東近江市の同和地区関係施設が存在した場所を情報公開請求しました

表題そのまんまです。以下の文書の公開を求める公文書公開請求書を東近江市に提出しました。

合併前の旧市町(八日市市、永源寺町、五個荘町、愛東町、湖東町、能登川町、蒲生町)の同和地区関係施設(隣保館、教育集会所、人権啓発センター)の名称あるいは位置を定めた例規の、平成14年1月1日現在の全文。

滋賀県に同和地区の場所を情報公開請求した件で、人権施策推進課の説明には、地域総合センターの場所が分かると同和地区の場所が分かるといった趣旨の説明がされていたのですが、ご存知の通り地域総合センターの位置は市町村の条例に記載されています。条例というのは、改廃されたとしても、過去の条例そのものがなくなるわけではないので、未来永劫事実上の同和地区の位置が記録として残り、公開され続けることになります。つまりは、同和地区の場所を公開することが不適切なことであるというのであれば、既に取り返しのつかないことになっているということです。今回の公文書公開請求にはそのことを確認する意味があります。
なぜ東近江市なのかというと、東近江市は2007年8月16日に愛荘町に同和地区の場所を問い合わせる電話があったことについて同和地区を問い合わせることは差別ではないという見解を出したのですが、なぜか最近になって以下の内容のマニュアルが庁内で配布されているようだからです。

電話や来庁による問い合わせの場合
「東近江市に同和地区はありますか」「○○町は同和地区ですか」「○○は部落ですか」「教育集会所はどこにありますか」「昔、隣保館のあった町はどこですか」などの問い合わせの場合
■ 名前を言われたとき
① はい 私は○○課の△△です。
② 失礼ですが、お名前をお願いします。
③ 東近江市には同和地区はあるのですか・・・などの問い合わせ
④ そのことにつきましては折り返し電話でお答えいたしますので電話番号をお聞かせください。
⑤ ありがとうございました。
⑥ 電話を切り 録音できるようにしてから 回答へ進む。
■ 名前を言われないとき
① 何で名前をいうのや。
② ご用件は何ですか。
③ 東近江市には同和地区があるのか。どこですか。それが聞きたいのや。
④ 失礼ですが、お名前と電話番号をお聞かせください。
⑤ 何で言わないといけないのや これだけが知りたいだけや。
⑥ 回答へ進む。
■ 回答
① 同和地区があるかどうか聞きたい。○○町は同和地区か。
② どのような理由でお聞きになるのですか。
③ 聞きたいだけや・・・・。
④ 聞いて何に使われるのですか。(相手が尋ねようとした理由、動機、意図をつかむ)
⑤ 何で・・・聞きたいだけや。(理由を言われる場合もある)
⑥ このような同和地区があるとか、被差別部落がどこかなどの問い合わせることは、人権侵害、部落差別になりますのでお答えできません。
■ 説明
   ★ このような問い合わせは同和問題の解決の妨げになります。その町に住んでいる人、その町の出身者であるだけで不合理な差別を受けてきた被差別者の気持ちをわかってほしい。これを問い合わせることは、差別行為です。
   ★ 問い合わせは人権啓発の機会です。なぜ、差別につながるかなど、わかるように説明してください。できれば、来庁していただくようにお願いしてほしい。
■ 報告
   ★ 問い合わせを受けた方は、時間、内容などくわしく記録して人権政策課へ連絡してください。

滋賀県の説明によれば、地域総合センターというのは具体的には教育集会所や隣保館の総称ということですが、東近江市にも確かにそれらの施設の位置を定めた条例があります。改廃されたとはいえ、過去の条例が書かれた文書を廃棄するということはまずあり得ないので、国の同和対策が行われていた当時(つまり平成14年以前)の状態が分かると思います。

鳥取工業高校の糾弾会の後日談

以前、鳥取工業高校と鳥取西工業高校の差別事件という記事でご紹介した事件の当事者の後日談と考えられる記事をコメント欄でご紹介いただきました。
おそらくは鳥取工業高校で、「世界を征服したら何をするか」という話題で「お前の住んでいるところを被差別部落にするぞ」と発言した生徒の事を解放同盟に報告した人だと思います。後日談の概要は次の通りです。
解放同盟の救いようのない糾弾会を見て不信を抱く → 自分の報告が原因で友人の家族が失業したことに責任を感じて解放同盟を離れる → 民青と人権連に加入
以下は引用です。

… 略…
 高校時代は解放運動一色で解同とともにあった気がします。日常的に解放運動に触れるなかで解同や同和教育の強い影響を受け、自分の中で「差別はまだ残っている」、「自分は差別されている側の人間なんだ」、「部落外の人は皆、差別者だ」という歪曲した意識だけが独走し始めます(これは後に、事件を起こす種となっていく)。
 ある時、私と友達二人の計三人で下校途中に、「自分が権力者になったら何をするのか」という話で盛り上がっていました。友達の一人が私たちが想像できないことをするという趣旨の話をしたあと、もう一人の友達が、「そんなのできるはず無い、無理だ」と言ってお互いに笑いながら他愛も無い話をしていました。話を否定された友達が否定した友達に対して、「そんなこと言うなら、お前の住んでるところを被差別部落にしてやる」と笑い話の流れでいいました。  
 当時の私はその言葉を聞いた瞬間、冗談話ながら思考が停止し、間接的に差別をされたと思い込み、解放研と解同に相談するにいたります。
 このほかにも、高校において差別発言や差別落書きがおこなわれていたことから、解同が高校の先生方を引っ張り出し、糾弾会をおこないました。百人以上の解同側にたいして先生方は二十人程度と少ない状況でした。解同による言葉の暴力、言葉のリンチが激しくおこなわれ大変でした。このとき解同の攻撃的な部分と、物事を客観的に捉えることなく感情をむき出しにする性格をはじめて知りました。
 解同が差別をなくす、差別をしてはいけないと理想を掲げている団体なら、建設的に、どうしたらよいのか、どうしていかなければ現状を変えられないのかと、学校(事柄がおきた場所が学校であったため)、当事者等と時間がかかっても、まずは協議及びフォローしていく姿勢を打ち出し、取り組んでいかなければいけないのではないかと疑問を覚えました。そして、私の相談がもとで、友達の家族が職を失う結果となってしまったことに責任を感じて解放運動から身を引きました。
 以来、部落差別・差別というキーワードは自分の中で最大の関心事項でありながら蓋をしましたし、信じたものに裏切られるのは怖いと人間不信になり、内面的な人との関わりも拒絶して暮らしてきました。
 私の転機になったのは日本民主青年同盟(以下 民青)と人権連に出会ったことです。
… 略…

