下味野上バス停にまつわる出来事 (2)

バス停の名前の決定権は基本的にバス会社にあるはずなので、バス会社に電話してみました。

私: どういった理由で変更されたのでしょうか?
バス会社: 地元の方からの希望で変更しました。
私: 西下味野という名前が差別的だという指摘があったと聞いています。ただ、地元の方も隣保館の館長も名称が変更されたこと自体知らないとおっしゃっていますが。
バス会社: 隣保館というよりは、西下味野という名前がよくないということで、地元のみなさんで話し合って決めたわけです。
私: みなさんといっても、地元の方に聞いてみたところ、知らないというんですよ。1人知っている人はいましたが、そもそも誰が言い出したかわからないし、バス会社の方からそんな話が出てきたそうですよ。
バス会社:え?おかしいなぁ…。被差別の集落のからみでですね、西下味野はそうではないけれども、そこに近い方からおかしいんじゃないかというご意見を頂いたといういきさつです。ただ、隣保館の館長さんもご存知ないというのはちょっと変ですね。
私: 最初のクレーム自体がイタズラの可能性はないですか?
バス会社: バス停の名前はイタズラで変えられるようなものではなくて、地元の方に諮って変えたはずですけどね。

いきさつをさらに詳しく聞いたところ、最終的には公民館の地区の総会でバス会社に一任されたということです。そもそもの発端は「隣保館の方」から話が出てきたということなのですが、それでは隣保館側の言うことと食い違ってきます。再度隣保館に確認したところ「前任の館長にも聞いたけど分からない」という答えが返ってきて、さらには「本当に隣保館は関係ない」と念を押される始末でした。さらにバス会社に確認したところ、どうも隣保館関係者が直接関わっているというよりは、当時の地区の役員から話あったのがそもそもの発端のようです。ちなみに、バス会社に「もしかしてその人は解放同盟?」と単刀直入に聞いてみましたが「組織としては関わってないです」という答えでした。
問題の公民館での総会の参加者によれば、「なんだそりゃ」といった状態で「面倒だからバス会社に一任」といった雰囲気だったということです。総会は「被差別でない側」の地区で持たれたそうですが、部落解放運動に関する雑誌などにも度々記事を書いている「被差別の集落」関係者にもコンタクトを取ってみました。

私: 西下味野バス停の名前が変えられたことはご存知ですか?
地元関係者: いやぁ、あまりバス停なんか見て通らんけぇね。普段バス使ってる人間ならあれなんでしょうけど。
私: なんか西下味野という名前に変わったみたいで。
地元関係者: ええ?だったらうちのバス停はどうなったですか(笑)。
私: それが変わってないみたいでね(笑)。

…と、終始こんな感じで拍子抜けしてしまいました。
他の地元関係者によれば最近は通称名が使われなくなってきており、自治会などの名称も「被差別の集落」と「被差別でない側」で同じ名前になってきているのだとか。しかし、そもそも通称名は比較的最近、地元小学校の影響で使われていたものなので、結局はまた昔に戻るということになります。
鳥取は車社会であり、特に近年ではバスの利用者の中心であった高齢者も免許保有者が多くなっているので、ますますバス離れが進行しています。それゆえ、地元住民が無関心になるのも無理はありません。
この一件、あまり地元で対立を生むようなことはしたくないので、バス会社に「クレームをつけた人が誰なのか、あまり詮索したくはない。ただ、もし本人に会う機会があれば、私に連絡するよう伝えて欲しい」とだけ言い、深追いはやめることにしました。それから、私の元には何も連絡は来ていません…

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