鳥取市は「同和枠」の存在を把握していない?(1)

今年の2月15日、鳥取市の産業振興課に、いわゆる「同和枠」の存在について聞いてみました。
私) 同和対策雇用促進協議会(同雇促)について、平成14年の鳥取の同和対策総合計画に同和地区出身の新卒者の採用協力を雇用主に要請すると書かれていますが、今でも実態としてありますか?
鳥取市) えーと…これ、どういうことにお使いになられるんですか?
私) 取材活動です。
鳥取市) あくまで同雇促として同和地区の新規学卒者の雇用を企業にお願いするということですか?
私) そうです。
鳥取市) 同雇促は学校や企業や労働組合などで組織されている組織ですが、同雇促の名前で新規学卒者の就職をお願いするということはないですね。直接的には。
私) 間接的にということはあるんでしょうか?
鳥取市) 同和地区の方や障害のある方の雇用をどうするか審議するところで、同雇促の名前で直接企業に採用の促進のお願いをすることはありません。ただ、市の管理職が企業訪問する際に障害者の法定雇用率を満たすようにお願いすることはあります。
私) 俗に同和枠と言われる同和地区専用の雇用形態があるという噂を聞きますがどうでしょうか?
この後、「そんなことを知ってどうするのか?」といろいろと詮索されましたが、ウェブサイトを運営していて取材目的であることを説明しました。最終的に文書で質問をして欲しいということであったため、以下の質問を送付しました。

(1) 鳥取市同和問題等雇用促進協議会(以下、同雇促)が直接または間接的に、同和関係住民の採用協力の要請を事業主に対して行うという実態は現在または過去においてあったか。
(2) 民間団体等が同和関係住民の採用協力の要請を事業主に対して行うといったことを鳥取市として把握しているか。
(3) (1)あるいは(2)が事実である場合、採用協力はどのような基準で、誰により、どういった手続きで行われるのか具体的にご回答願います。また、過去に行われた場合、いつまで行われていたのか、および取りやめた経緯をご回答ください。

その結果返ってきたのが次の回答です。

(1)についての回答
鳥取市同和問題等雇用促進協議会には、ご質問のような実態は過去も現在もありません。
(2)についての回答
民間団体等でそのような実態があるということについて、鳥取市は把握しておりません。

次回に続く…

「もう差別はない」といった考えは、差別を助長するものです。

とっとり市報平成13年8月1日号より引用。

やめよう 差別落書き
それは人を深く傷つける行為です
鳥取市では、部落問題をはじめあらゆる差別をなくすため、家庭、学校、地域、職場で同和教育を進めるなどさまざまな施策に取り組んでいます。しかし、今でも差別落書きや差別発言などが後を絶ちません。このことは、人々の意識の中に今なお根強く残っている差別意識が、文字や言葉の形で現れたものといえます。
今回は、差別落書きについて考えてみたいと思います。
鳥取市では毎年、数件の差別落書きが発見されています。その内容は、せん称語を書いたもの、個人名を挙げて攻撃するもの、中には見た人に差別を扇動するようなきわめて悪質なものもあります。
また、書かれている場所は、市内の公衆トイレや、バス停のように、多数の人の目に触れる可能性の高いところもあります。
このような落書きは、名指しで落書きされた人のみならず、見た人をも深く傷つけ、あるいは、新たな差別意識を植えつけてしまう卑劣な人権侵害です。そのため、それらの落書きをそのまま放置しておくことは絶対に許されません。
「放っておけば差別は自然になくなる」とか「もう差別はない」といった考えは、差別を助長するものです。毎年発生しているこのような落書きや発言は、差別が今でも厳しく存在していることを示しています。
こうした差別落書きをなくすためには、一人ひとりが身近な人権侵害に気づき、差別をなくしていくよう努力するとともに、自らの差別意識の解消にも努めることが大切です。
差別のない、明るくにぎわいのある鳥取市を実現するためには、このような差別落書きは絶対なくしていかなければなりません。
差別落書きを発見した場合は、直ちに人目につかないように遮へいするなどの措置をとるとともに、現場を保存することが必要です。
そして、確認などを行った後、関係行政機関および関係団体との合議のうえ消去するなどの処置を行います。
差別落書きを見つけた場合は、至急ご連絡ください。

