鳥取工業高校の糾弾会の後日談

以前、鳥取工業高校と鳥取西工業高校の差別事件という記事でご紹介した事件の当事者の後日談と考えられる記事をコメント欄でご紹介いただきました。
おそらくは鳥取工業高校で、「世界を征服したら何をするか」という話題で「お前の住んでいるところを被差別部落にするぞ」と発言した生徒の事を解放同盟に報告した人だと思います。後日談の概要は次の通りです。
解放同盟の救いようのない糾弾会を見て不信を抱く → 自分の報告が原因で友人の家族が失業したことに責任を感じて解放同盟を離れる → 民青と人権連に加入
以下は引用です。

… 略…
 高校時代は解放運動一色で解同とともにあった気がします。日常的に解放運動に触れるなかで解同や同和教育の強い影響を受け、自分の中で「差別はまだ残っている」、「自分は差別されている側の人間なんだ」、「部落外の人は皆、差別者だ」という歪曲した意識だけが独走し始めます(これは後に、事件を起こす種となっていく)。
 ある時、私と友達二人の計三人で下校途中に、「自分が権力者になったら何をするのか」という話で盛り上がっていました。友達の一人が私たちが想像できないことをするという趣旨の話をしたあと、もう一人の友達が、「そんなのできるはず無い、無理だ」と言ってお互いに笑いながら他愛も無い話をしていました。話を否定された友達が否定した友達に対して、「そんなこと言うなら、お前の住んでるところを被差別部落にしてやる」と笑い話の流れでいいました。  
 当時の私はその言葉を聞いた瞬間、冗談話ながら思考が停止し、間接的に差別をされたと思い込み、解放研と解同に相談するにいたります。
 このほかにも、高校において差別発言や差別落書きがおこなわれていたことから、解同が高校の先生方を引っ張り出し、糾弾会をおこないました。百人以上の解同側にたいして先生方は二十人程度と少ない状況でした。解同による言葉の暴力、言葉のリンチが激しくおこなわれ大変でした。このとき解同の攻撃的な部分と、物事を客観的に捉えることなく感情をむき出しにする性格をはじめて知りました。
 解同が差別をなくす、差別をしてはいけないと理想を掲げている団体なら、建設的に、どうしたらよいのか、どうしていかなければ現状を変えられないのかと、学校(事柄がおきた場所が学校であったため)、当事者等と時間がかかっても、まずは協議及びフォローしていく姿勢を打ち出し、取り組んでいかなければいけないのではないかと疑問を覚えました。そして、私の相談がもとで、友達の家族が職を失う結果となってしまったことに責任を感じて解放運動から身を引きました。
 以来、部落差別・差別というキーワードは自分の中で最大の関心事項でありながら蓋をしましたし、信じたものに裏切られるのは怖いと人間不信になり、内面的な人との関わりも拒絶して暮らしてきました。
 私の転機になったのは日本民主青年同盟(以下 民青)と人権連に出会ったことです。
… 略…


言うまでもないということと思いますが、日本民主青年同盟(民青)と全国地域人権運動総連合(人権連)は、部落解放同盟とは犬猿の仲と言われている日本共産党の関係団体です。
これ以上ないほどに皮肉なことですね。

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