日本海新聞も報じなかった八鹿高校事件

米子市民による身元調査差別事件で、私はその米子市民が「(部落解放同盟の)裏の組織が殺しに来る夢をみた」と言った事が本当に差別であるかどうか、疑問を呈しました。その引き合いに出したのが、八鹿高校事件です。
八鹿高校事件とは、兵庫県八鹿町(2004年4月1日に合併により養父市に編入)の県立八鹿高校で起きた、同和問題に絡む大規模な暴行・監禁・傷害事件です。この事件では八鹿高校の48人の教職員が重軽傷を負い、後の刑事裁判で暴行を行った部落解放同盟側の13人の刑が確定しています。
この事件については、同和利権の真相(4)で詳しく解説されています。事件の内容についてはその本を見ていただくとして、鳥取ループでは当時その事件がどのように報道されたかに的を絞って書くことにします。
この事件について特徴的なのは、被害者の多さと、陰惨な事件が高校という教育の場で行われたと言う重大な事件にも関わらず、マスコミでの扱いが非常に小さかったことです。同和問題というのは最大のタブーと言われますが、確かにマスコミが同和団体にからむ事件を報道することを避けていたことがうかがい知れます。しかし、一般のマスコミが完全に黙殺していたわけではありません。
毎日新聞 1974.11.24事件の2日後の1974年11月24日の毎日新聞は、社会面に「教諭ら43人けが」「兵庫県八鹿高 同和教育めぐり紛糾」という見出して、中程度の大きさの記事を出しています。
記事では、部落解放同盟側の約100名と、八鹿高校教諭約60名がもみ合い、43人が負傷、28人は入院した(八鹿署調べ)と報じています。また、背景として、八鹿高校側が「部落解放研究会」をサークルとして承認しなかったことから部落解放同盟側と対立していたことが報じられています。
読売新聞 1974.11.25また、読売新聞は事件から3日後に、社会面で「警察署長を告発」「兵庫県高教組 同和教育めぐる紛糾」という見出しで小さな記事を載せています。記事の要旨は毎日新聞とほぼ同じですが、ここでは負傷者39人、28人が入院となっています。
読売新聞は26日の記事で「事実上の休校に 八鹿高」という見出して続報を載せ、負傷者を44人、27人が入院と数字を訂正しています。そして、2827日は「八鹿高正常化へ」という記事が載せられています。いずれも、社会面で小さな扱いです。
3大紙の中で唯一朝日新聞は一切報じませんでした。
また、鳥取県のローカル紙である日本海新聞山陰中央新報も当時、この事件を全く報じていません。
赤旗 1974.11.23一方、部落解放同盟と対立関係にある日本共産党の機関紙赤旗は、連日大きな扱いで報道しました。全国紙が2日または3日後に事件を報じたのに対し、赤旗は翌日に「朝田一派 教師に血の集団リンチ」「5人重体、38人重傷」と一面で報じています。
一般紙の中でも、赤旗ほどではありませんが、事件を比較的詳しく報じた新聞がありました。神戸新聞です。次回は、神戸新聞の内容を中心に、当時の報道を詳しく見てゆきます。


八鹿高校事件は、同和団体の闇の部分を象徴する出来事です。
高校の頃、「部落を馬鹿にすると部落民が鎌や竹槍を持って襲ってくるぞ」などと言っている友人がいましたが、実際にこういう事件があったことを知ると、単純にそれを「差別発言」と片付けることができません。その友人が八鹿高校の件を知っていたかどうかは知りませんが。
この事件を知ったときは、「差別は差別する側が悪いのであって、差別される側は悪くない」と同和教育で教えられたことが、全て吹き飛んだ瞬間でもありました。同和団体が集団で暴行を行ったとき、警察は黙認し、マスコミもほとんど報じなかったという事件があったことは事実です。それでいて、「部落は恐い」という意識が差別だと言うのであれば、それを作り出したのは、差別される側とされる同和団体なのではないかと、今でも思います。
後に取材しますが、鳥取県の同和教育は確実に部落解放同盟が主導しています。もちろん、同和教育の中で、水平社の流れを汲むとされる部落解放同盟の、このような闇の部分は一切教えられません。(追記2006年12月10日 ちょっと自信がないので保留にしておきます。こりゃ電凸ですな。)

コメント

コメント(5)

  1. 涼風庵(人権擁護法案をGO FOR BROKE!!) on

    八鹿高校事件(第二回)-糾弾という名のテロによる恐怖政治

    まさしく、無法地帯であった。 警察力ですら、「人権圧力」で黙らせる。 彼らはまさしくこの地域に「恐怖政治」を敷こうとしていたのである。

  2. 加納 綾一郎 on

    どうも、はじめまして。
    八鹿高校事件は当ブログでもシリーズ化しており、TBさせていただきました。
    当時の新聞まではフォローしていませんでした。
    参考にさせていただきますm(_ _)m
    この事件はまさしく「テロ事件」の名に相応しい事件ですね。
    70年代というと、学生運動が幅を利かせていた頃であり、左翼過激派によるテロが頻発していた時代でもあります。
    同和団体の暴力性と、朝鮮人組織との類似性を研究する上で、避けて通れない事件ですね。

  3. 鳥取ループ on

    加納さん、コメントありがとうございます。
    おっしゃる通り、当時は過激な学生運動や、暴力団の抗争など、テロ(当時の言葉で言えば「ゲバ」でしょうか)と呼べるような事件は珍しくなかったのですが、この事件に特徴的で、恐ろしい部分はマスコミがほとんど報じなかった、ということだと思います。
    朝鮮人組織と言うと、朝鮮総連のことだと思いますが、確かに共通する点があります。拉致事件の少し前、朝鮮総連のメンバーが殺害される事件(対立組織によるものか、内輪もめかは失念しましたが)があったのですが、一般のマスコミは少しも報道しませんでした。
    相手が同和団体、朝鮮総連であれば、不当な要求をされても、数の力で押し切られてしまう。過去の差別や、植民地支配を持ち出されると、それに毅然と反論できる人間がマスコミ側(政府や一般の企業を含め)にはいない。そういった事情があったと思います。
    その点、共産党はかつての仲間なので、過去を持ち出されたからといって萎縮する必要はありませんし、十分に反論の材料を持っているので、容赦ないもんです。

  4. K on

    赤旗によると、朝日は1974年11月29日付で一応報じてはいたようです。

    http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2007-01-04/2007010426_01_0.html

    • 鳥取ループ on

      そうでしたか、私は見つけられなかったのですが…。
      再度図書館で調べてみます。