[読み物]学校における差別事象に係る鳥取県教育委員会の見解について(5/5)

前回からのつづきです。
5 保護者、地域、関係機関等との連携
子どもたちの意識の形成過程において、学校教育の及ぼす影響は極めて大きいものであるが、保護者の意識や考え方も児童生徒に大きく影響する。同和教育の進展に伴い、保護者啓発も年々充実してきており、PTA同和教育推進部を中心とする研修が活発になってきている。さらに、同和教育を通して子どもたちに学ぶ親も増えてきた。
最近では、同和問題について学校で教わる前にすでに知っている子どもはほとんどなく、学校での学習を通して知る場合が大部分である。保護者から聞いている内容も、被差別部落の起こりを正しく教えてもらったり、自分と差別との関わりを自覚したりするなど、子どもたちへのよい影響が見られる。また、子どもたち自身が、たとえ誤ったことを聞いても、それを鵜呑みにせず、自分でそれを正していける人権感覚も育ってきている。
しかし、「子は親を映す鏡である」といわれるが、今回の事象に関係した生徒の保護者の中には、部落差別解消への強い思いや姿勢が感じられず、むしろ及び腰で、「寝た子を起こすな」といった考えの人があった。また、PTA同和教育推進部員を引き受け、活動に積極的に関わっていこうとしたが、学習して学んだことがきちんと子どもに伝わっていなかった人もあった。事象を契機に、多く保護者から、「これまで同和問題について親子で話し合うこともあったが、表面的な話で終わってしまい、しっかり話きれていない部分もあったと思う。今回のこのことをきっかけに、親子で乱合いを深めていきたいと思う。」という意識の変容がみられた。
現在、全ての学校で公開学習や研修会が行われているが、参加率は決して高いとはえない。これは、学校と保護者・地域との結びつきの弱さがもたらしたものである。なお、今回の事象を通じてPTAにおける活動を見直し、研修会や懇談会に例年以上の参加者を得たり、来年度、専門部としてのPTA同和教育推進部を設置したりしようという機運の高まりも見られる学校もある。
今後は、PTAにおける同和教育を、社会同和教育の一部と位置づけ、保護者や地域を巻き込んだ幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び盲・聾・用語学校の同和教育の公開学習を一層促進していきたいと考えている。
同時に、学校はもっと積極的に家庭や地域に出かけ、子どもや保護者・地域の思いや願いを受け止め、保護者や地域の関係者との信頼関係の構築に努めることも重要である。

[読み物]学校における差別事象に係る鳥取県教育委員会の見解について(4/5)

