結婚差別をテーマにした詩

これは、「もっとすてきになるために」の1998年版に掲載されていたものです。これは鳥取市(旧市)の全戸に配布されました。「もっとすてきになるために」の作成は現在は鳥取市人権情報センターにより行われていますが、当時は鳥取市教育委員会が担当していました。
なお、この冊子には何の説明もありませんでしたが、この詩の作者の井上泰子氏は大阪の部落解放同盟関係者です。もちろん、詩の内容は鳥取のものではありません。北芝は、大阪府箕面市に実在する同和地区です。

きっと笑って会える日を 井上泰子
お兄さん
元気ですか
二年前の六月 八年ぶりに会えた時の
感激は忘れません
お互い 言葉もなく
なつかしさと 嬉しさで
胸がはりさけそうでした
言葉が なかなか 見つからず
ただ 涙ばかり あふれました
私が「北芝」の人と
結婚がしないといった時
「親に こんな想いまでさせて…」と
ショックで 床にふせた
お母さんの前で 言われましたね
今でも 私を恨んでいますか
親不孝な 妹だと思っていますか
そのお母さんも 今は
“部落問題”にぶつかって
「人間にとって いちばん大切なことが 見えてきた
自分の中の何かが 変わってきた」
と言ってくれています
でも…
このあいだ 家に帰ったとき
「お兄さんの結婚話が また だめになった」
と聞きました
「私のことが 原因しているのかなぁ」と聞いたら
「そんなこと ないと思うけど…」と
私に よけいな心配をかけまいとしながらも
言葉を 濁してしまいました
そのことを聞くたびに 胸が痛みます
決して 後悔したり
卑下 しているのではないのです
むしろここに来て 本当に よかった と
誇りをもって 言いきれます
だけど
お兄さんの 結婚話が
うまくいかない と聞くのは
本当に 辛いです
お兄さん!
もっと強くなって!
そんなことで、結婚をためらうような人
こっちから おことわりや!
勝手な 言いぐさかもしれないけれど…
そのくらいの気持ちに なってほしい
もし そのことで
お兄さんが 私を恨んだり 憎んだり
しているとしたら…
部落に嫁いだ妹より
「部落差別」を憎んでください
でも
きっと いい人が現れると思います
私と「北芝」の出逢いがあったように
やさしいお兄さんだからこそ
きっと きっと いい出逢いが…
お姉さん
「部落の人とは 親せきになりたくない」
と猛反対した お姉さん
あれっきり
一度も 会ってないけど
子どもたちは 大きくなったでしょうね
Tちゃんは もうすぐ 高校生?
私みたいな 妹がいることは
知らないのかなぁ
でも
Tちゃんたちも 大きくなって
学校で 社会で “部落問題”にぶつかった時
子どもに どう 言いますか?
「差別しろ」と言うのですか
もし
万が一 そうだとしたら
あと 何十年たっても
会えることは ないでしょうね
でも
私は 信じています
お姉さんは 私のこと
“かたときも 忘れてはいないし
いちばん 気にしてくれている”と
いつか 会える日を
楽しみにしています
きっと 笑って 会える日を


こんなものを鳥取で配布することは、同和地区内に嫁ぐことに対して悪い印象を持たせることにしかならないと思うのですが…

コメント

コメント(7)

  1. はまなす on

    鳥取ループさんがこの詩を紹介され、「同和地区内に嫁ぐことに対して悪い印象を持たせることにしかならないと思うのですが…」とコメントされたことへの感想です。
    まず、はっきりさせておきたいのは、この詩自体には「悪い印象を与える意図」はないことです。これは合意していただけると思います。次に、確かにループさんのご指摘のように、また一般的にも、受けとめる側の感性によっては、作者の意図に反する結果になることもありうること。特に、詩の部分のみを切り出しての紹介は、作者の意図に反して「悪い印象のきっかけ」になることは十分にありうると思っています。多くの場合、こうした詩を紹介する場合、これをどう受けとめてほしい、どう共感してほしいという、そんな紹介者の願いが重ねられます。今回のループさんの投稿記事には、それがなかったことが残念でした。その代わりに「悪い印象を与える意図」への懸念を語られています。これは、この詩へにあなたの思いでなく、あなたの結論を導き出すための言葉でしかありません。だから私は、結果として懸念を導き出す言葉であるいと受けとめています。
    私がより強く感じたのは、ループさんの紹介コメントから生み出される「悪い印象を持たせる言葉の巧みさ」です。
    詩に綴られた作者の気持ちや願い、作者が伝えたかった言葉、ループさんがそれをどう受けとめ、ご自身の中でどう咀嚼し、日常生活の中で実感しているはずの現実とどう重ねた結果として、人を差別する、排除することへのご自身の気持ちを語らることを優先してほしいと考えています。
    「現実を知らないから差別をしない」のではなく、「差別の現実を知っても、なお差別をしない、排除をしない」という生き方を確認してほしい。イメージでもなく、印象でもなく、現実を現実として受けとめる、そこからだと考えています。
    人権救済条令の論議、それぞれの生活実感、現実からの出発が大切だと思っています。

