同和教育に疑念を抱くとき

中学卒業間近の頃、私が図書館で手に取ったのは「もうやめへんか『同和』」という本だった。正直、同和教育を「くどい」と思いつつも、それを正直に言えない状況で、このような題名の本は衝撃的だった。
今となっては内容はあまり覚えていないが、いつまでも同和地区に特別な措置を続けるのはやめて、差別はなくなったと宣言し、同和地区の存在自体をなくしてしまおうという内容だった。今まで差別を見逃してはいけない、差別がないと言うのは間違いだとさんざん教えられてきた私には、とても衝撃的な内容であった。
高校に入ってからは、あまり同和教育はなかった。時々啓発映画を見せられたり、寒い授業をするくらいだった。その反面、私が最も同和問題に関心を持っていた時期であった。
私は図書館に行き、同和問題関連の本を調べた。そして、今学校で行われている同和教育が全て「部落解放同盟」の主張と一致していること、そして、「全国部落解放運動連合会」(全解連)が真っ向からその主張を批判していることを知った。そして、同和問題への過剰な反応により、「言葉狩り」といった問題が起きていることや、新聞やテレビでほとんど同和問題に触れることができない現実を知った。こういった事実は学校の同和教育では全く語られなかった。つまり、世の中には多種多様な意見があるにも関わらず、特定の意見だけを取り上げて、それ以外を隠していたのだ。
当時、私は短波ラジオで北朝鮮の放送を聞くという変な趣味があった(鳥取は日本海側なので朝鮮半島からの電波がよく受信できる)。それから、戦時中のことが書かれた本を読むのが好きだったりした。だから、北朝鮮の思想教育や、中国やソ連の捕虜収容所で行われた洗脳教育のことは、よく知っていた。だから余計に気味の悪いものを感じた。
私は、高校卒業間近、「行政に特定の団体が入り込んで、県民を洗脳して、利権を漁っている!」と確信したと書いた。そのきっかけは、大阪府立図書館で、同和問題に興味を持つ人には有名な「八鹿高校事件」を調べたことである。
とある用事で大阪に行ったとき、大阪府立図書館に立ち寄った。目的は最初から、八鹿高校事件当時の1974年11月22日に何があったのか、調べるためだった。私は当時の読売新聞、部落解放同盟の機関紙である解放新聞、そして全解連と共に解放同盟と対立していた共産党の赤旗を読んだ。私が見たのは、社会面のすみで少しだけ事件を報じた読売新聞、これでもかと対立する共産党を批判する解放新聞、そして、でかでかと事の詳細を報じて、連日のように解放同盟を批判する赤旗だった。
私が気味の悪いものを感じたのは、48名が監禁・暴行され重軽傷を負うような大事件で、これほど一般の新聞の扱いが小さいことだけではなかった。解放新聞の独特の言い回しや相手を貶める用語を使った記事は、当時私が聞いていた北朝鮮の放送のような気味悪さがあった(議員○○のように、敬称と名前を逆転させたり、日本共産党を日共と略する部分など。赤旗にもそういう要素は多分にあったが、解放新聞の方が圧倒的に勝っていたように思う)。私が同和教育、さらには同和問題全般に決定的な嫌悪感を感じるようになるには十分な出来事だった。

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