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最近の鳥取市の結婚差別の実情

「とっとり市報」に載っていた記事があまりに凄まじかったので転載します。

部落差別は今 若者たちが語る
市内在住のAさんは社会人2年目。悩みがあるということで高校の恩師に相談したら、先生と同級生のBさん、Cさんが集まってくれました。
恩師 さすが、学生の時に部落問題について一緒に学習した仲間だけあって、ちゃんと来てくれたなあ。
本人A ほんと、ありがとう。 友人B そんなの当たり前だって。
恩師 A君、さっそくだけどみんなに話してみたら?
本人A 大学時代からつきあっている彼女がいて、最近「結婚」を意識するようになったんだ。そろそろお互いの家族にきちんと話をした方がいいだろうということになって、彼女が自分の家族に僕が被差別部落出身だということを話したんだ。そうしたら、彼女は、家族に「部落の人と一緒になったら幸せになれない」と言われたらしい。
友人C 彼女はなんでそのことを家族に話したの?
本人A 家族にきちんと伝えてほしいと僕が言ったからね。
友人B A君は家族に反対されるとは思わなかったの?
本人A 不安は多少はあったけど…。
友人B A君の彼女は何って言ってるの?
本人A 家族の言うことは間違いだと思ってる。でも、「Aのことは大好きだけど、今まで育ててもらった親を裏切ることはできない」と、泣きながら電話してきた。それを聞いてから、僕はもうつらくて。まさか自分がこういうことになるとは思わなかったから。
恩師 それで私に電話してきたんだね。
本人A そうなんです。職場の人にも相談できないし、分かってくれる友達も近くにいなくて。1人で悩んでいたらどんどんつらくなってきて。
友人C オレの彼女も、部落差別の歴史とか、全く知らなくてね。話してみたら興味を持ってくれたから安心してたんだけど、A君の話を聞いて、すごく不安になってきた。
友人B 私も、実は最近つきあいだした人がいて、私が被差別部落出身だということを話したの。そうしたら、彼氏は「ふーん、それがどうしたの?」っていう反応で。気にしてないのか、興味がないのか分からないけど。彼氏には親にそのことを話すように頼んだんだけど、彼氏の母親が、「つきあうのはいいけど、結婚はだめ」だって。A君の場合と全く同じ。
恩師 結婚したいのにできないなんて、どちらにとっても不幸だね。A君やBさんがつきあっている人は、同和教育を受けているんでしょ?
本人A いえ、ほとんど知らずに大人になってるみたいで。
友人B 昔の話という感覚みたいですね。
本人A 家族はもっとひどくて。部落の人は生活や文化が違うとか、執念深いとか思っているらしい。
友人C それはひどいね。
恩師 なぜA本人を見てくれないんだろうね。憤りを感じるね。差別は見えにくくなっているという人もいるけど、やっぱりなくなってないんだなあ。
友人C でも、被差別部落出身だということで悩んでばかりというわけでもないですよ。もちろん差別を受けるのはつらいけど、実際に差別を受けているからこそ見えることや考えられることもあるし。
友人B 私もそう思います。差別がある人間関係も、やさしさとぬくもりのある関係に変えることができるんじゃないかって…。だから、被差別の当事者である自分を積極的に受け入れようという自分もいるんです。
本人A うん、2人に元気づけられた。やさしさとぬくもりのある地域社会を、僕たちの世代が作り上げていくっていうことかなあ。まずは、彼女の親としっかり話ができるように頑張ってみます。
これは数カ月前に実際にあった話です。人生の節目である結婚で、今でも差別を受けている人々がいるのです。
差別を解消し、やさしさとぬくもりのある関係をつくるために、「気づくこと」「思いをはせること」を大事にし、今一度「自分の問題とする」ことを考えてみる必要があるのではないでしょうか。

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7月6日付の理由説明書に対する意見書を提出しました

去る7月6日付の滋賀県人権施策推進課の理由説明書に対する意見書を提出しました。以下に内容を掲載します。

平成21年7月6日付滋人推第170号に対し、次のとおり意見いたします。
1 用語の定義
実施機関の理由説明書には、一般的でない用語があるため、先に申立人の解釈により定義する。
同和地区
同和対策事業の対象地域。事業が終わった現在でも一般的な意味での「被差別部落」として事実上県が把握している。
同和地区出身者
同和対策事業の対象者で、「属地・属人」あるいは「同和関係者」と同義。事業が終わった現在では一般的な意味での「被差別部落民」と同義。
部落地名総鑑
昭和50年頃のいわゆる「部落地名総鑑事件」で結婚・就職差別に使われたとされる同和地区の一覧か、それにする類する情報。

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