[読み物]学校における差別事象に係る鳥取県教育委員会の見解について(1/5)

これは平成12年3月28日に鳥取県教育委員会から出された文書です。
学校における差別事象に係る鳥取県教育委員会の見解について(報告)
県教育委員会は、同和問題の解決に果たす教育の重要性を認識し、同和教育を教育行政の重要施策に位置づけ、その推進に努めていますそして、人権が尊重された学校・学級づくりを進めるとともに、これまで発生した差別事象等を教訓としながら、教育内容・方法の見直しや校種間連携、教職員研修等の取組が充実するよう指導しています。
しかしながら、平成10年度以降、中学校や高等学校で、「賤称語」等を使用した差別自称が多発していますこれらの事象は、同和問題学習や部落史学習の中で学んだ「賤称語」や「被差別部落」という言葉を、その言葉の持つ重みを十分に認識せず、自分たちの生活や遊びの中で、安易に発言したり、人を見下したりするために使用するといった差別事象です。
県教育委員会は、学校で取り組んでいる同和教育や同和問題学習が、児童生徒一人ひとりの心に響いていない、また、一面的な知的理解に留まっていて、生活の中に生かされていないという同和教育推進上の重大な問題であると厳しく受け止めています。
このたび辞書が発生した中学校や高等学校に対しては、継続して適切な指導・助言を行うとともに、個々の事象の要因や背景、問題点の分析を深め、子どもを取り巻く全体像を多面的に探り、何が足りなかったのか、何をしなければならないのかを明らかにしていくことが大切であると考えています。
個々の事象についての分析や、事象発生後の各学校の取組を指導する中で明らかになったことを踏まえ、すべての学校に対し、同和教育をより充実していくため、特に下記の事項こついて指針・助言していきたいと考えています。


1 学校体制および教職員の姿勢
同和教育は、教育活動全体を通じてすべての児童生徒の人権感覚を磨き、差別解消に向けた意欲や態度を育成することをねらいとしている。そのために、児童生徒「人ひとりの人権が大切にされる教育活動になるよう、学年やクラス、学科等を越えて学校全体で、全教職員が取り組まなければならない。今回事象が起こった学校においては、以前は生徒が問題を起こしても学年団だけで処理しようとして、実態を前面に出してのオープンな議論がなされていなかった学校や、全教職員の共通理解・認識が図られず、該当のクラスや同和教育部の取組になったために、指導が徹底できなかった学校もみられた。しかし事象発生後、「全教職員が、あらゆる角度から生徒を見ていこう」を合言葉に、学級担任と強化担任との情報交換を毎日の授業の終わった後に行ない、生徒の理解に努めるとともに、全員で生徒を指導していく体制づくりや、わかる授業を徹底してやりきるための取組み等を工夫している学校がみられる。この陰には管理職がリーダーシップを発揮し、教職員へ適切な指導助言をしていることがあった。教職員の意思疎通や共通認識を図っていくためには、管理職の指導力が極めて重要である。
 また、生徒が何か問題を起こすと、現象面だけにとらわれ、教師が一方的に押さえつけた指導をしていた実態もみられた。教職員は生徒の実態を直視し、その思い願い、辛さ、弱さ、また、日常生活の中の人間関係等をしっかりと把握していかなければならない。そして、生徒たちに心から向き合い、内面の理解を深めることを通して、信頼関係をより深めていかなければならない。そのため、個人面談や家庭訪問の一層の充実が必要である。
ある生徒は、「これまでの同和教育の授業で、感想文を書くのがいやだった。文章を書くのがうまい子は本当にうまく書いている。けれど、その子どもたちの日常の生活を見ていると、本当にその子が素晴らしい子になったと思えない。そんな子どもたちばか誉める同和教育はしてほしくない。」と話している。また、差別発言をした生徒の中学時代の同和問題学習に取り組む姿勢について、中学校では「積極的に差別をなくす段階には到達していないが、発言内容や作文には前向きに取り組む姿勢がみられた」と捉えているものの、高等学校での聞き取りの中では、中学校の同和教育を「だるい授業」と話している。
この背景を見た時に、教職員が同和教育においては普段の授業とは異なった構えになり、その雰囲気が児童生徒に敏感に反映し、特別な授業となったり、授業の中で、児童生徒から「差別はいけない。」「差別は許されない。」「これからは差別をなくしていきたい。」という意見が出ると、教師は満足をしてしまい、「良い授業だった」と思いこんでしまったりしてはいないか、謙虚に振り返って検証していくことが必要である。学習の成果を見る場合、学習を通じて同和地区児童生徒にとって不安が取り除かれ、力強い励みになったか。同和地区外児童生徒が、自らの問題として捉えることができたか。さらに、学習したことが生活に生かされ、仲間としてのつながりが強まったか名度、具体的な児童生徒の姿から読み取っていかなければならない。
また、ある生徒の感想の中で」生徒のこのような差別発言もいけないが、教師にも生徒を傷つける発言がある。」と書いているように、いくら児童生徒に対して人権の大切さを説いてみても、指導する教師白身が、児童生徒の人権を軽視した言を行っていれば、心に響く同和教育になっていかない。日ごろの生活の中で、人権を尊重した言動に心がけているか、傷つける言動を取っていないか、すべての教職員が自らを見つめ直すとともに、教職員相互に人権感覚を高め合っていくことが大切である。
(つづく)