前回からのつづきです。
4差別を見抜き、指摘できる力の育成
今回学校で多発している差別事象のほとんどは、同和地区生徒による指摘や告発よるものであったり、教職員が生徒の発言や落書きを見逃さず、即座に発言の真意を問い質したり、生徒の訴えを聞いたりして取り上げたものである。このことは、今日までの同和教育の実践を通して、差別を許さない教職員の態度や、生徒の中に差別に気づきその誤りを指摘するカが育ってきた成果でもある。
また、差別事象に係る指導を通じて、差別発言を受けた時に感じたショックの意味を問い直すことで、自らの差別意識に気づいた生徒が、「もっと勉強していきたい。」と学習し続けることへの意思を教職員に表明したこと。差別発言した生徒が、自分の発言で友だちの心を傷っけたことを深く心に刻み、友だちの変わらぬ支えに励まされながら、前向きな姿勢に変わったこと。事象をきっかけにして、自らの社会的立番の自覚を深め、学校生活での言動を見つめ直していったこと。同じ学年の仲間が発言をしたことを自分たちの問題と深く受け止めた生徒たちが、卒業式の答辞の中で、「自分たちは、2年生の時に友だちが起こした差別事象の体験をバネにし、同和問題が自分たちの問題であることを学び、その後差別を見抜き、許さない力が増したように思う。人間として、それぞれが一回り大きくなれたような気がする…。」と述べたことなど、生徒たちの意識や差別解消への意欲の高まりもみられた。
さらに、差別事象を取り上げて学校全体で取り組むことについて、「幼なじみで、これまで築いてきた友だち関係が壊れると思った。家も近くなので気まずくなると思った。」として強く拒み続けていた同和地区生徒が、継続的な教師や仲間の支えの中で、事象ついて打ち明けることができた。その思いを「打ち明けて良かった、僕も強くならんといけん。」と誇っている。また彼はこの友だちとの交換ノートを通じて、自分の同和教育に対する思いや、いかに差別発言が同和地区の人々を傷つける行為であるかを伝え、ともに支え合い立ち上がっていった。他の同和地区の生徒は、「東部地区解放研交流会で聞いた被差別体験の話や、自校でおきた差別事象について解放研で話し合っていたので、注意することができた。ここで注意しなかったら、ずっと後悔すると思った。同じ注意をするなら、後々なってあいまいになってしまってからするのではなく、早いうちにしたほうがいい。」と語っているように、確実に差別解消に向けた実践力が育ってきた。この二人の生徒は、卒業する時に同和教育主任に「3年間、先生に支えてもらった。」と語り、未だ差別ある社会に向けて差別に負けず差別をなくすという強い意志を持って巣立っていった。
このように事象が起こった学校においては、差別事象をみんなの問題と捉え、教職員、生徒が、それぞれの立場で今の自分を見つめ直すきっかけになっていった。今回、差別事象に係る取組の中での教職員、生徒及びび保護者の変容や立ち上がりを、同和教育の実践の確かな成果として捉え、このような確かな成果が、日常的な教育活動の中で広がっていくよう、さらなる同和教育実践を積み重ねていきたい。

[読み物]学校における差別事象に係る鳥取県教育委員会の見解について(3/5)

前回からのつづきです。
3 同和問題学習の見直し(教師の姿勢、指導内容のエ夫・改善、校種間連携等)
同和問題を児童生徒一人ひとりの問題としていくためには、まず、指導的な立場にある教職員が、同和問題を通して自分の生き方を振り返ったり、同和問題を自分の問題として捉えているかについて、常に自分自身を問う姿勢が必要である。特に今回の事象を通して、今一度それぞれの学校で取り組んでいる同和教育に対して、教職員自身が「やらされている同和教育」「してあげる同和教育」になってはいないかという点について見据えることが大切である。
教室には、知的理解の面でも、感性の面でも、行動の面でもさまざまな生徒がいる中で、指導をしことがうまく伝わらないことを生徒本人の責任に帰することでは、課題の解決に結びつかない。事象が発生したある学校では、あらためて、生徒一人ひとりの置かれている状況や、クラスの雰囲気などの実態をよく把握し、さまざまな課題を抱えている生徒や弱い立場に置かれている生徒としっかり向き合っていくことを、全職員で共通理解を図ったところもある。児童生徒から学び、ともに高まり合っていこうとする教師の姿勢が、何よりも大切である。
今回の事象は、授業で知識として得た「えた・ひにん」「被差別部落」という言葉のもつ歴史的背景や重みを認識せず、自分たちの生活や遊びの中で、極めて安易に発言したり、人を見下したりするために使っている。同和問題学習の中で学んだ「賤称語」について、「使ってはいけない言葉」「言ってはいけない言葉」としか生徒が受け止めていない現状がある。本来、同和問題学習は、知的理解とともに、差別に対する怒りや憤りを持ち、絶対に許せないという捉え方にまで高め、それを行動化に結び付けていかなければならない。また、一面では、差別の厳しさを指導しなければならないが、同時に、厳しい差別の中にあって、差別と闘い、守り受け継がれてきた芸能や民衆文化、生活の中に生きているたくましさ、やさしさ、温かさ、すばらしさ等をしっかりと学んでいく学習に発展させなければならない。
ある中学校長は、「同和問題についての知識や、部落差別はまちがいであるという基本認識は広がってきたものの、同和問題と自分との関わりが持てず、日常生活の中で人権を大切にしようとする行動に結びついていかない。」と述懐している。学校によっては、くらしの中にある差別の現実から深く学ぶために、現地学習を取り入れた実践をしているところも多くある。しかし、児童生徒にとって、その学習が自分や現実の生活と関連付けられたものとなっていなかったり、現地学習の目的が明確になっていなかったりすれば、結局はよそのこと・昔のこと・他人事としてしか認識されない。同和問題学習においては、パターン化した授業でなく、体験や人との出会いの中で自分自身を含めた集団の生活を振り返り、互いに高め合っていくような学習が何よりも必要である。事象発生後、学校によっては、同和教育が生徒の身近なものとして捉えることができるように、授業や学校行事を通して身近な問題を取り上げて学習したり、生徒による同和教育推進委員会が、鵬的に同和教育LHRの準備や進行に関わったりするなどの工夫を図っていったところもある。
これらの同和問題学習上の課題を解決するためには、幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び盲・聾・養護学校において、発達段階に応じた同和問題学習の内容や方法について、研究・実践を積み上げていくことが大切である。事象が発生した学校の中には、今までの小、中学校との連携のあり方について見直しをし、日ごろの教師の姿勢や指導内容の工夫・改善等を図ったところもある。今後は、口頭学校活性化事業等を通して、幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び盲・聾・養護学校の連携をより深め、相互に学習場面の公開や授業後の話し合いを進めていきたい。
(つづく)

