オール・ロマンス事件と江府町の入会権問題

鳥取で同和教育を受けた方は、「オール・ロマンス事件」をご存知であると思います。私が小学校の同和教育で最初に習ったのがこの事件です。しかし、当時の私には、この事件の持つ意味をさっぱり理解できませんでした。
過去の記事でも少し触れていますが、知らない方のために、私が高校の頃に職員室から拝借してきた「高校生の部落問題」という本から少し抜き出してみます。

大衆雑誌「オールロマンス」の一九五一年十月号に「特殊部落」と題する差別にみちた小説がのせられました。この小説をとり上げた部落解放委員会京都府連合会は、オールロマンス社に抗議したなかで、この小説の作者が京都市役所の職員であり、環境衛生指導員として九条保健所に勤務していることがわかりました。

この事件以前の部落解放運動では、オールロマンス社や職員個人が糾弾されて終わりでしたが、現在の部落解放同盟の全身である部落解放委員会はさらに矛先を京都市の行政へと向けて行きます。この運動は成功し、翌年京都市は莫大な同和対策予算を計上しました。
このような、行政に対して圧力をかける方法は、鳥取にも波及します。1956年、日野郡江府町では、同和地区と近隣地区との山林の入会権を巡って、同和地区住民による納税拒否という抗議運動が起きました。これを指揮したのが、オールロマンス事件に始まる行政闘争の手法を学んでいた、前田俊政という人物です。運動はさらにエスカレートし、小中学生までが学校をボイコットします。最終的には、江府町が町有林を割譲して近隣地区と同等の面積への入会権を認めるという形で決着しました。
同様の運動は、鳥取市、智頭町、国府町にも波及します。
これをきっかけに、同和地区の環境改善は劇的に進みました。しかし、その一方でパンドラの箱を開けてしまった面もあります。江府町では町有林の割譲という公共の財産の分配が、単なる話し合いではなく、納税拒否や子供を巻き込んでのボイコットなどといった実力行使によって行われました。当然、当事者からも異論が出るはずなのですが、次のような考え方によって正当化されました。

  • 日常、部落に生起している問題で、部落にとって、部落民にとって不利益な問題が差別である
  • 部落とって不利益なことは、全てかつての社会制度によるものであるから、全ての責任は行政にある
    逆に言えば、部落民には全く責任はないということです。これは、鳥取の同和教育でも徹底して教えられることで、同和地区の人間の責任に触れることはタブーとなっています。
    ところで、行政によって同和地区に集中的に予算を配分することは、戦前の鳥取でも行われていました。これは「畏くも明治天皇が解放令を出されたのに、未だ民衆の中に差別があるのは聖意に背くものでけしからん」という同胞融和運動に基づくものでした。しかし、同和地区出身の有力者もこの運動を推進し、鳥取ではかの水平社も協力していたと言われています。これはある程度の成果を上げていましたが、私有財産に公権力が原則として介入しない日本においては、経済的な問題について劇的な変化を期待するのは難しい面もありました。
    ともかく、オール・ロマンス事件を機に始まった行政闘争により、同和地区と地区外の住民が共に協力すると言った融和運動は姿を消し、同和地区住民の闘争による自らの解放といった方向へと運動は変化しました。
    オール・ロマンス事件は、部落問題そのものではなく、部落解放運動の変化という意味で大きな事件であったのだと思います。そうでなければ、誰かが同和地区をネタに侮辱するような小説を書いたから、抗議した、というだけの話でしかありません。
    もし、戦前のような同胞融和運動が継続されていたらどうなっていたのか、それは誰にも分かりません。しかし、今、鳥取の同和地区の環境は劇的に改善しました。一方で鳥取の各自治体には同和地区に優先して利益を配分する制度が残り、行政は「今でも根強い差別が存在する」と主張しているのが事実です。

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