悪意のない発言でも差別者にされる

全国的にもそうですが、鳥取県でも部落問題はあまり大っぴらに語られることではありません。その理由として、「部落問題に下手に関わると差別者に仕立て上げられる」ということがあります。これはある意味事実です。
2003年4月1日の「市報くらよし」(倉吉市広報)の「糾弾会で思ったこと」という記事に興味深い記述がありました。以下、引用します。

部落差別は時には命を奪う。意図的に差別の型を使うことが許されないのは言うまでもありません。一方、差別の意図もなく、また直接「部落」の人を対象にしたわけでもなく使ってしまった場合(例えば遊び感覚)はどうでしょうか?この場合「悪気はなかったんだから…」あるいは「誰も傷ついていないんだし…」といった考え方ができるかも知れません。しかし、この考え方では見失われてしまうものが二つあります。それは差別を広める作用、もう一つは差別をなくしたいという願い。意図がないから差別に当たらないとはなりません。

刑法の侮辱罪や名誉毀損罪には過失犯は当てはまらないので、悪気がない人を罰することはできません。また、親告罪なので誰も傷ついていない場合は事件として成立しません。なので、完全に法を逸脱した考えです。
また、「差別をなくしたいという願い」が欠けていると差別に当たるようです。「差別を広める作用」については、次回で取り上げます。
そして、記事はさらにこう続きます。

私は「部落」に生まれたわけではありません。だから「部落に生まれた者の気持ちがわかるか」と問われれば、究極のところ「わからない」としか答えられません。「自分が言われてイヤなことは他人にも言わない」が当てはまらないのです。

これはある意味殺し文句です。
ただ、これは強調しておきたいことですが、私の実感として部落に生まれたかどうかで意識が大きく違うということはありません。同じ人間なのだから当然のことです。つまらないことで「差別だ」と言いがかりをつける人はごく一部で、大部分はそういう人を「頭のおかしい人」と見なしているのが実際のところです(と、私は思います)。
さて、それでは悪意なく発言したことで差別者に仕立て上げられてしまった事例というのはあるのでしょうか?次回は平成12年5月に鳥取県が出した文書に書かれた事例を紹介します。

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