大阪府内の解放会館と部落解放同盟支部の関係

昭和56年11月26日に、大阪府解放会館連絡協議会が発刊した「大阪府解連協設立10年のあゆみ」という本があります。この文献の中に、「大阪府解放会館名簿」というものがあります。この名簿では、大阪府内の解放会館(隣保館、あるいは人権文化センター)と部落解放同盟支部との対応関係が一覧表示されています。

部落解放同盟という組織は、中央本部-県連-協議会-支部という階層構造になっていまして、最小単位である支部は原則として同和地区に結成されます。地区が小さい場合には、複数の地区で1つの支部が結成されることもあります。いずれにしても、解放同盟の支部は同和地区と関係が深く、支部名は同和地区名を冠していることが多いです。

ということは、以下の資料からは大阪府の解放会館のほとんどが解放同盟支部と対応関係にあり、必然的に同和地区と対応関係にあることが分かります。

kk1

kk2

kk3

コメント

コメント(8)

  1. K on

    同和地区ではないのに支部を置いたケースもあるんですか。よろしければ具体例を教えて下さい。

    返信

    • 鳥取ループ on

      有名どころでは、東京都連の足立、荒川、葛飾、江東、品川、墨田、台東、練馬、国立、八王子支部でしょう。東京都は指定地区が1つもないので、これらはいずれも同和地区でないのに解放同盟支部が置かれたケースと言えると思います。

      返信

      • klg88 on

        補足させていただくと、東京の解放同盟支部というのは、歴史的な被差別民によるものというよりは、職業差別(屠場など)に対する運動、言わば労働運動的な側面から立ち上がってきたところがあるので、西日本とは様相がかなり異なります。同和地区=被差別部落ではありませんし、被差別部落=同和地区指定ともなっていません。富山県のように、被差別部落があるのに同和地区がない上に解放同盟の支部が作れなかったところもあります。

        返信

  2. K on

    同和地区でも未指定部落でもないのに支部が置かれた例もあるんでしょうか?

    返信

    • klg88 on

      私なりの考えでは、YesでもありNoでもあります。
      例えば、大阪という全国有数の同和地区所在地ですが、
      水平社宣言が出され、水平社が数多く立ち上がりました。
      それが、部落解放同盟(分裂前)につながるとされています。
      しかし、大阪は終戦前の大空襲で焼け野原になりました。
      大阪市内に12同和地区がありましたが、全て焼けています。
      そこに「属地属人主義」で「部落民」を規定することができるか?という問いに、今の部落解放同盟は答えようがありません。

      部落でありながら解放同盟の支部の設置を拒み続けた例があります。逆もまた真なりと言い切ることはできませんが、ケースとしてはあると思っています。
      その際には、「そこに部落がある」ことにして支部を作るあるいは、職業差別を部落差別に「置き換えて」支部を置いたのでは?と思われる「支部」に個人的な感触として思い当たるところはあります。
      しかし、古地図をあたったりすると、何かしらそこに部落があったと思わせる特徴があるので、完全に被差別部落ではないと言い切るのも難しいです。
      ただ、そういう場所でも現在「部落」かと言われれば?マークを付けざるを得ない場所があると、私は思っています。
      具体的な地区名や支部名を指し示すのは控えます。
      オープンになっている情報を丹念に調べれば想像はつくと思います。

      返信

    • 鳥取ループ on

      東京都連の各支部は、属人主義の支部なので、具体的な被差別部落や同和地区と結びつきのあるものではないと考えられます。

      神奈川県の横須賀支部もそうです。確かに林2丁目、馬堀といった被差別部落があったのですが開発により散逸して部落が残っていません。市町村名を名前に冠している支部は、そのような場合がしばしばあるのではないかと思います。

      鳥取で言えば、倉吉市内で勝負谷以外の支部のほとんどは、厳密には被差別部落と言えません。大正以降にできた部落だと文献に書かれていますから、被差別部落としての経歴がなかった場所を行政が同和地区として指定したということになります。

      返信

  3. K on

    klg88さん、鳥取ループさん、ありがとうございます。

    かつて解放同盟中央本部があった六本木3丁目界隈も非人溜か何かに由来があるのかと思って調べてみましたが、違うようですね。

    谷底に六本木墓苑があるものの、首都高速道路の建設に伴って昭和30年代に作られた新しい墓地のようですし、江戸時代の地図を見てもお寺と武家屋敷しか見当たりませんでした。

    返信

  4. 通りすがり on

    確かにかっての松本記念館のところは普通の住宅地で高台になりますね。
    でも元麻布の谷底のあたりはどうなんでしょうか。一昔のころはかなり雰囲気が周囲と相違していた気がします。

    返信

コメントする