[読み物]学校における差別事象に係る鳥取県教育委員会の見解について(2/5)

前回からのつづきです。

2 児童・生徒の置かれている状況

事象を分析をしていく中で、生徒たちが学校やクラスにおいてお互いの存在を認め合うような人間関係が築けず、疎外感を感じ、心理的な支えや心の安定を失っている状況があった。その背景としては、さまざまなこと複合的に絡み合っているが、特に、①自尊感情の乏しさ②心の育ちの弱さの2点が浮かび上がってきた。

①自尊感情の乏しさ
ある学校では、相手の欠点を取り上げて中傷したり、笑いをさそったりするための「はげ」「ちび」「デブ」などの言葉が平素から見られていた。また、ある学校では、小学校のときからカツラを装着している友だちをからかいつづけている生徒がいた。自らの存在感を示すために友だちを動物にたとえ、友だちをさまざまに罵倒することで少しでも優越感を持ちたい、そして、仲間をおとしめることでしか自らの存在感を得られないと考えている生徒もいた。このことは、生徒が自分に自信がなくて(自尊感情が乏しく)不安だから、絶えず友だちの中での自分自身の序列が気になるのではなかろうか。努力をして友達に認められるのは大変だから、こういう安易で卑怯な手段に訴えている。
また、事象後の面接指導の中である生徒は、「(自分の在籍している)○○高校のトップは(別の)◇◇学校のドべか。」と聞き「何でそういうふうに人と比べる。」と教師がたずねると別の生徒が、「まあええ、(自分の在籍している)○○高より××高があるけえ。」と学校間で序列を作って、自分の置かれている状況を見つめていた。学歴社会という社会意識を引きずっていて、それを克服するものが育っていないために、自分の通う高校に誇りが持てず、自分自身にも自信を失っていた。今回の事象は、自尊感情をさまざまな場面で傷つけられ、自分自身に自信が持てないまま、無気力に日々過ごしている生徒が発した信号でもある。
このように、自尊感情が乏しい生徒たちは、自分自身に自信を持てず、周囲に対して疎外感を持ち、心理的な支えを失っているために、限られたグループの中でしか交友関係を深めることができない。そして、まじめに取り組む生徒をあざ笑い、これによって心を傷つけられた生徒たちは心を開かなくなっており、このことが学級としてのまとまりや仲間づくりに大きな影響を及ぼしている。
②心の育ちの弱さ
事象を起こした生徒の多くが、家族から甘やかされて育てられ、利己的だったり、自分勝手で私語が多かったりして、ものごとに真剣に取り組めないという指摘があった。
ある生徒は、実際に自分自身に同和地区出身の友人がいるにもかかわらず、アンケートに「一匹残らず」という記述をした。それを回収されて読まれることがわかっていながら、「冗談ですまされるだろう」と考えていた。相手の立場に立ってものを考えたり、行動したりすることが極めて不十分である。また、パソコンゲームの台詞を何の抵抗なく引用している。現実の世界とパソコンゲームの架空の世界を同じような世界として感じている。別の事象では、教師が昨日の出来事を子ども達に「百姓をしとってなあ。J「百姓は大変だ。」と言ったところ、生徒が「百姓・農民・えた。」と口走った。労助の意味や労働に対する正しい認識をもち労働の尊さを認識していれば、連想ゲーム的な発言にはならない。
心の育ちの弱さは、友だちづくりにも影響を及ぼしている。友だちが苦しんでいても痛みを感じないし、自分のことしか考えていない。近年、「子ども達が変わってきた。児童生徒に言葉が届かなくなった。」と教職員からよく聞くようになってきた。同和問題の学習をし、差別がいかに不合理なものであり、差別を受けた人がどんなに怒りを感じているか学習しても実感として受け止められず、たとえ級友に同和地区生徒がいても心の痛みに気づかない。このような子ども達は一見仲が良いように見えながら、実は全く希薄な人間関係しか作っていない。一人ひとりがカプセルに入った状態でつき合う。ふざけあいなど表面的な付き合いはするが、本当に相手の将来や相手のことを考えたつき合いとなっていない。このことが、生徒たちの人間関係づくりの弱さとなって表れている。

