちく」と鉛筆書き H18.3.10
12 鳥取県立鳥取商業高等学校における差別落書き H17.5.30 鳥取県立鳥取商業高等学校 校舎内に「えた」と鉛筆書き H18.3.10
13 鳥取県立鳥取商業高等学校における差別落書き H17.6.10 鳥取県立鳥取商業高等学校 校舎内に「えた」とシャープペンで記入後消去した痕跡あり H18.3.10
14 鳥取県立鳥取商業高等学校における差別落書き H17.6.25 鳥取県立鳥取商業高等学校 校舎内に「死ネ部落民学校祭ニ出テクンナ」と水性マーカー黒で記入 H18.3.10
15 東郷羽合臨海公園差別落書き H18.3.11 湯梨浜町 東郷羽合臨海公園宇野駐車場に「えた」「ヒにん」「死ね」と落書きがあった H18.3.17
投書 1 鳥取県立倉吉体育文化会館における差別メモ H17.8.27 倉吉市 差別メモ「私は痛いめに合った。こんな事をするので、間違い事が起こりやすい。(同和の人間は汚い。) H17.9.5
その他 1 電話による同和地区出身の聞き合わせ H17.5.26 鳥取県東京事務所 鳥取県職員に同和地区出身者がいることを電話で問うた聞き合わせ H17.5.26
2 社員研修会不適切感想文 H15.5.30 鳥取市 新入社員研修会の終了後に提出された感想文の中に、差別的な内容のものがあった。「同和地区の人は性格の汚い人、根性の悪い人が多く・・・・・」 H18.3.10

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1960~1980年代の風景

※鳥取県内のとある同和地区近隣住民のお話をもとに構成しています。
1960年代、今学校で行われている同和教育のようなものは存在しなかった。ましてや、誰が部落出身だと明らかにするようなことはない。ただ、社会科の授業で身分制度について習うことはああった。私は「江戸時代には士農工商えた非人といった身分制度があったが、明治になってから解放令により四民平等になった」と教えられていたので、被差別部落はもう存在しないと思っていた。
当時、子供たちの間では鳩を飼うのが流行していた。被差別部落の子供とも、お互いに鳩を見せ合ったり、普通に遊んでいた。祖母も、隣村の住人とは仲がよかった。もちろん、当時はどこが被差別部落なのかと言ったことは知らなかった。
それから私はしばらく県外に出ていて、1975年ごろ、鳥取に帰ってみると、様子が変わっていた。PTAの集まりなどで、隣の村が被差別部落で、同和教育が行われていることを初めて知った。今になって思えば、以前に隣の村の子供たちの態度がよそよそしくなったので、その頃から部落内の子供は教わっていたのだと思う。
学校で差別事象があったということで、糾弾が行われたことがある。そのころ私はPTAの同和教育推進の役員をやっていた。座談会で差別があるといったことを言われたが、では具体的に何があったのか聞いてみても、はっきりと答えてもらうことはできなかった。
確かに隣の村は貧しい人が多かった。あばら家のようなところが多いのでそれは見れば分かった。しかし、同和対策事業が始まってからはみるみるうちに変わっていった。隣村には幅6mの道路が出来、建設業者が増えて公共事業で大いに潤った。
今、同和対策事業をやめろと言ってもそれは無理だと思う。特に鳥取のような田舎ではこれといった産業もないのだから。
結婚や就職差別は本当にあるのかも知れない。ただ、本当に部落差別なのか、人間の内面の問題であるから他人には知る由もない。
人間は昔から差別してきたし、これからも差別はあると思う。被差別部落内にだって差別はある。実際に就職などで、親族をえこひいきする者がいる。

制度化された同和地区の存在

今回は、同和地区とはなにか、ということを採り上げます。
同和地区は、「旧同和地区」と言うこともあります。それは、2002年に地対財特法が失効になったことで、同和対策関連の特措法はなくなり、当然法律の対象となる地域もなくなったからです。
しかし、鳥取県においては同和地区は今でも確かに存在します。行政側も同和地区および同和地区関係者が誰であるのかを把握しています。
県同和対策課によれば、鳥取県における同和地区とは、旧特措法における同和地区のことです。つまり、鳥取県では未だに失効した法が、エリア設定という点では実態として生きているということになります。
原則として、「同和関係者」とは同和地区住民を指します。しかし、例えば同和地区にワンルームマンションができ、そこで外から来た人間が一人暮らしをしている、というケースは同和関係者には含めません。つまり、同和地区人口と同和関係者の人口は必ずしも一致しません。そして、誰が同和関係者かといった判断を行うのは、市町村であり、地区の隣保館です。
鳥取市を例に挙げると、市が作成した部落問題はいま…という冊子に詳しく書かれています。一部引用します。

各地の自治体では「部落差別が現存する限り同和行政を積極的に推進する」「同和地区の現状を把握し、課題を整理し、一般施策を活用して、人権行政の重要な一環として同和行政を今後とも推進する」など、「法」失効後における同和行政についての基本姿勢を示しています。しかし、同和地区の差別の実態が把握できなければ、どのようにして「同和地区の現状を把握し、課題を整理」するのでしょうか。同和地区のエリア設定ができないという認識であれば、いくら立派な決意を表明していても、客観的には同和行政の放棄となってしまいます。そこには大きな矛盾が生じています。

つまり、誰が同和関係者で、だれがそうではないかと言う振り分けを行う根拠は、同和地区の実態調査の必要性にあるということです。鳥取市に関しては、市が同和地区の実態調査を行う義務があります。鳥取市の「鳥取市における部落差別をはじめあらゆる差別をなくする条例」から引用します。