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鳥取市はこれからも同和問題を蒸し返します

同和問題等人権問題に関する市民意識調査が鳥取市より公開しています。ぜひ、調査票や結果がどうなっているかご覧ください。
このレポートの最後には、「文責 国歳眞臣」として次のように書かれています。

最後に全体を通して感じたことを記してまとめとしたい。それは、私には関係ない、関心がない、関わりたくないという意識が、今回の調査では特に強くみられたという点である。ノーマ・フィールド(1947年東京生まれ)が、最近の日本人について書いた新聞記事の中に次のような文章があった。
「今、他人や社会の出来事との関係を拒否することが、新種のアイデンティティーになっているのではないか。私は、これを「関係ないよ」という姿勢を根底に置くアイデンティティーと呼ぶ。」
そして、彼女は、その結果として「当事者でない(ないと思っているだけなのだが)市民が広範に立ち上がる状況」が、ほとんどなくなってしまった現代日本と指摘している。
自由回答の中で、「否定的な意見」の中心に「寝た子を起こすな論(自然解消論)」が多数みられた。
学校同和教育や社会啓発の中で、この考え方が部落差別を存続させてきた点を明らかにしてきたにもかかわらず、特別措置法失効後、同和問題解決の方策として「公務員・教員」自体にこの考え方が極めて強い(図56P.83)背景には、このノーマ・フィールドの指摘する《「関係ないよ」という姿勢を根底に置くアイデンティティー》が存在していることは明白である。
未だ現存する日常的差別関係の中で、その被差別状況を告発する動き自体は、こうした「無関心派である」差別の加害者の多くから、「私は黙って生きていたいのに、寝た子を起こすのか」というおかど違いの迷惑意識を向けられているといえる。しかし、人間は、常に多数派として加害者の立場にとどまっていることなどできないことを、もう少し市民は知るべきではなかろうか。

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差別は存在するという結果を出すための意識調査

2004年7月1日のとっとり市報より。
県民意識調査

根強く存在する部落差別
「もう部落差別はなくなった」 「私は差別をしていません」と言う言葉を耳にすることがあります。
でも、本当に差別をする人はいなくなり、差別はなくなったのでしょうか。
いいえ、差別は形や方法を変えて現存しており、地域や学校、企業などでは、 差別落書きや差別発言、差別投書などの事件が相次いで起こっています。 また、最近は、パソコンの普及に伴って、インターネットのホームページや 掲示板を利用した部落差別事件も増加しています。 中には、被差別部落の人に対して生命を脅かす卑劣で悪質な内容のものもあります。
このように、私たちが生活する社会には、あらゆる差別が見え隠れし、 「差別をしていません」という人の中には、自分の発言や行動の中に潜む差別意識に 気付いていない人も少なくありません。
県民意識調査から
平成十二年七月に鳥取県が行った県民意識調査(右下図参照)に次のような集計結果が出ています。
「今の時代、部落差別はもはや存在するはずがない」という質問に対して、「そう思う」(部落差別は存在していない)と回答した人は約二十五パーセント、「そうは思わない」約四十二パーセント、「どちらとも言えない」約三十一パーセントとなっています。その内「そうは思わない」「どちらとも言えない」と回答した人を対象に、「世間の人々は、口先でいいことを言っても、腹のそこでは差別している」という質問をしたところ、「そう思う」と回答した人が約五十一%もいました。この回答結果からも、部落差別が今なお、根強く残っていることが伺えます。
部落解放月間を機に
鳥取県が部落差別の解決に向け啓発活動を行うために、部落解放月間を定めてから三十余年が経ちます。
鳥取市同和教育協議会でもこの月間中に、部落解放鳥取市研究集会を開催して、今年で三十一回を迎えます。研修会では、同和問題への理解を深め、差別をなくするための取組みの討議を行っており、毎年多くの市民が参加しています。差別のない明るいまちをつくるためにも、私たち自らが差別を許さない取組みのための新たな一歩が、今、必要なのです。

