行政闘争の代償として失われたのは何か

私は、オール・ロマンス事件に始まった行政闘争について、パンドラの箱を開けたと表現しました。こういった行政闘争は、1957年の部落解放同盟第十二回全国大会で打ち出された「日常、部落に生起している問題で、部落にとって、部落民にとって不利益な問題が差別である」という考えに基づいています。
これは、とても極端な考えです。なぜなら、この世の中の不利益、差別といったものは部落差別に限ったことではありません。元々豊かな家に生まれた人は生まれつき豊かあり、貧しい家に生まれた人は生まれつき貧しいです。それは本人の責任ではありません。しかし、だからといって行政が生まれつき貧しい人を特別に助けてくれることはありません。しかし、それが部落問題に起因するものだけは例外ということになります。
当然、なぜ部落だけが、という不平不満が周囲から出ます。しかし、解放同盟は「それは、ねたみ意識である。周囲にそういった意識が生まれているのは、行政がしっかり啓発をやらないからだ。」と、全の責任を行政に負わせてしまいます。
かくして、解放同盟の言うところの「ねたみ意識」を産む危険のある部落優遇政策を正当化するために、同和教育や研修といった「啓発」を行政の責任でやり続けなくてはならなくなりました。その内容も、部落も部落外も平等に、といった融合論ではなく、差別を解消する責任は全て差別する側(部落外の人間)にあるという偏ったものになります。つまり、経済的な平等を劇的なスピードで勝ち取った代償として、結局は生まれた土地や住んでいる土地によって従来の部落差別とは別の意味の壁を作ってしまうという、矛盾した結果を生んでいるのだと思います。
もちろん、部落の住民も全てがそれを望んでいるわけではありませんでした。1970年、解放同盟内でこういった極端な方向へと進んでゆく運動に嫌気がさした人々が、部落解放同盟正常化全国連絡会議として分裂します。これが後の全解連で、「部落民に不利益なことは全て差別である」といった考えを「朝田理論」として激しく批判します。これは、こういった考えを提案したのが解放同盟の中央執行委員長であった朝田善之助という人物であるためです。現在は全解連という組織は存在しません。既に部落問題は解消したという立場を取り、全国人権連と名前を変えています。旧全解連の存在は鳥取ではほとんど知られていなかったと思います。もちろん、同和教育や研修では旧全解連のことは全く触れられません。
歴史的には部落されていながら、同和地区としての優遇措置を拒否した部落もあります。鳥取でそういった部落があるという話を私は聞いたことはありませんが、隣の島根県にはいくつかあるようです。
1993年、当時の社会党の部落実態調査団がそういった「未指定地区」を調査したことがあります。当時の解放同盟の機関紙「解放新聞」は、島根県宍道町(現在は松江市に編入)の対応についてこう伝えています。

宍道町は調査団に「特定することが困難」であり、「当時の地区代表に意向を聞いたところ“そっとしてほしい”との強い要請があり、地区が存在しないことにされた」と「未指定」の理由を話す。
調査団との話し合いで川島町長は、「そっとしてほしい」の裏に、差別の重しがあることが分かった。もう一度、視点を変えてとりくむ必要がある」とのべ、町民の意識改革にもとりくみたい、との認識を示した。

この記事には、「島根県内の『未指定地区』。海に面した山の斜面に積み上げたように家が並ぶ。」というキャプション付きで「未指定地区」がどこなのかっきり分かる写真が載せられています。
「そっとしてほしい」というのは「寝た子を起こすな」論であると批判されますが、私はこの地元の方の言葉は額面通り受け取ってよいと思います。「差別された者の痛みは差別された者でなければ分からない」と言いますが、経済的な豊かさよりももっと大切なことがある、という価値観は万人に共通のものではないかと思います。

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