同和問題等人権問題に関する市民意識調査が鳥取市より公開しています。ぜひ、調査票や結果がどうなっているかご覧ください。
このレポートの最後には、「文責 国歳眞臣」として次のように書かれています。
最後に全体を通して感じたことを記してまとめとしたい。それは、私には関係ない、関心がない、関わりたくないという意識が、今回の調査では特に強くみられたという点である。ノーマ・フィールド(1947年東京生まれ)が、最近の日本人について書いた新聞記事の中に次のような文章があった。
「今、他人や社会の出来事との関係を拒否することが、新種のアイデンティティーになっているのではないか。私は、これを「関係ないよ」という姿勢を根底に置くアイデンティティーと呼ぶ。」
そして、彼女は、その結果として「当事者でない(ないと思っているだけなのだが)市民が広範に立ち上がる状況」が、ほとんどなくなってしまった現代日本と指摘している。
自由回答の中で、「否定的な意見」の中心に「寝た子を起こすな論(自然解消論)」が多数みられた。
学校同和教育や社会啓発の中で、この考え方が部落差別を存続させてきた点を明らかにしてきたにもかかわらず、特別措置法失効後、同和問題解決の方策として「公務員・教員」自体にこの考え方が極めて強い(図56P.83)背景には、このノーマ・フィールドの指摘する《「関係ないよ」という姿勢を根底に置くアイデンティティー》が存在していることは明白である。
未だ現存する日常的差別関係の中で、その被差別状況を告発する動き自体は、こうした「無関心派である」差別の加害者の多くから、「私は黙って生きていたいのに、寝た子を起こすのか」というおかど違いの迷惑意識を向けられているといえる。しかし、人間は、常に多数派として加害者の立場にとどまっていることなどできないことを、もう少し市民は知るべきではなかろうか。
調査票を見ていただければ分かりますが、市民に同和地区や住民の存在を意識させるようなものになっており、このような調査が定期的に行われること自体が非常に問題が大きいです。国歳氏は市民が無関心であることを批判していますが、同和問題が解消に向かえば、市民の意識の中で同和問題自体が風化するのは当たり前のことです。しかも、無関心である市民に対して「常に多数派として加害者の立場にとどまっている」ということは、あまりに市民を馬鹿にしたことです。
この意識調査の半分近くが未回収であることに注目すべきです。市民の半分くらいは、こういった調査自体にあまり関心を持っていません。
あまりブログ本文では触れてきませんでしたが、鳥取市に関しては部落差別を扇動しているのは、市民ではなく、明らかに行政側です。この調査の118ページに「学校同和教育学習」の影響についての調査結果がありますが、同和教育自体により同和地区に対するマイナスイメージを持つようになったという人が12.7%にのぼります。同和教育により、1割以上にのぼる人に対して同和問題にからむ対立の種を撒いていることは、憂慮すべきことです。
何度かブログで取り上げていることですが鳥取市の行政文書には、鳥取市の同和地区名が列挙されているものがあります。また、これは県からの要請によるものですが、過去に同和地区の世帯名簿を作成しています。さらに就職の同和枠が未だに存在します。そういった事実は一部の市民の知るところとなっていますが、私が行政側にそのことを指摘すると、非常に後ろめたさそうに対応するか、時には隠蔽するような態度をとってきます。
この「市民意識調査」だけではなくて、鳥取市の広報などには、同和問題が風化し解消に向かうことが好ましくないことであるかのような記述が多く見られます。それについてはまた、このブログで取り上げていきます。
匿名 on 2006年9月26日 9:39 PM
なに言ってるんですか!同和問題が解消し
たり風化に向ったりすることが好ましくないな
んて!・・・・・・・そのとおりです。解消したり風
化してしまったらたちまち食べるのに困る人た
ちが出てくるんですもの、同和だの人権だのを
お商売にしている人たちが失業したりしてもい
いんですか?同和や人権って鳥取では一つ
の立派な産業なんですよ!まったく意識が低
いんだからwww(誰が?)
鳥取ループ on 2006年9月26日 9:59 PM
國歳氏にしても、鳥取市で同和教育に携わっている人にしても、部落差別を解消させようという意思は全く見られません。「どこが同和地区か、誰が同和地区住民なのかどうでもいいことだ」といった方向に世の中が向かうのではなく「あそこは同和だ、あいつは同和だ、だけど自分は差別しない」というのが理想なんでしょう。
県や県下の自治体の補助金だけでも何十億、一般施策に隠れている事実上の同和対策や、民間企業に負担させたり、入札で便宜をはかったり、といったことも加味すれば県下の同和・人権産業は百億円規模になるのではないかと思います。これで飯を食っている人からすれば、同和問題自体がなくすなどということは出来るはずがないですね。
Kir on 2006年9月27日 7:34 AM
運動の自己目的化ってやつですね。
問題解決のための手段としての運動が、運動の担い手の生活の手段として成立している場合、運動をすること自体が目的になってしまう。
これは自己消滅のプログラムを持たないあらゆる運動について当てはまります。