智頭町の広報誌、「広報ちづ」の2005年9月号に興味深い記述を見つけました。以下は、智頭町の「同和問題に関する町民意識調査」からの引用です。
「家族や親戚が被差別部落の人との結婚を望んだらどうしますか」との設問に対し、20歳~30歳では31%の人が「祝福して応援する」、42%超の人が「本人が決めること」との回答をしており、同和教育30余年の成果として受け止めることができます。
しかし内容をみますと「世間体があり賛成しかねる・反対する」が60歳以上で8%余に対し、20歳~39歳が19%近い数字に驚きました。
実は、智頭町の調査では、同和地区住民との結婚に関して若年層ほど肯定的な回答が多い反面、否定的な回答をするのも若年層が多いということが分かっています。
人権啓発映画や同和教育の教材でありがちなパターンと言えば、若い二人の結婚を年寄りが妨害するということですが、現実は必ずしもそうではないようです。
これは2005年の智頭町の調査でしたが、1999年の溝口町(現伯耆町)のデータを入手できました。こちらでも、智頭町と同様の傾向が見られます。
「あなたのお子さん、又は家族が結婚されるとき、相手の人が同和地区出身であるとわかった場合、どうされますか」という設問に対して、「本人の意見を尊重し、結婚を祝福する」という肯定的な回答が最も多いのは15~19歳で86.5%です。逆に最も少ないのは70歳以上で28.2%です。しかし、「その結婚に反対する」という否定的な回答が最も多いのは30~39歳で19%です。それに対して、70歳以上では14.1%、60~69歳では9.5%となっており、必ずしも「年寄りが差別する」とは言えません。ただし、「特に反対派しないが、困ったことだと思う」という微妙な回答は70歳以上に最も多く、38%です。この回答は30~39歳では15.5%となっています。
県全体ではどうでしょうか?手元に2000年の「同和問題についての県民意識調査」がありますが、これには同様の質問がありません。代わりに「あなたは、現在、同和地区が県全体からみて、どのよおうな状況にあると思いますか(結婚)」という部分のデータを見ると、「同和地区出身であることが不利な条件になっていると思う。」が最も多いのが35~39歳で61.5%です。「もはや不利な条件になっていないと思う」が最も多いのは70~74歳で35.5%です。自分で「結婚に反対する」と言っておきながら「同和地区出身は結婚に不利な条件ではない」と答えることは考えられないので、智頭町や溝口町と同様の傾向があることが示唆されています。
私もこの結果をどう解釈するべきかは判断に迷っています。
ただし、これは「意識調査」であり実際の行動を反映しているとは限りません。はっきりしているのは、行政側が把握する限り、現在、鳥取県内で部落問題に関わる結婚差別の事例はほとんどないということです。
今日も机に・・・ on 2006年3月26日 7:54 AM
例の「鳥取プール」の活動はどうなっているのでしょう。あれきり何の進展もありません。よっぽど「鳥取ループ」の方が真剣に人権問題に取り組んでいるように思います。「鳥取プール」さん、悪のりだけで挑発するのはやめて、早く活動をしてください。どんな材料で反論されるのか、期待しています。
調査は差別解消の壁を明らかにした。 on 2006年3月26日 10:01 AM
高齢者は実に悲惨な部落の実態を見聞・体験しているので、また、社会的に結婚差別が当然とする時代を生きてきたので、部落内外婚に否定的にこだわりをみせるものだが、婚姻は当事者2人の問題という、憲法的に捉える柔軟な考えも併せ持っている。長く生きる中で部落内外にこだわらないつきあいも身についているもの。こうしたことの反映が数字に出ているものと思う。
若年層は、学校教育の影響が大。
部落の児童生徒学生に対する特別対策を肯定する理解を求めるために、部落の悲惨な歴史が繰り返し教え込まれ、差別者としての一般人の態度・関心などが改変の対象となる解放教育がなされてきた、その結果を反映している。
若年層が結婚に否定的な意識をあらわすのは、大阪など、解同の解放理論による解放教育が保育園からおこなわれ、部落民宣言が顕現教育として推進されているところに、共通する。
部落外の若年層が部落の子らに「違和感」を生じるのは、解放教育の「成果」である。部落の子を部落の子として「自覚」をもとめ、解放運動の戦士になることを、公教育で行わせているわけだから、部落の子以外は、差別者出ることを自覚・理解させなければららなくなる。
解放教育がもたらした大きな弊害である。
一日も早く、分け隔ての教育、子どもらの分断教育はやめさせるべきである。
小中高の教科書にみる部落問題記述は解放運動の意見を反映して、学術的なものではない。年々是正されてきてはいるが、問題が多い。それに輪をかけて、子どもらの間に部落を理由とした差別の実態が学校の中になくなっているにもかかわらず、「差別の歴史」懺悔の教育がなされれば、今日では差別が減少しているにもかかわらず、差別を回避するために、「部落」に関わりをもつことを拒否するのは、「自然な選択」だ。
差別解消がもくであるなら、差別の再生産教育は一刻も早くやめるべき。人権教育といいつつ、子どもらの人権を理解させるのではなく、特定の社会問題の理解、とりわけ部落問題の解決の態度を育成する、誤った教育も即刻やめるべきだ。