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現存する差別の実態に気づかない智頭町民

広報ちづ2005年4月号より、あまりに凄いので、全文引用します。太字にした部分は、原文でも太字です。

差別のない社会へ271
~差別解消のためには 学習を積み重ねることが大切です~
智頭町同和問題意識調査
智頭町では、同和問題に関する町民意識調査を5年ごとに実施しています。今回は昨年度に実施された町民意識調査の結果から見えてくる差別の実態について考えてみたいと思います。
部落差別の問題については年齢を問わずほぼ全町民が「知っている」と回答しています。どのように「知る」かについては、町民の84%が小中学校の間に「知り」その「知り方」は35%が学校の授業で、29%が父母や祖父母から、10%強が学校の友達や先輩から聞いた、となっています。学校の授業と違い、家族や友人から聞くということは、『偏見』や『誤った知識』として「知る」という実態を生みやすくなります。また、部落差別について、約62%の人がだいたいわかったと回答し、差別がある原因は、約41%が『因習や風習にとらわれているから』約43%が『差別をする人がいるから』であり、差別をなくすためには約41%が同和教育を徹底し、人権意識を高めることだと回答しています。では、自分や自分の家族が差別を受けたり差別をした経験についてはどうかというと、どの年代も半数近くの人が差別をしたことも受けたこともないと回答しているのです。現存する差別の実態に気づかない、或いは見ようとしない私たちの姿がここに現れています。差別が残っている原因は『差別をする人がいるから』と回答していながら、だいたいわかったからもう学習はしなくて良い(約33%)という考えでは、自分や家族が結婚問題に出会ったとき、賛成しない約34%、何もしない約36%となってしまい、祝福して応援する約30%という実態を変えることはできません。差別に対する怒りを持ち、解消に向けた積極的な行動をするためには、差別のおかしさに気づき、差別の実態から深く学ぶことが大切です。

[2006.9.23] 2006年5月号以降「広報ちづ」から「差別のない社会へ」が姿を消しているようです。

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鳥取工業高校と鳥取西工業高校の差別事件

2000年3月20日解放新聞より

学校で差別発言事件が多発 「おまえ、エタかいや」など
【鳥取】「おまえ、エタかいや」など、連続して五件の生徒による差別発言事件(別掲)が発覚した、県立鳥取工業高校などにたいする糾弾会を二月二十六日午後、鳥取市解放センターでひらいた。そのなかで、①「同和」教育は特設の授業だけどの認識で学校全体のとりくみになっておらず②差別発言や問題発言がその場で私的される状況になく③そのため部落出身者がみずからの立場を明らかにすることや差別発言を指摘し問題を提起することが困難になっている、ことなどが明らかになり、学校側との共通認識として確認した。さらに、生徒が安心して通える学校へと変革するために、①差別発言をした生徒の認識を分析し、学校としての課題を明らかにする②そのさい、PTAや保護者会へのとりくみがみえていないことをふまえて文書にする③県教委の見解はきわめて不十分であり、県教委としての責任を明らかにした見解をあらためて提出する、ことなどを確認。三月二十日までに文書を提出し、それをもとにひきつづき糾弾会をもつこととした。
鳥取県内、2年間に16件
鳥取県内では、この二年間で十六件の差別事件が中・高校で発覚。時間が経過してから部落解放研究交流会で打ち明けられるケースも目立ったため、教育現場でのとりくみの形骸化が指摘され、東部、中部、西部の県内三地協で糾弾会を積みあげ課題を明らかにし、最終的に県連が糾弾会を集約していくことにしている。今回の糾弾会はその一環で、東部地区協議会が主催。県立鳥取工業高校の五件、県立鳥取西工業高校の一件を対象にもったもの。二校の校長はじめ教職員、県教委、鳥取市行政など百二十人と他校の教職員ら七十人が出席、部落解放同盟からは中田幸雄・東部地協議長を先頭に百六十人が参加した。
マイナスイメージにもとづいて
糾弾会では、六つの事件の事実関係を確認。山田幸夫・東部地協書記長が、発言は部落のマイナスイメージにもとづき、相手に打撃を与えることを意図しておこなわれた差別発言であり、その背景に、①「同和」教育が全領域で位置づかず、特設ロングホームルームに矮小化されている②そのため、日常的に人をおとしめる発言などが無批判におこなわれており、部落差別は他人事という意識が根強くあり③部落出身生徒が自らの立場を明らかにしたり、問題を提起しにくい状況がある、ことを指摘した。
さらに今後の課題として、①全教職員のとりくみにする必要性②マイナスイメージさけの高校「同和」教育の見直し③差別事件の教材化と保護者啓発④関係団体との連携、などを提起し、共通の認識として確認した。
不安を指摘する声もあいついで
参加者からは、生徒が学校に問題提起できないぐらい不安をもっている現状を指摘する声があいついだ。「学校では問題発言、差別発言が飛びかっており、この状況では学校に何もいえない」と涙を流しながらの高校生からの青年への訴えがあったこと。差別発言した生徒が聞きとりのなかで「特設ロングホームルーム」について「またか。たいぎい」と感じていたことなどを示し、この場は「これからやります」ということをいう場ではなく、なぜできなかったのか、その問題点をだす場であることを訴え、率直な対応をと重ねて求めた。
学校からは「信頼関係でなく『対策』をしてきたところに原因がある」などの発言はあったものの、解放研交流会の存在を知っていた教職員は五分の一程度であったことも明らかになった。
さらに、鳥取工業高校が差別事件発覚後におこなった研修のなかで、部落差別を助長すると思われる講座が実施され、その問題点をだれも指摘していないことも示され、問題の根深さが浮きぼりになった。
このため、今回の糾弾集会での提起をふまえ、三月二十日までに文書を提出し、あらためて糾弾集会をもつことを確認。一日も早く生徒が安心して学校へ行けるような状況にするよう強く求め、第一回目の糾弾会を終えた。