  2. 鳥取ループ on

    私は意図的に詩の部分のみを切り出して掲載したのではなく、それ以外の情報が「もっとすできになるために」には書かれていなかったからです。この作品の出所や作者については「もっとすてきになるために」の中でも全く触れられていませんでした。私もインターネットで検索してようやく知った次第です。このような情報収集の手段を持たない場合、この作品の舞台が大阪であることも、なかなか気づかないのではないかと思います。
    長文なので引用しませんでしたが、この詩には、「お母さんの手記」という文章が添えられています。このコメントの最後に載せておきます。
    詩にしても、手記にしても、悪い印象を与える意図がないことは理解できますが、同時に前向きな要素も全くないと思います。率直に言うと、私はこの詩が嫌いです。自分で確かめもせずに兄が破談になった理由を勝手に想像したりだとか、自分の姉に対して公の場でこんな嫌味ったらしいことを書くものではないと思います。もう少し兄弟で仲良くするように努力された方がよいのではないでしょうか。お母さんには、自分を卑下するだけでなく、部落内部落外という枠組みに無関係に楽しく生きている人が大多数だということを知ってほしいです。
    私自身は地区内地区外で人間を色分けしたり、婚約相手の兄弟の配偶者の出自まで詮索するようなことは、心底嫌っています。だからこそ、実在する地区の名前が入ったような文章を当時14万の市民に配布したことは馬鹿げたことだと思います。それから、何の説明もなしに鳥取ではなく大阪の話を持ってきて「差別の現実」というのは間違っていませんか。どうも鳥取の同和教育は、寝た子を起こすというより、死を迎えようとしている人を電気ショックで何度も何度も蘇生させているような情景が目に浮かびます。
    <お母さんの手記>
    思い起こせば、十数年前、末娘が私達夫婦、姉兄の猛反対を振り切って部落の男性と結婚した当時は、筆舌に盡しがたい思いでいっぱいでした。よりによって部落民と一緒になるなんて、その思いはなかなか捨てきれず世の中のあり方に腹を立てたりしたものです。
    私達が子供の頃は親も又周囲も部落民を貶んだものです。「あの地区に行くとこわい人が居るから絶対行ってはいけない」とまで言われて育てられて来ました。その位、異質の様に思はされて来た部落の人間を自分の生んだ娘が結婚相手に選んだ、「こんな馬鹿な事があるだろうか、悪い夢でも見ているのだったらさめてほしい」、何度もそう思ったものです。でもまぎれもなくそれは現実として私達一家を暗いものとしてしまったのです。つらい思いからのがれるべく主人は単身赴任地からめったに帰らなくなり、私もこのままでは参ってしまふと趣味をみつけました。幸いその事で幾分か心を和ます事は出来ましたがやはり苦しい歳月でした。
    そのうち娘から連絡が入るようになり無事で暮らしてゐるのならいゝと思う事としました。追々と子供も二人出来、その頃から私共の気持ちが変わって行きました。
    謂われなき差別に長い間苦しめられてきた人達に、私共は追い打ちをかける様に偏見を持って接して来た事が恥ずかしくさへ思える様になって参りました。
    もし娘が部落の男性と結婚しなかったら私達は過った考えのまゝ人を平気で差別する人間として一生過ごす事となったでしょう。
    私は娘に人間の本質を見る事を教へられ又本当の愛の強さを身を持って知らせてくれた事を有難いと思へる様になりました。
    昨年、気になっていた息子の結婚の際も姉妹の中で一番気を使ってくれた心優しい娘夫婦に、今は感謝の気持ちで一パイです。未だ未だ差別は根強く残っていることも事実です。「差別」―この言葉が地球上から消え去る事を願ってペンを置きます。