今後の取組としては、「わかる授業」の実践や日常的なふれあい、そして教育相談、家庭訪問を通した内面的な指導の充実が必要である。また、生徒が友だちをおとしめる事で自尊感情を満足させようとした原因は、中学校や高等学校だけの問題ではなく、小学校教育・幼児教育にも原因をたどることができる。自尊感情を培うための指導をすべての教育の場で行わなくてはならな
い。
また、生徒は、笑いをさそうために、仲間をおとしめており、彼らにとっては、それが、有効な人間関係をつくる手段だと信じていた。しかし、実際には、そのために、この生徒たちはクラスから浮いていた。生徒同士がお互いに思いをぷつけ合い、相互に高まっていくような、より良い人間関係をつくるための技能(スキル)を幼児教育から系統的に積み重ねていくことが必要で
ある。
そして、児童生徒たちの心の居場所のある学校・学級集団づくりが最も大切である。
(つづく)

[読み物]学校における差別事象に係る鳥取県教育委員会の見解について(1/5)

これは平成12年3月28日に鳥取県教育委員会から出された文書です。
学校における差別事象に係る鳥取県教育委員会の見解について(報告)
県教育委員会は、同和問題の解決に果たす教育の重要性を認識し、同和教育を教育行政の重要施策に位置づけ、その推進に努めていますそして、人権が尊重された学校・学級づくりを進めるとともに、これまで発生した差別事象等を教訓としながら、教育内容・方法の見直しや校種間連携、教職員研修等の取組が充実するよう指導しています。
しかしながら、平成10年度以降、中学校や高等学校で、「賤称語」等を使用した差別自称が多発していますこれらの事象は、同和問題学習や部落史学習の中で学んだ「賤称語」や「被差別部落」という言葉を、その言葉の持つ重みを十分に認識せず、自分たちの生活や遊びの中で、安易に発言したり、人を見下したりするために使用するといった差別事象です。
県教育委員会は、学校で取り組んでいる同和教育や同和問題学習が、児童生徒一人ひとりの心に響いていない、また、一面的な知的理解に留まっていて、生活の中に生かされていないという同和教育推進上の重大な問題であると厳しく受け止めています。
このたび辞書が発生した中学校や高等学校に対しては、継続して適切な指導・助言を行うとともに、個々の事象の要因や背景、問題点の分析を深め、子どもを取り巻く全体像を多面的に探り、何が足りなかったのか、何をしなければならないのかを明らかにしていくことが大切であると考えています。
個々の事象についての分析や、事象発生後の各学校の取組を指導する中で明らかになったことを踏まえ、すべての学校に対し、同和教育をより充実していくため、特に下記の事項こついて指針・助言していきたいと考えています。