「差別発言事件」の内容は次のようなものです。

  • 生徒数人がふざけあう中で、ある生徒が「お前、被差別部落だろう」と発言した。
  • 休憩時間中に生徒が他の生徒に「お前、エタかいや」と発言。
  • 「世界を征服したら何をするか」という話題で「お前の住んでいるところを被差別部落にするぞ」と発言。

…などです。

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統一応募用紙と人権局

鳥取県の各種申請用紙から元号が省かれたという件について、人権局は「日本の元号に馴染みのない外国人に配慮した」とか「本人の意思に反して元号を書くことを強いるのは人権上の問題であるから」と説明していたことは以前の記事で採り上げました。もちろん、この説明は間違いでした。対象となった申請書は日本語のものばかりなので、そのような書類を書くことができる外国人が、元号に馴染みがないというのは考えられないからです。
もう少し人権局に問い詰めてみたところ、ようやく本当の理由が見えてきました。こういった申請書の改訂が単なる事務手続き上のことではなく、「人権上の問題」となっているのは、歴史的な経緯があります。
戦後間もないころ、企業が従業員を採用するに当たって、身元調査をするのは当たり前のことでした。例えば共産党関係者などは普通に排除されました。その中で、部落出身者が排除されるということもありました。
このように思想信条や旧身分で差別するような採用選考が行われることがないよう、各地で規格化された「統一応募用紙」が作られるようになります。企業が統一応募用紙の採用するよう運動を推進したのは、主に部落解放同盟でした。
以下は、1980年代に鳥取県内で就職活動をする高校生が、学校から記入を求められた「就職受験報告書」です。私の高校時代(1990年代)にもこういったものが配布されていました。
就職受験報告書

公正採用を求める運動は、次第に過激化していきました。当初は思想信条や旧身分を採用条件とすることを防止することが目的でしたが、ついには思想信条に関することや、住所を聞いただけでも「差別事件」として糾弾されるようになります。ちなみに「思想信条に関すること」というのは、愛読書や尊敬する人、といった程度のことです。
1994年、中国電力などで就職差別があったとして、企業や行政が何度も部落解放同盟から糾弾されるということが起こっています。もちろん、実際に就職差別があったわけではなくて、「就職差別につながる質問」があったということです。
人権局が申請書の項目に敏感なのは、こういった背景があります。

椋田昇一氏にインタビュー(2)

さらに、1990年代半ばに行われた、農協に絡む結婚差別問題についての糾弾に話が及びました。農協の建物に一角にある理髪店の職員の弟が被差別部落の人と結婚したとき、親戚が誰も結婚式に参加せず、弟の兄が差別発言をしたのがきっかけです。

