中学校最初の同和教育は、私にとって衝撃的な言葉で締めくくられた。
「先生は、被差別部落以外の部落で生まれました。つまり、先生自身、差別するかもしれません。そんな自分が恥ずかしい。」
これは、確かにK先生が言った言葉だ。とても感情的に、顔を紅潮させてこの言葉を発したことを今でもはっきりと覚えている。
小学校時代に話は戻るが、担任の女性教師が同和教育で「もうあなたたちが大人になるころには差別がなくなると信じています。」と泣いたことを思い出した。私は子供の頃、親や教師を含め、常に冷静に努めるのが大人なんだと思っていた。だから、大の大人が声を上げて泣くのを見るのはこれが初めてだった。
私はそのことにむしろ恐怖を感じた。もしも、啓発映画に出てくるような、絵に描いたような差別主義者に彼らが出くわしたなら、殴り合いにでもなるのではないかと、思ったりもした。
言葉尻をとらえ、吊るし上げる
さて、私は小学校の同和教育では、とにかく「差別者は許せない」という方向に持ってゆけばよいことを学んだ。しかし、中学校になれば、要は差別する奴をボロクソに言えばよい、というわけにもいかなかった。
これは、中学校最初の同和教育から数日後、各クラスで行われた同和教育での出来事である。
「さぁ、いい仕事ってなんだろう?」
O先生は授業が始まるなり、何の説明もなしに、いきなり私にそんな質問をしてきた。
「どうって・・もうかる仕事。」
私は答えた。
「じゃあ、もうからん仕事は悪い仕事か?え?」
O先生は大きな声で聞き返した。
「え・・うん。」
私は言葉につまった。さらに、先生が質問をあびせる。
「そうか?他には?」
「楽しい仕事。」
私は素直に思うことを答えた。
「じゃあ楽しくない仕事は悪い仕事か?」
「・・・・」
私は何も言えなかった。なぜこんなにも威圧的な態度で質問されるのか私は訳が分からなかったので、だんだん腹が立ってきた。
「仕事にいい、悪いはないな。問題は、安定しているかどうかだな。」
O先生はそういったが、私にはさっぱり意味が分からなかった。私は黙って座った。
「世の中の仕事は、みんないい仕事です。人の役に立つ!そうだな。」
要するに、いい、悪いとは、高貴か下賎かという意味だったのだ。始めからそう言えばちゃんと褒められるような答えを用意したのに、と思った。
O先生は続けた。
「被差別部落では、建設業とか、鉱業とか、職場の環境が悪かったり、毎日ちゃんと仕事があるとは限らなかったりする仕事に就いている方が多くおられます。」
回りくどいいい方をしているが、それは建設業や工業は悪い仕事ということなのではないか、と内心思ったが、口答えすることはしなかった。
思春期を迎えれば、単なる奇麗事とそうでない事の区別くらいはつくようになってくる。
「道徳に答えはない」「無知は悪いことではない」「自己教育力」「暴力は卑怯だ」「規則は守る」
幼い頃から、教えられたことと、現実とのギャップに疑問を持つようになった。
私ははっきり言ってうそつきだった。だから、作文でも平気でうそがつけた。心にもないことを作文に書いて、それでほめられていた。中学生になってから、だんだんそのことが嫌になってきた。どんなに奇麗な言葉でも、自分の本心に反することは、うそに変わりない。そんなことを考えている矢先に親に作文を頼まれたので、怒って拒否して、けんかになったこともあった。
高校時代のメモより構成しています。当時はあまりにムカついたので、しっかり記録していますよ~
あとで分かったのですが、K先生が言っていたのは、解放同盟の朝田理論ですね。共産党あたりからは、「部落排外主義」として批判されています。
私もこれは当時からおかしいと思っていました。「差別者であること」ではなくて「被差別部落外出身であること」が恥だと言うなら、それは出身地で人間を分けていることに他ならないのですから。