1 学校体制および教職員の姿勢
同和教育は、教育活動全体を通じてすべての児童生徒の人権感覚を磨き、差別解消に向けた意欲や態度を育成することをねらいとしている。そのために、児童生徒「人ひとりの人権が大切にされる教育活動になるよう、学年やクラス、学科等を越えて学校全体で、全教職員が取り組まなければならない。今回事象が起こった学校においては、以前は生徒が問題を起こしても学年団だけで処理しようとして、実態を前面に出してのオープンな議論がなされていなかった学校や、全教職員の共通理解・認識が図られず、該当のクラスや同和教育部の取組になったために、指導が徹底できなかった学校もみられた。しかし事象発生後、「全教職員が、あらゆる角度から生徒を見ていこう」を合言葉に、学級担任と強化担任との情報交換を毎日の授業の終わった後に行ない、生徒の理解に努めるとともに、全員で生徒を指導していく体制づくりや、わかる授業を徹底してやりきるための取組み等を工夫している学校がみられる。この陰には管理職がリーダーシップを発揮し、教職員へ適切な指導助言をしていることがあった。教職員の意思疎通や共通認識を図っていくためには、管理職の指導力が極めて重要である。
 また、生徒が何か問題を起こすと、現象面だけにとらわれ、教師が一方的に押さえつけた指導をしていた実態もみられた。教職員は生徒の実態を直視し、その思い願い、辛さ、弱さ、また、日常生活の中の人間関係等をしっかりと把握していかなければならない。そして、生徒たちに心から向き合い、内面の理解を深めることを通して、信頼関係をより深めていかなければならない。そのため、個人面談や家庭訪問の一層の充実が必要である。
ある生徒は、「これまでの同和教育の授業で、感想文を書くのがいやだった。文章を書くのがうまい子は本当にうまく書いている。けれど、その子どもたちの日常の生活を見ていると、本当にその子が素晴らしい子になったと思えない。そんな子どもたちばか誉める同和教育はしてほしくない。」と話している。また、差別発言をした生徒の中学時代の同和問題学習に取り組む姿勢について、中学校では「積極的に差別をなくす段階には到達していないが、発言内容や作文には前向きに取り組む姿勢がみられた」と捉えているものの、高等学校での聞き取りの中では、中学校の同和教育を「だるい授業」と話している。
この背景を見た時に、教職員が同和教育においては普段の授業とは異なった構えになり、その雰囲気が児童生徒に敏感に反映し、特別な授業となったり、授業の中で、児童生徒から「差別はいけない。」「差別は許されない。」「これからは差別をなくしていきたい。」という意見が出ると、教師は満足をしてしまい、「良い授業だった」と思いこんでしまったりしてはいないか、謙虚に振り返って検証していくことが必要である。学習の成果を見る場合、学習を通じて同和地区児童生徒にとって不安が取り除かれ、力強い励みになったか。同和地区外児童生徒が、自らの問題として捉えることができたか。さらに、学習したことが生活に生かされ、仲間としてのつながりが強まったか名度、具体的な児童生徒の姿から読み取っていかなければならない。
また、ある生徒の感想の中で」生徒のこのような差別発言もいけないが、教師にも生徒を傷つける発言がある。」と書いているように、いくら児童生徒に対して人権の大切さを説いてみても、指導する教師白身が、児童生徒の人権を軽視した言を行っていれば、心に響く同和教育になっていかない。日ごろの生活の中で、人権を尊重した言動に心がけているか、傷つける言動を取っていないか、すべての教職員が自らを見つめ直すとともに、教職員相互に人権感覚を高め合っていくことが大切である。
(つづく)

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