子どもら、若年層の責任ではない。
間違った教育を公教育でおこなっている大人が責任を感ずるべき問題。
部落の中でも、自分の子を「部落の子」と烙印付けしないでほしい、という世代が確実に増えている。
部落の子だけを集めての、集会所や隣保館での学習会や行事が成り立たなくなってきている。
これは全国的な傾向で、特定の子らを集める行事は廃止されてきているのが実態。
差別されてきた部落から、当たり前の普通の集落のなること、が同和対策であった。この目的は達成されている。
にもかかわらず、特別であろうとする、運動の弊害が、社会的に自由な交流を阻害しているものだ。
町の広報が団体の宣伝紙に成り下がっている実態も問題。解消に向け前進している町民の努力を評価できないのだから、いまだにわだかまりが残ってもいたしかたない。
行政が差別解消の壁になっている。
しかし、条例問題を契機に、部落問題、同和行政、教育、運動にたいし、少しずつ、自由に語れる、自由に批判も、意見も言える状況が拡大しているのは、鳥取における部落問題の解決にあたり、非常に重要なターニングポイントとなる。
学校教育の影響 on 2006年3月27日 6:59 AM
確かに結婚に関する若年層の反応は、学校教育の影響が大きいと思います。
しかしデータをよく見ると、溝口町の調査では、15才から19才の層で「こだわらない」と回答している人が実に86.5%を占めています。これで「弊害」と断定できるでしょうか。同じ調査で、同和教育を全く受けず、実態から言って町内の社会同和教育にも出席していないと考えられる70才以上はわずか28.2パーセントにとどまっているのに、です。これはまさに学校同和教育の「成果」です。何もしなければ、若年者層も、意識無意識は別にして、部落差別を温存し、助長してしまう70%以上の高齢者層の影響をそのまま受け入れてしまう可能性が大です。
ではなぜ30代前後が否定的な意見を表明しているのか。これも学校教育の影響であることは事実だろうと思います。当時の学校同和教育は差別に対する「怒り」が教員に強くありました。時にそれは発達段階を考慮しない結婚問題の教材化であったり、教員の熱い思い、考えの一方的な押しつけであったことは否定できないと思います。
その過程で、部落差別はなくさなければならないと頭ではわかっていても、そんなに厳しいのか、それなら・・と一歩現実から引いてしまう心情を高めてしまったと思われます。そして現実に結婚を考え、経験する年齢になり、「世間体」が頭をもたげてきてしまったのではないかと推測します。しかしこの心情は、5人に1人というデータが出ていますし、この人達にしても、頭の一方に部落差別を否定する理性が同居しているため、現実の結婚問題に直面したとき、好転する可能性を秘めていると確信しています。両者の合意のみによるという憲法解釈が当然の世代だからです。これも教育の成果です。
県の調査においても、「もはや不利な条件とはならない」との回答が、30代で61.5%も占めているのに対し、70代では35.5%に過ぎません。これは教育の成果以外に考えられないデータです。
教育の方法に問題はあります。しかし一方的に解放同盟や解放教育の「負の成果」だとする論には賛同しかねます。
むしろ、部落問題をはじめさまざまな社会問題を取り上げ、教育・啓発を推進していくことこそ、結婚差別を完全に解消する近道だと確信しています。方法論として誤りであると考えるのなら、直接運動体や学校としっかり話し合うことが必要なのであって、人権教育、同和教育、解放教育すべてを否定してしまうのは非常に危険で、なによりも「歴史の現実から学ぶ」ことで前進していこうというスタンス、「歴史から学び未来を展望する」という理念が抜け落ちてしまいます。
ただ、高齢者層がこの世からいなくなれば差別はなくなるといったことを論じる人がいますが、それは否定します。教育をしようがしまいが、いくらでも差別は再生産されているし、高齢者層といえども理念と確信を持って差別反対を論じる人はいるし、社会同和教育の成果も上がりつつあるからです。
現在の同和教育を分断教育と断じる前に、県民全体が学校現場の取り組みに期待と関心を寄せ、自由に議論しながらよりよい人権教育を創造していくことが大切だと思います。
学校現場は被差別の当事者としての、運動体と連携し、多くを学んでいますが、当然のことながら自立しており、個々の学校の教育理念と保護者の思い、子どもの実態に応じて同和教育を推進しています。
鳥取ループ on 2006年3月27日 7:59 PM
同和教育によって新しい世代ほど意識が変わっているのではなくて、人生を経験すればするほど、実生活の上でこのブログで取り上げているような部落問題の影の部分を見てしまうのでしょう。例えば今の10代の世代が30代になれば、今の30代と同じような回答をするのではないかと思います。部落問題自体が風化しない限り、何度意識調査をしても、結果はこんなもんでしょう。
個人的には、人の意識がどうであれ、現在鳥取県内では部落問題に係る結婚差別がほとんど起きていない、という事実だけで十分だと思いますけどね。
同和教育に多額の税金を使って、現場の教師や生徒が嫌な思いをしてまで、全ての人の意識を例外なく変えてしまわないといけないものでしょうか。教育者というのは、現に皆が健康で暮らしていても、完全無菌状態にしないと気がすまない人たちなのですかね?