1996年9月2日解放新聞より。
事の発端は1995年11月に、部落出身の社員の車に「(実名)オマエタチエッタワ サレ」と、会社の運輸収入日報の裏に書かれた張り紙がされたことである。
1996年4月24日、部落解放同盟鳥取市協議会が糾弾会を開き、次の指摘をした。
その後、6月に部落出身の社員の自宅に電話があり、対応した中学生の子どもに差別発言を浴びせるということが起こっている。
8月5日、同時期に起こった「JR・若桜鉄道差別事件」と合わせて、再び糾弾会が行われている。会には解放同盟鳥取市協議会だけでなく、韓国民団、朝鮮総連、解放同盟島根県連も参加している。
糾弾会の結果、日の丸ハイヤー、JR西日本米子支社、若桜鉄道
は「企業の差別体質を改善し、社会的責任・役割をはたしていく」と回答し、「推進計画」を実施すると確認した。
とても不可解な事件で、解放新聞の記事を見る限り、何が差別事件なのかよく分かりません。
JR・若桜鉄道の件は1995年10月に鳥取市解放センターに差別事件を告発する投書があった、とあります。しかし、JRの労組同士の確執から民族差別発言があったことが分かっただけで、部落差別があったとは書かれていません。また、同年11月に社員の家族に解放同盟の名を語って恫喝する電話がかかっています。結局、解放同盟は投書について「事実を誇張し、解放運動を利用しようとする思惑をもったもの」と判断しています。
また、いずれも事件の発端となる張り紙や告発を行った人物が特定されていません。1995年当時の鳥取で、「企業の差別体質」が原因で「オマエタチエッタワ サレ」と部落出身社員の車に張り紙する人物がいるとは、私には到底信じられないのですが…