同盟休校(2) ~狭山同盟休校~

狭山同盟休校は、狭山事件の刑事裁判の判決に対する抗議運動の1つとして行われたものです。
狭山事件とは1963年5月1日に、埼玉県狭山市で女子高生が暴行され、殺害された事件です。石川一雄という人物が犯人として逮捕され、浦和地裁で死刑判決が言い渡されます。そして1969年、部落解放同盟はこの事件は冤罪であり、差別裁判であるとして激しい抗議を行いました。石川一雄が同和地区の青年であったことから、狭山事件はこの時代の部落解放運動の中でも最も重要なものになってゆきます。
狭山事件についてはインターネット上に多数の資料があるため、詳しい説明は割愛します。
狭山同盟休校は鳥取県内では大規模なものが2回行われています。いずれも、部落解放同盟の中央により全国的に呼びかけられ、それが解放同盟鳥取県連においても行われたものです。
1976年5月22日に行われた1回目の同盟休校は全国的には非常に大規模なもので全国紙でも報じられ、教育界を震撼させる出来事でした。同和地区の児童生徒が一斉に学校を休むということは、学校内で誰が同和地区の子供なのか公になってしまうということを意味し、まさに前代未聞のことです。これに対し、各自治体の教育委員会は抵抗するか、あるいは黙認しました。
長野県を例に取ると、県教委はこれを黙認したと当時の新聞は伝えています。しかし、松本市などでは地元からの反発があり、市教委が阻止したため、同盟休校は行われませんでした。しかし、多くの地域では生徒児童が「自分は被差別部落出身であり、同じく被差別部落出身であり部落差別の犠牲となった石川さんを助ける」と宣言し、同盟休校に参加していきました。
この同盟休校は鳥取県内でも大規模に行われました。解放同盟鳥取県連の発表では、同和地区の児童生徒の約3割にあたる1560人が参加したとされています。特徴的なのは県東部の参加率が高いことです。
当時の県連書記長、前田俊政氏の発表によれば、県全体では解放同盟の支部が組織されている地区の45%の児童生徒が参加し、県東部では80%にも及んでいます。特に智頭町では、実に100%の参加率でした。また、学校以外でも倉吉市の職員がストライキを行ったことが伝えられています。
同盟休校に参加した児童は、学校に行く代わりに隣保館や公民館に行き、保護者と共に、狭山事件についての学習会や体験発表を行いました。
県教委がどう対応したかについて、当時の日本海新聞はこう伝えています。

また十三の県立高校で予定通り中間テストが行われ、欠席者には今週追試験が行われることになっている。また県教委は今週、同和主任の会議を県内三ヶ所で開き、同盟休校の事後指導を徹底することにしている。

また、学習会の場に教員が現地指導に来たことが伝えられています。このことから、鳥取県教委は同盟休校を黙認ないしは一部協力していたことが伺えます。
最後に、この同盟休校に参加した児童の心情を伺えるものとして、作文を引用しておきます。

「同盟休校に参加して」6年 女子
今日、同盟休校だったので学校を休みました。
私は、なぜ学校を休んだかという理由を少しは知っていましたが、同盟休校について、前田のおじさんと友の会の会長さんが説明され、前よりよく分かりました。
次に、「夜明けをめざして」という映画を見ました。
私は、この映画を見るのは二度目でしたが、でも一度目と二度目の気持ちは違っていました。はじめてみた時は、よくわからなかったが、二度目は、人の言った気持ち、言われた人の気持ちが分かりました。映画が終わると児童館で勉強をしました。
勉強というのは差別の勉強です。映画の話、石川青年のこと、昔の私達の村のことなどです。
私は、「私達の村と映画に出てきた橋の向こうが、どんな関係があるのですか」とたずねられたとき、私は「差別されやすい部落、部落民だから」と答えました。その時、ごちゃごちゃになって、自分でも何を言っているのかわかりませんでした。私は、この同盟休校に参加して、とてもよい学習になったと思います。私達が、大人になっても忘れることが出来ないと思います。これからもいろいろな差別について勉強して、自分も差別しない人間、人に差別されても負けず、差別した人に正しくわかってもらえるように話し合いたいと思います。
一日も早く差別をなくするために、みんな力を合わせて、差別のない明るい社会をつくるようがんばります。

「前田のおじさん」とは、言うまでもなく前田俊政氏のことです。


鳥取とは全然関係ないですが、「いまこそ狭山勝利」という歌の歌詞が凄いので載せておきます。

こっかけんりょくの いけにえに
なろうとしている いしかわさん
こっかけんりょくの てさき
とうきょうこうさいを きゅうだんせよ
* 繰り返し
いまこそとりかえせ いまこそさやましょうり
いまこそぶらく かいほうへ
てらおはんけつの あくどい
くろまくをあばけ きょうだい
てらおはんけつの さくりゃく
ゆうざいはんけつを ゆるすな
いしかわさんの かえりを
まちわびる りょうしん
いしかわさんの くらい
どくぼうせいかつに いかりをもて

また、当時の解放新聞によれば、大阪の辺りでは同盟休校に参加した児童生徒が「部落 -解放!」「石川 -奪還!」「日共 -粉砕!」と叫んでいたそうです。

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