鳥取市内の高校講師の「差別発言」に対する人権救済

部落解放同盟鳥取県連が示してきた「被害者が救済されなかった具体的事例」についての続報です。事のあらましは過去の記事を参照してください。
この件については、市教委に不適切な対応があったとして、共産党の市議により議会で追求されています。鳥取市議会の議事録などをもとに、この件の詳細をお伝えします。
3人の生徒からの告発があったのは1999年2月で、当時の市教委の同和教育指導主事によりまとめられ、部落解放同盟(市議会議事録では「運動団体」とされていますが、解放同盟のことです)に報告されました。この際、差別発言をしたとされる講師に確認せず、生徒の告発を鵜呑みにして、講師が差別発言をしたと断定していたことが問題とされています。
その後、講師に対する確認会が行われました。そのとき、市教委や学校長から確認会への参加を強要するような発言があったとされています。以下は、市議会議事録からの引用です。

1回目の確認会は3月12日、沖縄での同窓会に参加を予定していたため、「出席できない」と断ったところ、「欠席したら沖縄なんかに行けないようになりますよ」。
2回目の3月30日では、A氏は「出る必要はない。尋ねたいことがあれば文書で聞いてほしい」。と言いましたら、「そんなことをしていたら、この問題は糾弾会に行くかもしれない」、家族の職業を挙げまして、「家族にまで害が及びますよ」。

解放同盟側の資料では講師が「自らの人権が侵害されたとしてその後の聞き取りや話し合いを拒否した。 」とされていますが、共産党鳥取市議員団が市長と市教育長に対して、講師に対する同和問題にかかわる人権侵害を止めるように申し入れた、というのが正確なところです。
最初のうち、講師は不適切な発言があったとして、生徒との話し合いを希望していましたが、市教委はそれを拒否しました。その後、講師は発言は事実無根であると主張しました。
しかし、差別発言について告発する内容をまとめたメモを指導主事が紛失してしまい、真相はうやむやになっています。解放同盟側の資料にもある通り、差別発言が本当にあったのかどうか、最後まで誰も確認できませんでした。市教委も取材に対して「その件については現在はノータッチである」と答えています。
教育関係者の証言によれば、この指導主事は市教委の中でも「解放同盟寄り」と見なされていました。現在、教頭として現場に復帰しています。本来の出世コースであれば、校長となるところですが、この一件が影響したのかどうかはさだかではありません。
なお、当事者の講師(50代)は既に病死しています。


この件で思い出されるのは矢田事件です。似たような構図の事件が鳥取でも起こっていたことは驚きです。
市教委は我関せず、といった態度ですが、正直なところ市教委も出来れば解放同盟には関わりたくない、というのが本音のようですね。
追記2006年2月8日
某人権連事務局長のページに議事録が引用されています。もしかして見てる?

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