鳥取地裁に提出した、同和地区の場所が積極的に公開されていた証拠資料

鳥取市下味野地区の固定資産税の減免要件の公開を求め鳥取市を提訴した件、7月20日10時30分の口頭弁論に向けて書面を提出しました。

原告第1準備書面・証拠説明書.pdf
文書提出命令申立書.pdf

提出した証拠書類はこちらにあります。

原告の主張は、一言で言ってしまえば、「下味野同和地区があるということは誰も隠している様子がない」ということです。鳥取県公文書館で地元の部落史を誰でも見られるようになっています。

文書提出命令申立書を提出したのは、地元に石碑があり、公知となっている下味野の小集落改良事業関係の文書を提出してもらうためです。これは同和対策事業として行われたものなので、事業の内容が分かれば、1つの同和対策事業の区域が判明するということになります。もし、文書が提出されなければ、いずれ提出しない理由を答えなければならなくなるので、少なくとも小集落改良事業は同和対策事業だったということを認めなくてはいけなくなるという仕組みです。

そして、一番の見所は1977年12月の「部落解放」です。この号は鳥取特集のため、鳥取の部落マニアなら必見の号です。もちろん国立国会図書館で公開されています。

当時、美和小学校で行われていた教育の内容が、学校名地名の実名入りで生々しく書かれております。こんな具合でした。

児童 同和地区の人はあまりいい職業についていない。
児童 地区外の人たちはいい銀行とか大きな銀行についている。
児童 同和地区の人は日雇労働の人がいちばん多い
教師 日雇労働が50%に近いな、一番少ないのは?
児童 公務員です。
教師 公務員というのは市役所や県庁、学校の先生たちです。
児童 これでは憲法に違反しています。
教師 こんな差別を受けている所が美和の校区にもあるだろうかな。S君どうだ?
児童 あると思います(少しの間立ったまま)
児童 (次々に「あると思う」「ほとんどあると思う」と挙手)
教師 堂々と言える人(まず四人+一人+二人)
児童 美和では下味野倭文東で昔から差別されてきた村です。
教師 このことをはっきり知っとったひと?
児童 挙手十数名。(内、地区外の児童三名のみ)
教師 Mさん、今言った時の気持どうだった?
児童 ちょっと言いにくいなと。
教師 その言いにくいことをはっきりと言えるように。
児童 何んで部落差別が…

このように、当時は同和地区の場所が隠されるどころか「その言いにくいことをはっきりと言えるように」と同和地区の場所を言うことが推奨されています。正確に言えば、言うことが強制されていました。それが、同和事業が終わった今は正反対に「言わないこと」が強制されているわけです。

学校で何が行われているかは外部からは見えないので、当時を知っているのは当時児童だった世代(現在の30~40代)と、教育関係者くらいでしょう。それでも、こうして記録は残っているわけです。

そもそも「自由に任せよう」という発想がなく、いつの時代も「強制」なのは、自分の考えに合わないことを他人が考えていることが気に入らないから、他人の考えも自分のコントロール下に置きたいという度量の狭さが人権教育者を標榜する人たちにはあるのではないかと思います。

コメント

コメント(2)

  1. K on

    鳥取市下味野出身の部落解放運動家・前田俊政と倉吉市人権文化センターの恫喝職員・前田寿光は血縁者でしょうか? 鳥取の被差別部落には前田姓が多いのでしょうか。穢多としての出自をマエタという発音に託した差別姓、というわけではないかもしれませんが。

    • 鳥取ループ on

      血縁者かどうかは分かりません。

      確かに前田姓が多い被差別部落はありますが、全般的に前田という苗字自体が鳥取では非常に多いので、穢多に起源があるということはおそらくないでしょう。