コメント

コメント(2)

  1. 意見をだせば、個人の判断と、言わせることもできる on

    http://yhx0303.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_3516.html
    2006年5月 4日 (木)
    意識改善で人権問題は解決すると本気で思ってるんだろうか
     「清め塩」廃止呼びかけのチラシやめる 
    京都府宮津市
    http://www.sankei-kansai.com/a1-syakai/syakai5.htm
     京都府宮津市が葬式の「清め塩」の廃止を呼びかけている問題で、同市は2日、全国から寄せられた多数の抗議を受け、住民の火葬申告の際に「清め塩の風習をなくしましょう」とするチラシを手渡すことをやめた。また、担当する市教委は同日、市ホームページ(HP)にこの件の今後の対応についての文面を載せ、今後、啓発の継続も含め内容を見直すことを明らかにした。
     同市は昨年6月の広報誌と同10月の全戸配布チラシで廃止を呼びかけ、火葬申告時に「迷信に過ぎない『清め塩』の風習は、今後、廃止していこうではありませんか」とのチラシ配布を継続していた。
     同市教委は「これほど抗議が来るとは思わなかった。市民への説明と啓発方法の再検討が必要だ」として、2日午後、この件についての説明文をHPに掲載した。その中で市教委は「市民が何の疑問も持たずに、それが当然と思い込んでいる人たちが多いことから、このような風習にとらわれない生活をとの願いで啓発しました」などと説明した。
     さらに同市では、市民課で配布していた火葬申告の際のチラシをすべて回収した。「清め塩の啓発は、中止も含めて見直す」としている。
     産経新聞の取材に対し、同市の横山光彦教育長は今回の決定について、「頂いた抗議を反映させた」と説明。「清め塩は宗教に起因するものではなく、日常にあるおかしな因習の1つだと考えて啓発した」と改めて述べた。
    (2006/5/3)
    http://www.city.miyazu.kyoto.jp/kiyome.html
    平成18年5月2日
     
    『清め塩』に係る宮津市の対応について
    宮津市教育委員会
     葬儀に係る『清め塩』の風習への対応について申し上げます。
     宮津市では、葬儀に参列した人が塩で清めることの『清め塩』について、市民が何の疑問も持たずに、それが当然と思い込んでいる人たちが多いことから、このような風習にとらわれない生活をとの願いで啓発しているものです。
     このたび、『清め塩』について宮津市ホームページ(みんなの伝言板)などに多数の様々なご意見をいただきました。
     本市では、火葬の許可書を交付する際、市民に「『清め塩』の風習をなくしましょう」のチラシを渡しておりましたが、どうするかはあくまで個人の判断によるものでありますので、その対応については今後十分検討してまいりたいと考えております。
     なお、今後においても市民一人一人が「差別をしない・させない」という意識を強める中で、人権問題の解決が図られるよう人権教育の推進に努めてまいりたいと考えております。

  2. m on

    ウザイお前