椋田昇一氏にインタビュー(1)

椋田氏については、前回の記事の疑問に加え、氏が関わっている「人権尊重の社会作り条例」が制定される過程についても疑問がありました。そこで、今年の8月1日に、鳥取県人権尊重の社会づくり協議会委員の椋田昇一氏にインタビューしてきました。氏は現在は鳥取市人権情報センターの副所長という肩書きです。
以下は、取材メモから要約したものです。

私) 人権尊重の社会作り条例が制定される過程で、椋田さんは部落差別撤廃の条例を作るのか、人権啓発の条例をつくるのか二者択一を県に迫っているが?
椋田氏) 当初は部落差別撤廃条例を作ろうという要求があった。それに対して県は部落問題だけではなく様々な人権を対象にしようとした。そして、その中に部落問題の解決ということが位置づけられていればよいのではということになった。
私) 人権救済条例の際にも同様の交渉はあったのか?
椋田氏) 私はもう解放同盟としては関わっていないので承知していない。
私) 2002年当時(椋田氏が解放同盟の書記次長であったころ)にはすでに動きがあったようだが。
椋田氏) (個人的な印象として)当時は今の人権救済条例のイメージまではできていなかった気がする。ただ、部落解放基本法の制定運動が流れとしてはある。部落解放基本法案には差別撤廃の理念を定めた宣言法的部分、被差別部落の差別実態解消のための事業法的部分、差別意識を変革する教育・啓発法的部分、特に悪質な差別行為を規制し被害者を救済する4つの要素があった。全てをパッケージ化した部落解放基本法の制定は現実的に難しかったので、各要素を実現してゆくという柔軟路線をとった。それが2002年に制定された「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」や国の人権擁護法案である。そういう意味では考え方はつながっていると思う。
私) 2000年から2002年にかけて日ノ丸自動車、JR、山陰合同銀行、農協、鳥取工業高校、鳥取西工業高校などが相次いで糾弾されている。その当時、例えば普段椋田さんと仲良くしている方でも「お前はそっちだ!」と言われて壇上(糾弾を受ける側)に上がらされたといった話を聞いたが?それから「鳥取スタイル」というような話も聞いている。
椋田氏) 全然聞いたことがない。私のような立場の人間には、残念ながらそういった声が届かないことがある。私もそういったことを聞いたことがないから、むしろ事実かどうか知りたい。
直接覚えがあるのは日ノ丸自動車。壇上に上がれ、といったような話であれば、今回はあなたは糾弾される側でしょということであれば状況によって言っている可能性はある。鳥取工業高校、鳥取西工業高校については直接は関わっていない。

(次回に続きます…)

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