1993年から行われた条例、宣言制定運動

以前、1994年の謎などと書きましたが、実は1993年の時点で動きが始まっています。
部落解放基本法の影響を受けた条例は、実は鳥取県の智頭町が全国初です。智頭町基本的人権の擁護に関する条例を1993年の6月18日に制定しています。そして、それからわずか2年余りで鳥取県全域を席捲し、ついには鳥取県人権尊重の社会づくり条例という県レベルの条例までできました。
対立する共産党などは、このような条例を「解同条例」と揶揄しましたが、実際にその通りで、解放同盟による解放同盟のための条例でした。事実、条例によって設けられる審議会のほとんどには、解放同盟の関係者が加えられています。八頭町日野町に至っては、町の規則で解放同盟関係者を加えることがはっきりと明記されています(合併前の町村には、そのようなところがもっとありました)。
こういった条例の制定運動はある程度成功し、西日本を中心に、他の自治体でも同様の条例が制定されて行きます。そして、影響は中央にも及びます。
1994年、現民主党代表の前原誠司氏が、当時の部落解放基本法制定要求国民運動の大会で次のように語っています。

政治改革ということで細川政権はスタートしたが、まだ実現していない。われわれは平場の意見のなかからでてきた素人集団だが、あらゆる差別に反対していく。「基本法」制定へ積極的に努力していく。差別反対、平等実現へ努力していく。

結局、部落解放基本法は制定されませんでしたが、1996年に人権擁護施策推進法が制定されたので、ある程度の成功を見たのではないかと思います。
しかし、なぜ1993年から1995年にかけ、あれほどまでに電撃的に条例が制定されたのでしょうか。
実は1993年に、広島県で結婚差別を苦に部落出身の女性が自殺した、という事件が明らかになっています。そして、解放同盟による、結婚差別犠牲者の追悼と、差別撤廃のための条例制定要求の全国キャラバンが始まります。結婚差別により女性が自殺した、という事件は、「もう差別はないから条例は必要ない」と言う人を沈黙させるには十分なことであったでしょう。
ちなみに、この自殺した女性は17歳の女子高生、相手の男性はかつての副担任だった33歳の中学校教師です。この事件については、別の機会に詳しくお話しましょう。

コメント

コメント(1)

  1. 無防備地域宣言は危険を招く危険な宣言だと断固主張する、嘘つきが、せめてブログで正直な事を語る on

    頑張れ、鳥取県の良心!!

    人権条例運用規則検討委 県弁護士会が推薦困難 鳥取県弁護士会の松本光寿会長は二十六日、鳥取市内で開かれた学習会で、県から推薦依頼を受けている人権救済条例の運用規則を検討する委員会への委員推薦について「現時点では推薦は困難」との見通しを示した。条例について

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