私) それで農協が糾弾されたのか?
椋田氏) 農協が差別をしたという糾弾ではない。ただ、農協側が農協の直営ではないので関係ないと言ったのに対し、直営はないにしても農協関係の人が相談に来ているのだから誠意を持って取り組んで欲しいということを提起したのだと思う。
私) そのことがきっかけで農協は教育・啓発に取り組むようになったようだが?
椋田氏) それだけではないと思う。日ノ丸自動車ほど頻繁ではないが農協に対しては何度も糾弾があった。
私) 当の本人(理髪店の職員の兄弟)はどうなったのか?まさか「農協を糾弾してくれ」と解放センターに相談に来るとは思えないが。
椋田氏) 本人がある面加害者でもあるので議論はされているはずだが、よく覚えていない。

農協の件については、「親戚の仲を取り持って欲しい」といった相談はなかったのではないか、ということでしたが、その後どのように解決されたのか、明確な答えを得ることが出来ませんでした。
さらに、人権救済条例について核心の部分を質問しました。

私) 加害者に対する啓発・指導といったことを入れるように求めたのは椋田さんと考えてよいのか?
椋田氏) 単に謝ってで終わりではなく、あるいは逆に謝らなかったから氏名を公表して終わりではなく、差別意識を変革するというのが私の考え方だ。心情面で終わらせたり、権力で規制するのでなく教育や啓発が必要だと思っている。
私) 単刀直入に言えば、これは糾弾を念頭に入れたものか?
椋田氏) それはむしろ違う。人権委員会に上がるという事は、当事者同士の話し合いを模索することが前提となる。それを妨げるような人権委員会になってはならないと思っている。教育や啓発が糾弾に結びつくというのは不可解だ。
しかし、誠意を持って対応しない場合は、被害者が泣き寝入りをしないために人権委員会が出てくる。ただ、人権委員会が行うことと、当事者を糾弾することは別の話だと思う。

さらに、この取材の2日前に人権救済条例の見直し委員会で、教育・啓発について「下品とは言わないが上品なやり方ではない」「殺人犯であっても内心の自由は保障されている」といった発言があった話をしました。さすがに椋田氏も少し不機嫌そうな様子で、「差別をする自由はない」という返答でした。

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椋田昇一氏にインタビュー(1)

椋田氏については、前回の記事の疑問に加え、氏が関わっている「人権尊重の社会作り条例」が制定される過程についても疑問がありました。そこで、今年の8月1日に、鳥取県人権尊重の社会づくり協議会委員の椋田昇一氏にインタビューしてきました。氏は現在は鳥取市人権情報センターの副所長という肩書きです。
以下は、取材メモから要約したものです。

私) 人権尊重の社会作り条例が制定される過程で、椋田さんは部落差別撤廃の条例を作るのか、人権啓発の条例をつくるのか二者択一を県に迫っているが?
椋田氏) 当初は部落差別撤廃条例を作ろうという要求があった。それに対して県は部落問題だけではなく様々な人権を対象にしようとした。そして、その中に部落問題の解決ということが位置づけられていればよいのではということになった。
私) 人権救済条例の際にも同様の交渉はあったのか?
椋田氏) 私はもう解放同盟としては関わっていないので承知していない。
私) 2002年当時(椋田氏が解放同盟の書記次長であったころ)にはすでに動きがあったようだが。
椋田氏) (個人的な印象として)当時は今の人権救済条例のイメージまではできていなかった気がする。ただ、部落解放基本法の制定運動が流れとしてはある。部落解放基本法案には差別撤廃の理念を定めた宣言法的部分、被差別部落の差別実態解消のための事業法的部分、差別意識を変革する教育・啓発法的部分、特に悪質な差別行為を規制し被害者を救済する4つの要素があった。全てをパッケージ化した部落解放基本法の制定は現実的に難しかったので、各要素を実現してゆくという柔軟路線をとった。それが2002年に制定された「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」や国の人権擁護法案である。そういう意味では考え方はつながっていると思う。
私) 2000年から2002年にかけて日ノ丸自動車、JR、山陰合同銀行、農協、鳥取工業高校、鳥取西工業高校などが相次いで糾弾されている。その当時、例えば普段椋田さんと仲良くしている方でも「お前はそっちだ!」と言われて壇上(糾弾を受ける側)に上がらされたといった話を聞いたが?それから「鳥取スタイル」というような話も聞いている。
椋田氏) 全然聞いたことがない。私のような立場の人間には、残念ながらそういった声が届かないことがある。私もそういったことを聞いたことがないから、むしろ事実かどうか知りたい。
直接覚えがあるのは日ノ丸自動車。壇上に上がれ、といったような話であれば、今回はあなたは糾弾される側でしょということであれば状況によって言っている可能性はある。鳥取工業高校、鳥取西工業高校については直接は関わっていない。

