例の研修実績報告書が再公開されました。以下の資料をご覧ください。
県土整備部県土総務課-公文書部分開示決定の一部変更について(通知)
役職と合否が公開される前の研修実績報告書は以下にありますので、比較してみてください。
以前に公開された研修実績報告書
これで分かったことは、経営研修の参加者は役員だけで、同和研修や技術研修には従業員も参加しているということです。まぁ、当然と言えば当然のことですね。
その他、裁判中に分かった裏話は続きからどうぞ。
実は、最初に公開された研修実績報告書では、1社だけ社名が公開されてしまっていました。平成17年11月25日に倉吉未来中心で行われた技術研修の名簿に「秋山組」という記述があります。倉吉市のみどり町に、確かに秋山組という業者があります。
控訴する前は、あまり同和地区はどこかということは詮索しない方針で来たのですが、どうもそれを逆手に取られているようだったので、実際に同和地区や同和地区の業者を調査しました。鳥取市の場合、鳥取市地区会館管理規則、鳥取市集会所管理規則というのがありまして、これは見ての通り同和地区住民のための施設です。以前から把握していた同和地区には漏れなく施設があったので、事実上の鳥取市の同和地区リストだろうと薄々気づいていたのですが、実際にそのようです。試しに、解放同盟関係者が見ている「太陽の村」という掲示板にアドレスを貼り付けたら、これは鳥取市の部落の場所だといって削除されてしまったので、間違いないでしょう。
倉吉市の場合も同様に倉吉市地区会館の設置及び管理に関する条例があり、確かにみどり町の名前があります。国土地理院が公開している過去の航空写真で、同和対策が行われていた昭和50年ごろの写真を調べると、確かに大規模な区画整理が行われていました。
企業連が結成された経緯から考えると、同和対策が行われていた時期に同和地区の住民であった人が経営する企業、あるいは同和地区に拠点を置いて、同和対策事業に関係する工事を請け負ってきた業者であることは想像できます。実際に、入札情報公開サービスから同和地区や、同和地区の近隣に事務所がある業者を探して電話して、企業連の研修に参加しているかどうか聞いてみたら、ほぼ例外なくその通りでした。
もちろん、被差別身分の子孫ということもありません。同和地区に建設業者が多いのは、おそらくは明治以降に堤防工事や荒地の開拓が行われていたためで、同時期に工事のために移住してきた人が相当数含まれていると思います。実際、そのものズバリを聞いてみても「答えようがない」と言われます。近世まで家系を遡る事ができる人はごく一部です。
業者としては特に隠すようなことでもなく、簡単に教えてもらえます。ただ、業者の名簿は、各企業には配布されてはいないようです。もちろん、行政側は名簿を持っていて、かなり厳重な管理がされていました。
控訴理由書の中で、複数の業者に電話で問い合わせたのは、そういった経緯です。
今度は業者名を特定して情報公開請求して、存否応答拒否を出させて事を蒸し返す方法もあるのですが、制度自体が既に廃止されてしまったのと、費用の問題もあるので、この件はこれにてひと段落とします。