以前紹介した智頭町広報には、次の記述がありました。
では、自分や自分の家族が差別を受けたり差別をした経験についてはどうかというと、どの年代も半数近くの人が差別をしたことも受けたこともないと回答しているのです。現存する差別の実態に気づかない、或いは見ようとしない私たちの姿がここに現れています。
智頭町が独自に行った意識調査で、差別をしたり差別をしたこともないという結果が多かったことについて、差別を見ようとしないと評しています。
一方、2004年7月1日の鳥取市の広報では県が行った意識調査について、次のような記述があります。
平成十二年七月に鳥取県が行った県民意識調査(右下図参照)に次のような集計結果が出ています。
「今の時代、部落差別はもはや存在するはずがない」という質問に対して、「そう思う」(部落差別は存在していない)と回答した人は約二十五パーセント、「そうは思わない」約四十二パーセント、「どちらとも言えない」約三十一パーセントとなっています。その内「そうは思わない」「どちらとも言えない」と回答した人を対象に、「世間の人々は、口先でいいことを言っても、腹のそこでは差別している」という質問をしたところ、「そう思う」と回答した人が約五十一%もいました。この回答結果からも、部落差別が今なお、根強く残っていることが伺えます。
鳥取市では差別があるという答えが多いので差別が根強く残っていると評しています。しかし、智頭町では差別をされたこともしたこともないという答えが多いので、町民は差別の現実を見なていないという結論が出されています。そして、それは教育や啓発が必要であるという根拠となります。
果たして、どのような調査結果が出れば満足するのでしょうか?
ここで疑わなければならないのは、調査に予断があるのではないかということです。つまり、「教育や啓発が必要だ」という結果ありきで調査を行っているために、どんな結果が出てもネガティブに解釈しているということです。多額の予算を計上して、定期的に行われている調査が意味のあるものなのか問われるべきでしょう。
ちなみに、智頭町の記事を書いたのは町の教育委員会の非常勤職員でしたが、今は既に退職されています。鳥取市については2003年は鳥取市人権情報センターが編集委員を派遣していましたが、2004年に付いては未確認です。
意識調査というのは「同和問題についての県民意識調査」なのですが、これは鳥取大学の國歳眞臣名誉教授が中心となって作っています。それにしても、「世間の人々は、口先でいいことを言っても、腹のそこでは差別している」という質問は調査にしてはあまりにも人間の猜疑心に訴えかけるものであるし、差別の「実態」とは無関係だと思うのですが。