  3. はまなす on

    鳥取ループさんが、少しだけ(失礼)部落問題への気持ちを綴ってくれたことを、うれしく思っています。その中で「婚約相手の兄弟の配偶者の出自まで詮索するようなことは、心底嫌っています。」というループさんのお気持ちの現れた言葉を、積極的に受けとめています。「部分の切り出し」ということのご不満があるのでしょうが、力強さを感じましたので勝手にそうさせていただきました。そんなことを私の側の手がかりとして、もう少しお話をさせてください。
    「この詩が嫌いです」というお気持ち、「前向きな要素がないから」と理由を言われていました。好き嫌いの論議は非生産的なのでしょうが、私が感じた向き合いも聞いていただきます。実はね、井上さんとループさんがツレとしてお話をしている状況が、どういう訳か目に浮かんだんですよ。何かの拍子に部落問題の話になって「心底」と言われたループさんの言葉に勇気をもらったた井上さんが、ループさんになら自分の気持ちを語れる、今まで誰にも言えなかった自分の気持ちを伝えたい、8年ぶりに兄と出会えた喜びを伝えたい、辛かったこともループさんに伝えたい、そんな言葉のほとばしり(大袈裟ですが)を感じたのです。兄さんに理解してほしいことがある、姉さんにはもっともっと分ってほしい、そんなことをループさんになら語れる。部落出身の彼との結婚を理由として一方的に関係を断ち切られた彼女(妹)が、その無念さの中にも親子の兄弟姉妹との関係をつなぎ直せることを願っている。そんな願いが込められた詩である、そんな気持ちを受けとめました。
    「前向きな要素がないから」と言われるこの詩、ループさんのツレから発せられた言葉であるとすれば、そして、ループさんの「心底」がツレへの具体的な言葉であるとすれば、私の中では、深い共感を持って響き合うのです。
    後段でご紹介をいただいた「お母さんの手記」の受けとめも含めて、私は卑屈な生き方とも、不遜な生き方とも思えないのです。現実、大阪だから遠くの存在である、鳥取だからということではなく、ましてや「まだ、こんなに差別があるんだ」という事象の提示に過ぎないという評価ではなく、しっかりと視線を落として向く合ってほしいと願っています。

  4. tp-bon on

    ゾンビーですか(笑)
    身の回りの同和関連の諸団体とかみていると、寝てもらっても、死んでもらっても困るように見えます。
    被差別部落の人だから結婚を控えるのではなく、もれなく同和関連諸団体というバックが付いてくるのが差別温存の根っこ。ここであげられている詩についても、そういう実態にもとづいているように見えますけどもね。
    鳥取ループ様>例の件もうしばらくおまちください。

  5. 鳥取ループ on

    ミもフタもない言い方かも知れませんが、今、仮に井上さんが私のツレだったら、何より先に、解放同盟の活動家などやめてしまえと言うでしょうね。ご存知の通り大阪はあの状態ですから。腐った組織に縛られるよりは、私のように、個人のブログで書きたいことを書いている方が楽しいですよ。
    それに、部落問題以前に親兄弟への愚痴を、鳥取の片田舎の市民に見せびらかすようなことは、人間としてどうなのか、問い詰めます。自分の兄が結婚できないのは自分のせいだと勝手に想像していたり、兄も部落差別の対象になると決め付けていたり、この人はちょっとおかしいです。いくら結婚差別があると言っても、同和地区出身者でさえ自分の結婚の際に部落差別が問題にならないケースが大多数です。ましてや、彼女の場合は本人ではなくて兄のことです。私も結婚差別があれば、許されないと思います。ただ、最初から人は差別するものと決め付けるのは人間としてどうなのか。
    大阪と言えば、こんな方もいらっしゃいますのでご紹介しておきます。
    http://d.hatena.ne.jp/somali/

