性別の記載が消えたのは何のためか?

昨年の9月、鳥取県で人権に配慮した申請書類等にするための関係規則の整備に関する規則というものが出され、県の行政機関の書類から性別の記載が消えました。「突き詰めて行けば、そういった情報の記入は必要ないので、必要のない個人の情報は取らないという観点からそうなった。」と県は説明していますが、どうやらそうではないようです。
県の規則では、ある福祉施設のデイケアサービスに関する申請書からも性別の記載が削除されていました。福祉や医療の現場で性別を把握しないというのはさすがに不可解なので、この福祉施設に問い合わせてみました。担当者によれば、今年から業務内容が変わってデイケアサービスから学習講座に変わっているとのことです。そして、「去年まで行われていたデイケアサービスと、現在行われている学習講座でも、必要なので性別の記載をしている」ということでした。
早速、人権局の人権推進課に問い合わせてみました。担当者によれば、性別の記載が必要かどうかといった判断は人権推進課ではなくて各書類の所管課で行ったそうです。では、人権推進課がとりまとめてこういったことを行った過程については、意見書が出されたり、検討会が行われたといった記録は残っていないということです。ただ、いずれにしてもこれは行政レベルで行われたことです。
県の文書を調べていると、平成16年の鳥取県人権施策基本方針に手がかりとなりそうな記述がありました。

鳥取市など県内4市では、性に関する差別と偏見をなくすため、行政文書などから不要な性別記載を削除するなど市町村独自の取組が始まりました。平成15(2003)年7月には、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(性同一性障害者性別特例法)」が成立し、戸籍上の性別変更が可能となりましたが、変更には「現に子どもがいないこと」など適用条件の問題が指摘されており、適用除外を求める動きもでています。また、性同一性障害に関しては診療を受けられる医療機関が限られているなど、医療福祉分野で検討すべき点もあります。

これは県の書類から性別の記載が消える前のことで、県下の市の取り組みに触れたものですが、「性に関する差別と偏見をなくすため」と書かれています。なお、この記載を入れるよう県に求めたのは、男女共同参画や子供の人権に関する取組みをしている元鳥取県人権尊重の社会づくり協議会委員の松田章義氏(これが人権救済条例にもリンクしてくるので名前を覚えておいてください)であることが、平成15年度第3回鳥取県人権尊重の社会づくり協議会議事録から明らかになっています。
また、以前から上記引用部分と一致する主張を続けてきた人物がいます。現鳥取県人権尊重の社会づくり協議会委員である藤村梨沙氏です。彼女が取り組んできたことはこちらのページによくまとめられています。
「性別の記載が消えたのは何のためか?」その答えはおそらく、「彼女のため」です。なぜそうなのかいうと、そもそも鳥取県は県内に性同一性障害の患者がどれだけいるかさえ把握していないからです。


この一件ですが、差別用語にまつわる言葉狩りに見られるような
誰かがおかしなことを言う→真に受ける→実行する
という典型的なパターンに思えます。
あまり個人攻撃はしないつもりできましたが、藤村梨沙氏の周辺にはさすがの私も不気味なものを感じたので、いろいろな所見を述べておきます。
彼女自身が性同一性障害であることを明かしており、例えば戸籍の性別変更ができるように請願し、そのために行政が動いてきたところまでは理解できました。しかし、それならなぜ性別記載そのものを削除しようとするのかは理解できません。生物学的には男であっても女として生きたいと彼女自身が主張することを止めることはないと思うのですが、だからと言って、男が男として、女が女として生きるという領域に土足で踏み込んでよいということにはならないと思います。
医療機関に限らず、性別と言うのは人間を識別する重要な要素です。人権局はほとんどの書類について性別は不要だと言いますが、例えば女性の相談事には女性の職員に対応させた方がよいだろうと配慮したり、「砂丘こどもの国」で変質者が出たら、女性や子供は気をつけるように、となるでしょう。迷子になった人を探す時でも、性別というのは必ず意識します。
藤村氏は自分が被差別者だと主張していますが、世の中には、男が男として、女が女として生きることに悩んでいる人もたくさんいます。例えば、自分の容姿にコンプレックスを持っているだとか、不妊症で子供が作れないために周囲からプレッシャーを感じるといったことです。しかし、例えば「自分はブサイクで悩んでいるから、顔で偏見を持たれないように履歴書に写真を載せるな」といったことが通るでしょうか。多くの人は自分の容姿を受け入れるしかありません。さもなければ自分自身を社会から断絶するという代償を支払わなければいけません。
一方で彼女は、自身が明かしているように2人の子供に恵まれ、鳥取県人権尊重の社会づくり協議会委員として社会的地位も得ています…。それに、性同一性障害ということは関係なしに、いろんな意味で個性的な人ですね。
世の中には人間として絶対的な権利である「人権」と、他者との関係で成り立っている権利があります。鳥取県はわざわざ被差別集団を指定してしまって、後者のようなあくまで社会全体で妥協点を探るべき問題についても、ある集団の権利だけしか見えないようにしているところがあります。それどころか、今回のケースでは、県内で彼女以外の性同一性障害者がどういった問題をかかえているかもはっきり分かってはいません。「みんなが一人のために」というと聞こえはいいかも知れませんが、どれだけ受益者がいるかも分からないまま、ただ1人の声の大きい人のために、いとも簡単に「性の同一性」という全ての人に関わることに行政が介入していいものなのでしょうか。
なんというか、身体障害者だけが体の問題で悩むわけではないし、精神障害者だけが心の問題で悩んでいるわけではないように、性同一性障害者だけが性の同一性に悩んでいるわけではないのです。鳥取市議会にも人権局にも、もっと広い視点で物事を見てくれよと、切に願います。

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