(次回に続きます…)

加害者に対する啓発・指導とは何を意味するのか

鳥取県人権救済条例の特徴として、被害者の救済だけではなく、加害者に対して行われる措置というのがあります。条例の中で、そのことに関するのは以下の部分です。
第21条の2号

人権侵害を行い、若しくは行うおそれのある者又はこれを助長し、若しくは誘発する行為を行う者及びその関係者(以下「加害者等」という。)に対し、当該行為に関する説示、人権尊重の理念に関する啓発その他の指導をすること。

第24条の1項

委員会は、生命若しくは身体に危険を及ぼす行為、公然と繰り返される差別的言動、ひぼう若しくは中傷等の重大な人権侵害が現に行われ、又は行われたと認める場合において、当該人権侵害による被害を救済し、又は予防するため必要があると認めるときは、第21条に規定する措置を講ずるほか、次に掲げる措置を講ずるものとする。
(1) 加害者等に対し当該人権侵害をやめ、又はこれと同様の行為を将来行わないよう勧告すること。
(2) 加害者等に対し人権啓発に関する研修等への参加を勧奨すること。

この加害者等に対して行われる啓発、指導、研修は、「糾弾」ではないかということが条例が出来た当初から危惧されていました。それは、部落差別に関する問題に絡んで、啓発というよりは、単なる報復や吊るし上げに近い糾弾が行われてきたためです。一般のマスコミではほとんどタブーになっていますが、行過ぎた糾弾による自殺者も出ています過去の記事でも触れた通り、吊るし上げに近い糾弾は鳥取でも行われていました。糾弾を行っていたのは、部落解放同盟です。部落解放同盟は、鳥取県連を含め、この糾弾という行為を未だ否定していません。
鳥取で行われた糾弾に居合わせた複数の人物から話を聞いたところでは、共通して、ある人物の名前が挙がってきました。鳥取県人権尊重の社会づくり協議会委員の椋田昇一氏です。椋田氏は、2002年頃まで部落解放同盟鳥取県連の書記次長として、糾弾会では指導的立場であったと言います。
確かに、人権条例に啓発、指導といった内容を入れるように主張していたのは椋田氏です。例えば平成15年9月11日の人権救済制度についての会議録に、次の発言が書かれています。

(朴委員)被害者の救済ということばかりではなく、加害者への啓発、人権侵害が許されない罪悪であるかということを分からせることも大事なことであると思う。
(椋田委員)朴委員の意見に賛成である。人権侵害のものによってそれぞれ対応も異なるだろうが、単に物や形で解決したり、言葉で謝罪しただけでは駄目である。加害者に対する是正指導も権限を持ってやっていく必要があるのではないか。第二第三の侵害を起こさせないよう是正指導、啓発教育とそして救済という三位一体でやっていく必要がある。多くの人権侵害の場合、対処療法だけで終わっているがそれだけでは不十分な場合もある。
もう一点は、私間の人権侵害については、民間レベルの取り組みを最大限尊重するべきであるということ。こうゆう制度を作ることで民間レベルの取り組みを逆に押さえつけることになってはならない。加害者の駆け込み寺になるようなものにしてはならないということ。
もう一点は、公というか官というか、行政レベルの人権侵害については、知事が議会答弁で答えられていたようにオンブズパーソン的な制度がいいのではないか。官の中で起きた問題を官が設置する機関で本当に救済できるかということ。
どちらにしても、行政レベルでの取り組みと、民間レベルの取り組みと、そしてこことの連携、協働という視点もふまえて検討していく必要があると思う。

これは、「糾弾」という私的救済を念頭に入れた発言のように取れます。
なおウェブ上で収集済みの議事録の全文は以下をご覧下さい。
社会作り協議会議事録詰め合わせ.zip
実は、椋田氏には2回に渡って直接会う機会がありました。当然、人権条例や糾弾について率直な疑問をぶつけてみました。それについては、次回採り上げることとします。

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