  6. はまなす on

    ループさん、もう一度お話をさせてください。
    前回の「心底」と語られたお気持ちと、今回の「私も結婚差別があれば、許されないと思います」という、ふたつの言葉を拠りどころに、もう一度ループさんのお気持ちを聞かせてください。お気持ちをお伺いするばかりで申し訳ないと思いながらも、それでも、もう一度。
    私にも、ループさんのお気持ちと重なる部分があります。ご紹介をいただいた井上さんの詩から、ループさんからご指摘をいただいた内容を読み取ることへの違和感はあっても、「最初から人は差別するものと決め付けるのはどうなのか」、「兄弟姉妹(兄)も部落差別の対象になると決め付けていたり・・」、そしてループさんが指摘されるように「大多数なケース」なのか否かは別として、「結婚の際に部落問題(差別ではなく)が障害(問題でもなく)にならないケース」は多くなっていることを私の気持ちからも確認させていただいたうえでの問いかけをさせていただきます。
    ひとつには、結婚を例にとれば、何故に「ただ相手が部落出身だと判断する」だけで、本人が躊躇したり、親や周囲の人々が娘や息子の結婚に反対するケースが生まれるのだろうか(そうなりがちだということです)、何故だと思われますか。「心底、そうはしない私」を語っておられるループさんご自身はどう受け止めておられるのでしょうか。
    「解放同盟の活動家が・・・、」「腐った組織に縛られる・・・」はどう考えても、お互いにかみ合わない理由ですので、そうではない、私にも腑に落ちる言葉でお気持ちをお伝えいただきたいのですが・・・。そして、あなたが私をうれしくさせた「私も結婚差別があれば、許されないと思います」という思いの内実を、部落差別を許さないあなたご自身の生き方とは具体的にはどんなことなのか、を私にもお伝えください。
    部落問題の受けとめ方、部落の外側でも内側でも、いろいろな考え方があると思っていますし、あってよいと思っています。
    それでも尚、「ミもフタもない言い方」は、冷たい言葉、私には辛い言葉です。
    こんな時期だからこそ、組織とか団体に個人を縛って語るのではなく、それに縛られて語るのではなく、日常生活者としてのそれぞれのコミュニケーションを作るために語り合うことが、大切なんですよね。考えを異にしていても、ツレだからこそ語りたいこともあると思っています。
    ひとさまが管理されるブログに入って、失礼なことを申し上げているのかもしれません。鳥取県の人権救済条令には様々な論議があります、その行く末や結論は別として、部落問題の現実を受けとめることを通して、人と人がつながって生きることの大切なことを確認したくて、ループさんとお話をさせていただいています。

  7. 鳥取ループ on

    私は結婚差別に直面した人に対して、差別があるけど立ち向かえなどとは言いませんよ。捨てる神あれば拾う神ありです。現実は結婚差別を受けたことの無い人の方が多いです。疑われるのであれば、県の調査をご覧下さい。
    http://www.pref.tottori.jp/jinken/H18jitaichosa-01.html
    結婚を躊躇する理由の1つとして、好き好んで行政から被差別者のレッテルを貼られたくはない、ということなのではないでしょうか。少なくとも私の父親くらいの世代からは、市民よりも行政ぐるみでやっていることです。鳥取市が「被差別物件」というような指定をしてることを、最近になって初めて知りました。おいおい採り上げますが、他県の人でも結婚して県内の同和地区に来れば、その県の同和地区出身だったどうかまで調査されるそうですね。
    私はブログの本文では感情的なことを書くのは控えていますが、本当に鳥取市の教育委員会は最低ですよ。同和地区の子供は強制参加の学習会で、ここが地区と地区外の境界だといったことを教えたり、クラスメートの前での泣きながらの立場宣言も強制で、本人が訳の分からないままやらせていたわけです。私が高校の頃に、同和地区の子は、そうやって同和教育で誰が同和地区出身者か蒸し返すことを嫌がっていました。その話を、鳥取市のある小学校の教頭にしたら、「それはその子が同和教育を理解していないからだ」と言い放ちました。自分達の価値観を押し付けるだけで、人の話を聞く耳などはなから持ち合わせていないわけです。知っている人は知っていますから、自分の子供にはそんな教育を受けさせたくないと思う人がいても不思議ではありません。
    もっと腹が立つのは、じきにブログでも採り上げますが、2000年頃に地区生徒に対する差別発言があったとして解放同盟が相次いで学校を糾弾したことです。そもそも、教育委員会に誰が同和地区出身者なのか明らかにするような教育をさせたのは解放同盟なのに、やっていることがあまりに理不尽です。団体は行政に責任を押し付ける、行政は市民に責任を押し付ける…あれほど税金を使っておいて、税金を使う側が全く責任をとりません。
    人権救済条例はその無責任行政の集大成だと思っています。鳥取県民どころか、他県民にまで責任を押し付けようとしたところ、非難轟々で鳥取は差別県として全国に恥を晒しました。人権を考えていらっしゃる方々は、他人を思いやろうと言いながら、人口がたった60万人の、全国から支えていただいている弱小県であることを忘れて、他県の方がどう思うか、故郷が恥を晒しているのを県外組がどのような思いで見るか全く考えていなかったわけです。
    私も他県にいながら、地元の事を好き放題に書いていますので、失礼というのはとんでもない話です。コメントは解放していますので、存分に意見を書いてください。