(施策の総合的かつ計画的推進)
第4条 市は、部落差別をはじめとするあらゆる差別の根本的かつ速やかな解決を図るため生活環境の改善、社会福祉の充実、産業の振興、職業の安定、教育文化の向上、人権擁護等の施策を総合的かつ計画的に推進するよう努めるものとする。
2 市長は、同和問題の早期解決を図るため同和対策総合計画を策定するものとする。
3 市長は、前項の同和対策総合計画を策定する場合には、必要に応じて、実態調査等を行うものとする。

結果として、この条例がある限り、実態調査のために、市民は同和地区関係者か、そうでないかを証明するIDカードを知らず知らずのうちに持たされているのに等しい状態となります。
「部落差別」条例は同和地区の存在を制度化し、固定化しているという根拠はここにあります。

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日の丸ハイヤー差別事件

1996年9月2日解放新聞より。


事の発端は1995年11月に、部落出身の社員の車に「(実名)オマエタチエッタワ サレ」と、会社の運輸収入日報の裏に書かれた張り紙がされたことである。
1996年4月24日、部落解放同盟鳥取市協議会が糾弾会を開き、次の指摘をした。

  • 会社側がだした差別事件の分析と総括は、明確でない。
  • 事件発生後に労使でつくった「調査委員会」のとりくみなどが、拙速で対策的に終始している。
    その後、6月に部落出身の社員の自宅に電話があり、対応した中学生の子どもに差別発言を浴びせるということが起こっている。
    8月5日、同時期に起こった「JR・若桜鉄道差別事件」と合わせて、再び糾弾会が行われている。会には解放同盟鳥取市協議会だけでなく、韓国民団、朝鮮総連、解放同盟島根県連も参加している。
    糾弾会の結果、日の丸ハイヤー、JR西日本米子支社、若桜鉄道
    は「企業の差別体質を改善し、社会的責任・役割をはたしていく」と回答し、「推進計画」を実施すると確認した。

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  • 八鹿高校事件と解放同盟の現在

    この事件の刑事裁判では、1990年11月28日に解放同盟側の有罪が確定しています。また、1996年2月8日には民事裁判でも解放同盟側の全面敗訴に終わりました。
    八鹿高校事件から30年以上、裁判の結審から10年以上たった今、事件の当事者である解放同盟がどのような見解を持っているかは興味があるところです。このことについて、部落解放同盟鳥取県連に問い合わせました。
    Q. 1974年11月の八鹿高校事件について、取材している。
    A. 八鹿高校と言えば、兵庫県の八鹿ですよね?もうそんなになりますかね。30年くらいになりますね。
    Q. 鳥取県連としては、この事件についてどのような見解を持っているのか?
    A. もう前の事件ですが、私は鳥取県連としてコメントできる立場にないです。
    Q. 県連としての見解はないということなのか?
    A. そういうわけではないですが、これまで文書化して公に出したものはなかったと思います。
    ただ、真面目に運動しようということで、高校生が立ち上がったり、地域の人が支援するいう取り組みを教師集団が妨害するといった行為の中でから事件が発生したという風には、私たちは把握している。
    Q. 鳥取県の研修などで、八鹿高校事件について触れられることはあるのか?
    A. 無いのではないでしょうか。時間的にも30年も前の話ですからね。
    Q. 1991年(注:1990年が正しいです、質問時に間違えました)の時点で解放同盟の方が有罪になっているが。
    A. 私は確定したのかどうか分かりませんが…
    Q. 最高裁で確定ということになっている。
    A. そうですか。ただ、部落解放同盟が差別に対して憤りを感じて、差別を許さないと言う形での行動そのものを否定したということは、裁判の記録の中でもたぶん、ないと思います。
    ただ、気持ちは分からないでもないが、少し行過ぎたのではないかという判断があって、それがたぶん有罪の根拠になったのではないかと私は思います。
    そういった、差別と闘う、具体的には糾弾闘争を裁判所が否定したということではなかったと理解しています。
    Q. こういった形の闘争は正当であるということか?
    A. いや、時代によっては差別によって泣き寝入りをしている人が大部分で、例えば子どもが学校へ通学する、そういった道中で石を投げられたり差別を受ける、学校に行っても学校の教師からでさえも差別を受けるといった社会状況のときには、おのずと自分の子どもたちを守ろうということで、親がどう思われようと少し激しい闘いというか運動が起きる。
    Q. ということは、1974年の頃は、そういった状況があったのか?
    A. その時の社会状況が一律にこうだ、ということは言えないと思います。ただ、一般論としては差別が厳しい社会状況の中では、おのずと糾弾闘争も厳しい内容になってくる。今の闘争の形態は、話し合いによって相手の理解を求めるようなそういった糾弾闘争に変わっている。時代背景によって変わってくるので、いちがいに今の時代から見て八鹿高校の闘争がどうだったかということを、時代背景を理解しないで軽はずみに判断するのはどうかと思います。
    以上のように、間違いであったと、過去の行動を否定することは避けています。解放同盟は暴力行為に対して正式には謝罪せず、反省もしていないといった指摘は、鳥取県においても例外ではありません。
    私は過去の記事でオールロマンス事件のような、50年以上も前の状況を蒸し返すことに疑問を呈しました。八鹿高校事件はより新しい出来事であるだけでなく、不法行為を行った当事者が未だに誤りを認めていないという現実があります。部落問題に関連して、過去に例がないような暴力行為が行われ、それが闇に葬られてゆくことは「部落は恐い」という考えを支えるものではないかと思います。
    そういった意味で、教育や研修で米子市民による身元調査差別事件の糾弾のような事例を取り上げながら、八鹿高校事件に触れないと言うのは偏向教育と言えるのではないでしょうか。

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