鳥取県下の全ての市町村には例外なく「差別」に関係する条例があります。以下が、その一覧です(50音順)。
自治体名 | 条例の名称 |
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岩美町 | 岩美町あらゆる差別をなくする条例 |
倉吉市 | 倉吉市部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例 |
江府町 | 江府町部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例 |
琴浦町 | 琴浦町部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例 |
境港市 | 境港市から差別をなくす条例 |
大山町 | 大山町部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例 |
智頭町 | 智頭町基本的人権の擁護に関する条例 |
鳥取市 | 鳥取市における部落差別をはじめあらゆる差別をなくする条例 |
南部町 | 南部町における部落差別をはじめあらゆる差別をなくす条例 |
日南町 | 日南町基本的人権の擁護に関する条例 |
日吉津村 | 日吉津村における部落差別をはじめあらゆる差別をなくす条例 |
日野町 | 日野町部落差別撤廃及び人権擁護に関する条例 |
伯耆町 | 伯耆町部落差別をはじめあらゆる差別をなくする人権尊重に関する条例 |
北栄町 | 北栄町部落差別をはじめあらゆる差別をなくする条例 |
三朝町 | 三朝町部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例 |
八頭町 | 八頭町部落差別撤廃及び人権擁護に関する条例 |
湯梨浜町 | 湯梨浜町部落差別撤廃とあらゆる差別をなくする条例 |
米子市 | 米子市における部落差別をはじめあらゆる差別をなくする条例 |
若桜町 | 若桜町部落差別撤廃・人権擁護に関する条例 |
すこし古いですが、部落解放・人権研究所のページに分かりやすくまとめられています。どれでもよいので、いくつか内容に目を通してみてください。
ご覧の通り、これら条例は特に部落差別を視野に入れたものであることが分かります。
実際、境港市を除けば、条例の名前または内容に「部落差別」という言葉が入っています。
これらの条例は、各自治体が人権擁護のための施策を行い、住民もそれに協力するという点で共通していますが、それぞれ微妙な違いがあります。例えば、米子市、境港市を除いて人権擁護のための審議会の存在があります。伯耆町、湯梨浜町、大山町、倉吉市、三朝町、江府町、琴浦町は、関係民間団体による住民に対する研修や啓発について触れられています。智頭町では町が差別行為に関係した者に対し、関係団体と連携し指導及び助言を行うと定められています。
そして、さらに注目すべき点は、これらの条例が共通して1994年か1995年に制定されていることです(合併により再制定された自治体を除く)。さて、この年にいったい何があったのでしょうか。
1985年から解放同盟を中心に、「部落解放基本法」という法律を制定しようという運動が行われていました。ご存知の通り、結局は部落解放基本法の制定は実現されませんでした。
当時の解放同盟は社会党と親密な関係にありましたが、この法律については自民党よりもむしろ同じ連立政権の仲間であった共産党から激しく批判されていました。曰く、「これは部落解放どころか、部落固定化法である」と。
この頃、鳥取市の三洋製紙のすぐ近くにある中央隣保館には「部落解放基本法の制定を実現しよう」という大きな横断幕が出ていたのを覚えています。
そして、私が学校で同和教育を受けたことを知った祖父は、この法律に関していつになく真剣な顔で次のような話をしました。
「昔はな、確かに差別はあっただ。○○(同和地区のこと)の者は貧乏だったけぇ、椀移しと言って、うらげの村のもんが食べ物を恵んでやらないけん状態だっただ。だけど、いつまでもそんなんじゃぁいけんということで、国が法律を作っただ。そういうことがあって、○○は道が広うなって、綺麗になって、これでもう、同和地区だとかいうことは気にせんでもええようになると思とっただが。」
それから祖父は、小学生だった私に「時限立法」について長々と語りました。これは同和対策事業特別措置法のことです。部落差別をなくすための法律なのだからら、時間を区切るのが当然だというのが祖父の考えでした。そして、祖父は続けました。
「だけどもな、今度は○○の者がそれを永久立法にしようっちょうるだが。だけどな、それは絶対やっちゃあいけんと思うだが。永久に同和地区を残して、○○とうらげの村の間に永久に壁を作るっちゅうことだけな。」
祖父は私が中学生の時に亡くなりました。
私は祖父の言葉の意味が分かるのに、10年くらいかかりましたが、小学生の頃のこの話は、今でもはっきりと覚えています(ちなみに、祖父は共産党とは全く関係ありません…)。
ところで、部落解放基本法制定要求国民運動中央実行委員会が作った原案をご覧下さい。これを読んでみると、鳥取県各地で制定された条例の内容と非常によく似ていることが分かります。
現在、人権擁護法の条例版が鳥取で制定されたようなことが、当時も起こっていたのです。
今回は話が横道にそれてしまいましたが、次はいよいよ1994年の謎に迫ります。